私は彼と話すとき常に私を個人とはしなかった。例えば彼が「会いたい」といえば、「皆にも」と言い、連絡が無かったことに文句を付けるときは「私達のこと」と言った。それは彼が私に抱いている“こ”のつく気持ちを薄々なりとはいえ感じているせいなのと、例えこれが気のせいだとしても彼との距離を上手に保つためだ。私達は幼なじみである。友達であり、仲間であり、時には敵でありながらも家族なのだ。しかしこの関係性というのは実に厄介なやつであり、彼が一言“こ”のつく気持ちを素直に口にするだけでガラガラと愉快な音を立て、それを培ってきた時間を馬鹿にするかのごとくいともたやすく崩れ去ることができる。そんな危ういバランスのこの土台を何故自ら危険にさらさようかと逆に私は問おう。今の私達の関係はまさにぬるま湯のように暖かく、ベッドのように心地くて今更手放すにはこの関係に慣れすぎているのだ。いや、関係だけならまだましかもしれない。もしかしたら彼自体を失う可能性だって十二分にもあるのだ。どちらも手放したくない子供のような自我が私を保つ内はきっとこの複数系を私は頑なに守りつづけるだろう。認めてしまえば終わりになってしまうだろうからそれが何なのかまだ認めはしないけど、確かに彼は私の中で特別である。遠く、遠くに、昔は並べ歩いた背中を見つける度、私が無性に泣きたくて堪らなくなるのはそのためだ。でもここで泣かないのはやはりちっぽけな自尊心と認めたくない利己心故。なんとも身勝手な奴である。置いて行かれたくないくせに、彼と自分の気持ちを受け入れ隣に並ぶという選択肢を最初から手放している私がいまさらなにをグダグダ語ろうか。

「…一之瀬くん」

彼といなければ他人の目を気にしなくては呼べない彼の名前を舌先で転がした。不思議と軽い。綿菓子みたいに口にいれた瞬間溶け崩れるあの感じにそっくりで、すぐにその感じを忘れてしまいそうになる自分に胃のあたりがヒュッとした。思わず彼が自分から居なくなったような錯覚に嫌な汗と動悸が止まらず、呼吸さえ浅く短くせわしなく紡がれる。なんてこと。なんてこと。

「っ、一之瀬くん、一之瀬くん、一之瀬くん、一之瀬くん、一之瀬くん、一之瀬くん、一之瀬くん一之瀬くん一之瀬くん!」

目に貯まる涙が酷く煩わしく、何度呼んでも溶け消える彼の軽さが憎たらしかった。その憎たらしさは激情にも似て、彼が今もし目の前にいようものなら殴り飛ばしてさえいたかもしれない。認めなければいけないことは誰より自分が一番よく分かっている。分かっているからなんだと言うのだ。それを理由に認めるには余りにも失うもののほうが多すぎる。それが今度は酷く惨めなことのように思えてきたものだからもうお手上げだ。私はもうどうすることもできやしない。

「…かず、や」

蚊の鳴くような声で呟いた呼んだこともない彼の下の名前は、やけにどっしり舌に絡み付いて私はキュッと口をつぐみ、その場を去った。






(一之瀬と)秋






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