休み明けからついてなかった。真面目に仕事してるのに、何も間違ったことしてないはずなのに上司に怒られたり。思うように自分のペースで仕事ができなかったり。考えれば考えるほど苛々してくる。
『なによこれ…』
駐輪場代をケチって無料の駐輪スペースを利用している。だがもう限界かもしれない。雑然と置かれた大量の自転車の中から自分の自転車を探す。それだけでも一苦労だというのに、今日に限って一番取りにくい奥の方にいってしまっている。まずは手前の自転車たちから退けないと。疲れている体には、自転車の重みが身に染みる。たったこれだけのことなのに息があがる。
『よっ…と』
「おねーさん、仕事お疲れさん」
『…へ?』
振り返ると近所に住んでいる蔵ノ介くんがいた。制服着てるけど、あれ。今蔵ノ介くんっていくつなんだっけ。社会人になって一人暮らしを始めてみて、実家とは遠のいていた私は蔵ノ介くんからも勿論遠のいていた。
『あ、久し振り、だね』
「名前ちゃん。仕事頑張ってるみたいやな」
『うん。まぁ』
頑張ってる。頑張ってるんだけど上手くいかない。そう零しそうになったけど相手は年下、ましてや小さい頃よく面倒みてあげた男の子だ。そんな子に愚痴を零すのはなんだか嫌だった。弱ってるところを見られたくなかった。体に力が入る。
「名前ちゃん」
『ん…?』
「たまには歩いて帰ろ」
突如腕を引っ張られ体勢を少し崩すも、お構いなしにずんずん進んでく蔵ノ介くん。自転車がどんどん遠ざかっていく。繋がれた手。蔵ノ介くんと最後に手を繋いだのっていつ頃だろう。そんなことが頭をよぎった。
「たまにはいいやろ」
『そうだね。たまには歩くのも、悪くないね』
「名前ちゃん、仕事はどうなん?うまくいってんの?」
のんびり流れる雲をぼんやり眺める。温かなオレンジが体に染み込んでく。蔵ノ介くんの問い掛けに返事ができなかった。言葉が出なかった。ただ、繋がれた手に力を込める。それだけだった。
「大変やな、社会人も。でもたまには足元も見てみぃや。急がんでも。ゆっくりでええやん」
涙が溢れてきた。社会人になってからは泣くこともなかった。久し振りすぎて上手く涙が流せないでいると、蔵ノ介くんが歩く足を止めた。夕焼けが眩しいからか、涙はただただ溢れる。
「たまには実家にも帰っといでや」
『名前お姉さん、忙しいからね』
「はいはい。俺は暇やからいつでも遊べんで。お姉さん、遊んだって」
いつまでも私の中で小さかった蔵ノ介くんも、大人になっていってるんだ。嘘で塗り固めたり、ごまかしたり。私が一番なりたくなかった大人。その道に踏み込む私を、蔵ノ介くんが引き戻してくれた。そう思えた。人はいつまでも止まっちゃいられない。寄り道なんかしてたら、すぐに置いてかれる。時代とは、人間の成長とは、きっとそんなものだ。
「なあなあ、名前ちゃん」
『はいはい、近々ちゃんと帰るから』
「…俺かて学校では結構モテたりすんねんで」
そうだ。蔵ノ介くんはいつでも近所で評判のいい美男子だった。自分で言うなよ、と笑ってやると少し顔を赤くして黙ってしまった。ジロジロ見てると、俺じゃあかんかな。蔵ノ介くんは確かにそう言った。
『蔵ノ介くん』
「…ん?」
『ありがと』
蔵ノ介くんの前を歩く。だって私のほうがお姉さんだから。励まされたというのもあるけど、今度私の部屋に呼んであげよう。そう思った。とりあえず、今週末は家に帰ろう。
夢見る明日へ
(まだまだ相手にされへんか…)(何か言った?)
(い、いや!…はぁ。俺もヘタレやないか)
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