誘惑しないで



セルティが仕事で留守の夜はなかなか寝付けない。
僕は早々に眠る努力を諦め、ぱっちりと目を開けたまま布団の中で丸まっていた。
そうしていると、深夜を過ぎた頃だったろうか、突然甲高い叫び声とともに玄関の戸ががんがんと叩かれた。

「開けて新羅!開けて!」

――ちょっとこんな時間に何?すっごい近所迷惑なんだけど。
原因は一人しか考えられない。静雄だったら扉くらいあっという間に壊してしまうだろうから、自ずと消去法で答えは出る。
俺は心の底からため息をつきつつ重い足取りでベッドから這い出すと、廊下の明かりをつけて玄関へ向かう。

「分かった、すぐ開けるよ。開けるから乱暴に叩かないで」

チェーンを外して鍵を回してやれば、あとは扉がひとりでに開いて、黒を纏った身体が弾丸のような勢いで転がり込んできた。

「驚天動地!――どうしたの、臨也」

「ごめん、泊めて」

「はあ!?」

「一晩だけでいい。お礼くらいはするから、さ」

こんなこと初めてだ。突然の押しかけにあきれ返る僕の横を通り過ぎて足早にリビングに入っていく臨也は、けれど少しくたびれたふうに見えた。髪はぼさぼさでいつもみたいに独特の香水の匂いがしないし、コートの背中はうっすらと土ぼこりにくすんでいる。

「何かあったの?」

すぐ後に続き、崩れるようにソファへダイブした臨也に尋ねかけたが、返事はない。だんまりを決め込んでいるが、かといって不機嫌というわけではないらしく、ムスッとしているというよりは意気消沈の方に近かった。

「いざ…えっ、どうしたのその顔」

肘置きに手を付き臨也の顔を覗きこんだ僕は、すぐさま異常に気付いてごくりと息を飲む。
友人の口元にこびりついた白濁液の残骸。それが同意の上でつけられたかそうじゃないかくらい、苦々しげに歪められた彼の表情を見れば容易に想像することができた。

「誰が?」

昔から思っていた。大体彼はいつも無防備すぎると。生来綺麗に整った容姿をもちながらにして、そういう目で見られるかもしれないという可能性を全く危惧していない。仮に自覚があったとしても、自分の身くらい自分で守れるなどと割と本気で思っている。それが折原臨也という人間だった。

「ごめん」

臨也の小さな呟きを、俺は聞き漏らさなかった。

「え? どうして…」

どうして君が謝るんだい、とそう尋ねようとしたとき、寝巻きの裾が突然ぐいと引き寄せられ、僕はバランスを崩して倒れこんだ。
あろうことか、臨也の真上に。
至近距離で始めて分かる、彼の身体になすり付けられた欲の残り香が仄かに鼻腔を刺激する。

「傍にいてくれない、かな…?――怖いんだ」

ああ、ああ。その言葉を口にするのに、どれだけの葛藤が必要だったのだろう。彼のプライドがそんなに安っぽいものでないことは、旧友である自分が一番よく知っている。だから私はあっさり否と首を横に振ることができなかった。

「そう。いいよ……僕でいいなら」

華を咲かせた白い首筋をそっと撫でながら呟いたとき、この胸はいつになくかき乱されていた。
臨也が無防備なのは変わっていない。昔も、今も、この瞬間だって。僕の顔が熱くなっていくのにも気付かずシャツの胸に顔を埋めている彼は、ちっとも成長していなかった。




20101025


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