私が家出してから、今日で3日目。 「おーい昼飯できたぞー」 「私スパゲッティがいいなー」 「おっ、じゃあいいタイミングだったな。スパゲッティだよ」 「やった!」 さのふぃは相変わらず優しいままだった。私が家出した理由も、無理に聞いてこない。今までの大人だったら、もっと口うるさくて、私にいろいろ言うのが当たり前だったのに。 「いただきます」 でも、それは彼なりの一線なのかも知れない。私に、さのふぃが仕事のことを教えてくれなかったように、さのふぃも私には詮索しない。フェアな大人だ。 私も、全く知らない人と同じこの空間を共有することに抵抗がないことに、不思議だった。 居心地がいい。だからこそ、違和感。 「お前さ、」 「うん?」 「将来のこととか考えてんのか」 「んー、まあ…一応」 「そうか」 フォークがかちゃり、食器に当たって音がなる。わかってる。本当は、学校サボってる暇も、だらだらしてる暇もないんだって。やっぱり、さのふぃは私のこと深くは聞かないんだなあ。 「俺…お前に、学生のうちはサボっとけって言ったろ」 「うん」 コーヒーを啜ったさのふぃと目が合った。 「ガキの頃はな、今とは違う職に就きたかったんだ」 周りより、私たち二人だけゆっくり時間が流れていく気がした。琥珀色の目に私が映る。 「夢を見ながら思ったんだ。自分はだんだんとでかくなって、そろそろ届くんじゃねえかなって、その度に手を伸ばしてみるけど、」 「………」 「俺が手を伸ばした高さより遥かに、目標は上に上に」 「………」 「気がついたら俺だけ、でかい空の下に立ちつくしてた」 ははっと笑って前髪をかき上げるその姿に、胸が何かでつっかえる。風船みたいに割れたら楽になるのに、いつまでも楽にならなかった。 「今は自分の職に満足してる。でもそれは結果論なんだよ」 「そんなこと、」 「一度伸ばした手を、もう下ろしてしまったことには変わりねぇんだ」 再びコーヒーを啜る彼は、一体何を伝えたいのだろう。冷めきったスパゲッティを前に、一人、悩む。 +。☆*゚ 午後。さのふぃは私に掃除と洗濯を任せて、一人買い物に行ってしまった。 そういえば…と、ずっとオフにしていた携帯の電源を入れた。すると山のような着歴とメールがあった。 どれもこれも私の身を案じるものばかりだった。そろそろ連絡したほうがいいかも知れない。メールを打つ。急に申し訳なく思えてきた。躊躇っていたから、無事である旨を伝えるまでに余計に時間がかかった。 そして、急に電話がかかってくる。電話越しに聞こえてきたのは、怒鳴り声と泣き声の両方だった。やっぱり、私を心配していた。 それっぽっちのことなのに、なんだか帰りたくなってくる。こんなにまで心地いい。こんなにまで自由。きっとさのふぃなら、いつまで居たって何も言わない。だからこそ、違和感。 「明日は、帰ろうかな」 誰もいない部屋に声が響いて、なくなった。 よいしょと腰を下ろして、床に転がってみる。広い天井。さのふぃの香り。なんだか眠くなって、私は目を閉じた。 +。☆*゚ 「む、むむ……おおお」 「よう、目が覚めたか」 もう夕方だぞー、と声が上から降ってきた。なんだか起きる前の一瞬、まぶしかったのは気のせいかな。 「眠い……」 「ほら、もう起きろ」 「もうちょっとぉお」 「夕飯の手伝いしろ」 眠たい目を擦りながら、のそのそと床を這ってキッチンに行く。ふんわりと良いにおいがした。 「ハンバーグがいい」 「ハンバーグだよ」 「さのふぃ、天才」 もしかしたらこの人は、私が食べたいと思ったものがわかるのかな。 「ほら、運べ」 「うん」 ご飯の間は、私も彼もほとんど話さなかった。テレビの音がうるさすぎたのかも。二人して黙々と食べていた。 「ごちそうさま!」 「お粗末さま」 「私ほとんど手伝えなかったし、片付けるね!」 「任せた」 私はお皿を洗って、拭いて。全て終了してからソファーに横になった。明日の夜には、私はここにいないんだなあ。そう思うと寂しい。 「なまえ」 声のする方へ行ってみると、さのふぃがベランダに出ていた。 「たばこ吸うんだね」 「たまに、な」 たばこをくわえた横顔は、やっぱり大人の顔で。 「今日は星が見えるね」 「おう」 「……わたし、家出してよかった」 途中、ちょっと言葉につまりかけた。 「はははっ、何を言うかと思えば。お前ほんと変わった奴だな」 「ほんとだよ!本心だよっ!」 「わかってる」 ふうーっとさのふぃが吐いた白い煙は、夜の闇に広がった。 「お前は俺と違って、きっと手が届くよ」 それから何をしたかあまり覚えてない。さのふぃがお風呂の間に、こっそり荷造りして。その後お風呂に入ってもなかなか寝られなくて。それから、 「さのふぃ、」 「ん……寝れねえのか?」 「うん」 「……しょうがねぇな」 ベッドは広いのに、さのふぃとくっついて寝た。私の頭の上にさのふぃの顎。私の腰にさのふぃの手。私の顔の前にさのふぃの胸。 ちょっとだけ、たばこの香りが残っていた。 |