僕は馬鹿だ。
「……総司さん?」
「っ、千鶴ちゃん、何?」
彼女が傍に居るのに、浮かぶのは別の女の子のことばかりで。しかも、絶対好きになるはずないって思ってた女の子。何だか情けなくなる。
いつもみたいな元気がまるでなかった後ろ姿や、ちょっと空気に滲んだような声や、一瞬だけ見えた瞳が、全部僕に流れ込んでくる。どうして、彼女にあんなこと言わせたんだろう。左之さんの言うことは正しかったし、僕の為じゃないといいつつ僕の為であったこともわかってたのに。
どうして好きなひとに、素直になれないんだろう。
「総司さん…」
「ごめん、千鶴ちゃん」
「……謝らないでください」
駅前の交差点。今にも泣き出しそうな千鶴ちゃんの目には、確かに僕が映ってるのに。もう僕はその手を握ってあげられない。クラクションの音と信号機の音が遠くで聞こえた。
「私も、わかってたんです。総司さんのバイト先に行って…あんなに生き生きしながらなまえさんと話してる総司さんを見て、敵わないって、」
「……そんなこと」
「やっぱり、あの方は素敵な女性です。総司さんが惹かれるくらいですから」
「……彼女は本当におじさんなんだけど、捕まっちゃったな。僕が」
「ふふ。…総司さんは優しいから、きっと、私が行かないでって言えば、ずっと傍に居てくださったかも知れないですね」
「……」
「お別れ、しましょう」
「今まで……ありがとう」
それから、にこりと笑って行ってしまった彼女は一度も振り返らなかった。長く黒い髪の毛は真っ直ぐに伸びて、僕は一人ぼっちになった。空は相変わらず高かったし、街の人は足早に動いて行って、僕だけがその場に突っ立ったままだった。今日はシフトが入ってない。夜は千鶴ちゃんと一緒にいる予定だったから。まあ、その予定もなくなったけど。
「……居酒屋、行こうかな」
ご飯が美味しくて、店内の雰囲気が良くて、紅一点の店員が割りと悪くない居酒屋を、僕は1軒しか知らないのだった。


○ ○ ○



「いらっしゃいま…何だ総司一人か」
「『何だ』って何なの。感じ悪いなぁここの店員」
「あー、はいはいごめんって!奥へどーぞ!」
迎えてくれた平助くんと軽口を交わしながら奥へ入る。キッチンにはいつものようにつまみ食いをする伊吹くんと新八さん、そして左之さん。左之さんがこっちを見て、手を挙げてちょっと笑う。お見通し…だなぁ。普段は客席のないカウンターに、椅子を引っ張ってきて腰掛ける。
「左之さん、」
「あー、昨日のことは気にすんな。ほら、座って飲め飲め。今日は俺の驕りだ」
「うん、ありがと…」
何か僕、今日は謝ったりお礼言ってばかりだ。出されたお酒を一気に飲む。ああ、力が抜ける。
「おい沖田、そこで寝たら皿が置けないだろ!」
「総司ー!」
平助くんと伊吹くんの声がだんだん聞こえなくなる。普段よりお酒が回るのが早いのか、瞼が重い。ふわふわする。
僕はゆっくり目を閉じた。


○ ○ ○



「お客さん、閉店ですよー」
軽く叩かれて目を覚ます。聞き覚えのある声、知っている香り。腕に埋めていた顔を声のする方に向けると、ばっちりと目が合う。
「お、沖田さん……!」
僕だということに気づかなかったのか、彼女はぱっと身を離した。
「……何してるんですか。店閉めますよ」
「そう、」
「寝ないでください!ほら起きて!」
君がそうやってまた、うんざりしたような声をするから。
「嫌だ」
「……私、今日がバイト最後で、もう居なくなるからいいでしょう。今日ぐらい言うこと聞いてくれたって」
「……君は、」
「っ、私はもう沖田さんが私のこと嫌いなの十分知ってるから!!」
「じゃあ君は何もわかってない!!!」
イライラする。こんなにも伝わらない。起き上がると彼女の涙目。僕も僕だけど彼女も大概だ。
「……僕は君が好きだよ。もう随分前から、ずっと」
そう呟いて、じっと彼女の顔を見る。少しずつ綺麗な顔が歪んで、グロスできらきら光る口元から、情けない声が漏れる。
「そんなわけ、」
「あるんだよ」
「千鶴ちゃん、」
「別れた」
「私のこと、」
「……好き」
少しずつ、彼女に近づく。距離が縮まって0になって、その体を腕の中に納める。


ひねくれ寂しがり


彼女のグロスがちょっぴり付いてしまった僕の唇。彼女は笑いながら少し泣いていた。女の子だ、と思った。