no peace



※波江視点。グロ注意



波江は昔から、気味の悪いものに対する耐性はある方だった。
まず基本的に生物全般は平気だ。高校のときのネズミの解剖なんかは同じ班の男子さえ差し置き率先して行ったし、勤め先の研究所でも当たり前のように人体を扱っていた。高所や暗所、幽霊の類も大丈夫だし、ホラー映画なんぞは確かによくできていると関心すらするが、それ以上の感情が湧き起こることはなかった。
女の子らしくない。可愛げだってない。
親の愛情を知らず、幼い頃から笑うことも少なかった彼女は、そんな性格だから他人に可愛がられた記憶もあまりなかった。
クール、無感動、淡白。そんな言葉がしっくりくるのが、矢霧波江という女だった。
しかし、いくらそんなレッテルをもつ彼女とて、恐ろしいと感じることが全くないわけではない。
彼女もまたれっきとした人間であり、喜びも、怒りも、時には驚愕さえする。それと同様に恐怖を感じる可能性がないと、どうして断言できよう?





その日波江は、雇い主のマンションにうっかり忘れ物をしてしまったことに気付き、少し迷った末急いで夜道を引き返した。忘れてきたのは新しく買い直せば済むような消耗品だったのだが、手元にないのが何となく落ち着かなかったのである。幸い事務所を出てからまだそれほど経っていないし、部屋の合鍵は持っている。

「ごめんなさい、ちょっと忘れ物を取りにきたわ」

臨也からの返事はなかった。またヘッドホンで騒々しいメタル系の洋楽でも聴いているのかもしれない。
波江は構わず玄関でパンプスを脱ぎ落とし、スリッパに穿きかえるのも億劫なので靴下のまま廊下を進んだ。
煌々と明かりの漏れるリビングのドアを開けてみると、意外にも中は無人であった。無頓着な彼らしいと言えば確かにそうかもしれないが、実に不経済なことだ。
肝心の忘れ物は、波江が書類整理に使っていた机の上に無造作に転がっていた。彼女はそれを手早くバッグの中に仕舞い込み、雇い主はどこかへ出かけたのだろうかと首を傾げながらリビングを出た。
元来た廊下を颯爽と引き返す途中、彼女は不意に人声に気付いて歩みを止めた。
ちょうど今立っている場所の横手にあるドアの向こうから、それは聞こえてくるようだった。
秘書になって随分と経つ波江もまだ入ったことのない部屋。この先入る用事があるかさえ不明である。以前不動産屋の広告で見かけた他の階の間取りからするに、およそ四畳半くらいの小部屋であることは推測がついたが、彼女は実際ここが何に使われているのかを知らない。
単なる興味本位でこっそりと歩み寄ってみれば、扉は薄く半開きになっており、中から電気スタンドのものであろう仄かな明かりが漏れていた。

「……ねえ……てほしいのかな…」

気味の悪い猫なで声に一瞬誰かと耳を疑ったが、なんのことはない、それはつい二十分ほど前にも聞いた雇い主の声だった。

「…ズちゃ…ほら……いい子だから…」

独り言にしてはいささか大きいように思うが、耳を澄ませても臨也の声しか聞こえてこない。いつかのように、どこぞの家出少女を電話で誑かしでもしているのだろうか。

「…っわいいね…ふ…お人形さんみた……もう俺の……」

普段より若干抑揚を抑えた臨也の声は、その平坦な調子で延々と続き、波江は聴きながらだんだんとどうでもよくなってきた。とり急ぐわけでもないし、詮索の続きはまた今度いくらでもできる。そう思い直し、彼女は欠伸をかみ殺しながらそっと扉の前から身を引こうとした。
しかしその寸前、視界にキラリと光るものが転がり込んできて、動きを止める。
――空っぽの注射器。
なぜそんなものが医者でもないこの男の家にあるのか、彼女にはいまいち想像がつかなかった。
疑問に思っていると、急にドタン、ゴトンと部屋の中から鈍い物音がした。細くできた扉の隙間から光を遮る影が伸び、ちょうど私の立ち位置から“それ”は見えた。

「はは…何……いい眺め……全く…」

並んだ二つの光。波江を見上げる格好で横たわるそれが人の頭であると、咄嗟には理解できなかった。
けれど彼女は確かにその男を知っていた。
かつては金髪だった髪は薄汚れてぼさぼさ、当然染め直すこともしていない。見る影もなく痩せこけて目ばかりがぎょろりとひん剥き、生気のない唇から覗く歯は半分以上無くなっていた。
男は何とか這って動こうしていたが、生憎とその首には頑丈そうな金属の輪が嵌められている。

「……、」

波江に気付いたらしい男の口元がゆっくりと動いた。動いただけで声はしない。
すると彼女には見えない位置からにゅっと白い手が伸びてきて、男の斑な髪を何本か引き抜いた。

「シーズちゃん。何かいいもんでも見つけたのかなー?」

パタパタと戸口に近づいてきた臨也の声は、先程よりずっとはっきり聞こえた。

「なぁにシズちゃん?そんなとこに自販機はないよ?…ま、どっちみち君には、投げるための腕がないのだけどね!」

波江はハッとし、男の顔から肩へと視線を滑らせた。
果たして臨也の言葉通り、男には腕がなかった。二の腕から下が嘘のようにすっぱりとなくなっていたのだ。
次の瞬間、波江は一目散に駆け出した。
未だかつて悲鳴らしい悲鳴なんて上げたこともないから、喉が固まって声すら出ない。
何故。何故、何故、何故。
心臓が早鐘のように鳴っていた。わき目もふらず、靴を穿く余裕もなしに、ただ真っ直ぐに玄関を飛び出して裸足で走る。

『 行 け 』

助けてではなく、逃げろ。あの状況で彼が助けを求めなかった理由を、波江はふとした拍子に理解してしまった。
最早声さえ持たぬ静雄の目には、明日は映っていなかった。




20101101
臨也バラバラは何度か見かけたので、逆verをやってみました。
シズちゃん可哀想すぎる…



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