ラズベリーの幻想



「あ、波江さんおっ帰りー!」

勤め先である新宿のマンション。リビングの扉を開けて中へ入ると、雇い主は作業の手を止めひときわ明るい声で言った。おい、朝から一体何なんだ。私は脱いだコートをクローゼットにかけながら抗議する。

「お帰りじゃないでしょ、私はたった今出勤してきたのよ」

「いやいや、ここは波江さんの家みたいなもんだからね!って、あ、そーだッ!」

彼はそこで突然、何か思いついたように手を叩いて振り返る。

「お風呂にする?ご飯にする?それともオ・レ?」

「貴方…ご飯作れるの?」

おちゃらけた台詞をさらりと無視して臨也の立つ台所へ足を運ぶ。黒いシャツの背中越しに覗き込めば、鍋の中でゆらゆら揺れる野菜が見えた。

「作れるに決まってるじゃなーい。味噌汁とか味噌汁とか味噌汁とか」

「味噌汁だけなのね?」

「うーん、そうとも言う」

「そうとしか言わないでしょ…ダシは何で取ったの?」

「昆布ーッ」

「ふーん…私は鰹派なんだけど」

「でも食べるよね?ね?」

「実は朝ごはんマックで済ませてきたんだけど」

「食べるよね?ね?」

「……。ええ、いただくわ」

とうとう根負けしてそう答えると、臨也はニイと嬉しそうに笑って私を見た。二十歳はとっくに過ぎていても、そんなふうに笑うとなんだか子供みたいで可愛い。そう、まあ顔だけなら多分誠二に負けず劣らず綺麗なんだけれどね――

「愛してるよー、波江さぁん」

「は い?」

「あっははー冗談冗談!」

どこまでが遊びでどこから本気なのか、今ひとつ私にも分からない。それが分かれば次の一歩に踏み出すこともできるのに。
そんな、一瞬浮かんだ馬鹿みたいに甘ったるい考えを振り払いながら、私は食卓に二人分の食器を並べ始めた。




甘いラズベリーの幻想

いつか、こんなふうになれたら



20100524


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