「沖田さん」
声に応えて振り向くと、なまえちゃんが泣きそうな顔をして立っていた。ぎゅっと掴まれたままのセーターの裾が伸びている。
「何かあったんでしょ」
「……」
なまえちゃんは一瞬ためらった様子をして、おずおずと口を開いた。
「伊東さん、って…誰ですか…?」
そういえば今日は伊東さんが来てるんだっけ。土方さんがパリに行く話するとか言ってたなあ。
「伊東さんはね、ずっと前にこの店の経営をしてた人だよ。今は独立して店を立ち上げてるから普段はいないけど」
「そう、ですか…。すごい方なんですね」
なまえちゃんは相変わらず顔を上げようとしない。
「伊東さんに何かされたの?」
「い、いえ!何もされてませんよ!ただ…私と違ってきっと、その…土方さんを支えてあげられるような女性なんだな、って…」
僕の聞き間違い?あれ…なまえちゃん今何て言った?
「あはははははは!!なまえちゃん、伊東さんは残念ながら男の人だよ」
「へっ!?」
真っ赤になって戸惑うなまえちゃんを見ると、ふくれたような顔をした。
「なんでもないです!気にしないでください」
「君ってもの好きだね」
僕がそういうとなまえちゃんは目を見開いた。ああ、やっぱりそうなんだな。一くんとは気が合いそうだ。
「でも土方さんもひどいよね。いくらチェーンに対抗するためとはいえ、君や平助くんを教育する前にパリに行っちゃうなんてさ」
「…え?」
なまえちゃんの顔が凍りつく。えっ、これ…もしかして禁句だった?





土方さんが、パリに?嘘、そんなの知らなかった。信じられない。足が勝手に土方さんの部屋に向かう。頭がついていかない。きっと土方さんも…嘘だって、総司の悪ふざけだって、いつもみたいに呆れた顔をするはず。なのに涙が溢れてくる。私…とっくに土方さんのこと好きみたい。大好きになってたのに。土方さんがいないこのカフェで、私はこれからどうやって笑ってすごすの?涙を拭ってドアを開ける。
「土方さん!!」
ドアを開けると、びっくりしたような、それでいてどこか落ちついているような顔が目に入る。
「なんだ」
「……いなくなっちゃうって、沖田さんからききました。冗談ですよね…?沖田さんはいつもみたいに、私をからかってるだけですよね?」
声が、唇が、握った手が震える。土方さんの前では泣かないって決めたのに、目からぽろっと涙が落ちた。慌てて制服で拭ったけど、涙は止まらない。
「…本当だ」
土方さんが椅子から立ち上がって、私の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。…あの時と同じ。やだよ、いやだ。でも何も言えなくて。チェーンに対抗だなんて、土方さんらしいなって思った。
「俺は必ず帰ってくる」
紫色の目に私が、映る。情けない顔して、涙を拭う私の姿が。
「お前は好きなことをすればいい。俺を思ってここで働く必要はない。縛りつける気もない」
土方さんが悲しそうにそう呟くから悔しくて。
「私はっ!パティシェになるんです!!土方さんに負けないくらいのっ、」
そう叫んだ刹那、私の体は土方さんの腕の中にあった。ふわりと漂う煙草の香りと、


(紅茶の、あなたの香りがしたの)