broken heart



「さあ、折原さん…」

妖刀使いの少女は冷光の眼差しで男を睥睨し、白い首筋をすっと撫でた。
ぽた、ぽたと筋を作って流れ落ちる滴は、少女の指先を赤く染め上げる。遂にやった。斬ったのだという安堵が杏里の心を満たしていく。刀の放つ鮮烈な愛の言葉は、浅く直線状に走るその傷口を介して男の脳髄へと届き始めたことだろう。

「かあ…、さ…ん」

臨也の双眸は少女のそれと同様の毒々しい血色の輝きに染まり、やがてゆっくりと杏里に焦点を定めた。
帝人や正臣を陥れた男のものとは思えない、酷く穏やかな表情。そこにかつてのような悪意はなく、同時に人間らしい一切の感情さえ綺麗に拭い去られていた。

「いいですか?貴方はもう、人間を駒にして遊ぶことは許されないんです」

杏里が諭すように語り掛けると、臨也はまるで子供のような仕草で、小さくこくりと頷いた。

「わかりました…かあさん」

「日常を、乱さないでください。平和を…人間の皆さんの平和を愛してください」

「はい」

「私の大切な人たちに、酷いことをしないで」

「はい…もう、しません」

妖刀を佩いた少女が命ずるたび、男はいとも容易く首を縦に振った。
“母さん”の言葉はどれもこれも、歪んだ人間愛を謳う彼がしてきた数多の行いを否定するものばかりだった。
それでも彼は、拒むことなく杏里の命を肯定し続けることをやめない。最早全うな意思さえ持たぬ彼には、そうする道しか残されていなかった。
折原臨也は人間を愛していた。周りの人間をどれだけ傷つけようと、いくら後ろ指を指されようと、それが彼の信念であり人生における唯一の生きがいだったのだ。
憤怒、憎悪、嫉妬、驚愕。人間達がふとした瞬間に垣間見せるある種予想外の反応を眺めることは、彼の人格そのものであり、その楽しみを失うことは彼という存在を全否定することに他ならなかった。
それでも杏里はこうして彼を斬らざるを得なかった。この歪んだ男の存在よりももっともっと優先すべきものが、彼女には沢山あったから。

「折原さん。これからは…誰かを苦しめたりしないで、普通に生きてください」

「…。……は…い、」

彼は変わらず操り人形のように首を振るだけ。
しかし杏里はそこで奇妙な違和感に気付き、臨也を見る赤眼を訝しげに細めた。
燃えるように煌々と輝く男の眦が一瞬、ふにゃりと緩んだ気がしたのだ。

「…分かりました、母さん」

けれど、彼女が一つ瞬いた次の瞬間には、その違和感は消えていた。




20101218


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