平和島静雄の急進化.1



※74000打、八屋さんリク



「ったく臨也の野郎…、殺す!今度あったらぜってー殺す!」

静雄が怒りに任せて卓上に拳を叩きつけると、バキ、と嫌な音がした。
成長しない大人の破壊活動に嫌気が差したのであろう、彼の手元に屈みこんで傷の治療にあたっていた新羅は、いい加減うんざりしたようにため息をつく。

「…ホント物好きだねえ静雄も。そんなにあいつが嫌いならことあるごとに構ってあげるのやめたら?」

「は、どういう意味だよ?」

「いいかい?臨也だってね、君がいちいち過剰反応するからつけあがるんだ。楽しく平和に暮らしたいなら、避けるなり無視するなりすればいい」

「んな…!」

静雄は思いがけぬ友人の忠告に一瞬息を止め、高鳴る胸の動悸を落ち着けようとひしゃげたテーブルの上で傾くマグカップを手にとった。
そう、恥ずかしながら静雄は気付いていなかったのだ。敵意を持って接するよりむしろ無視することこそが最も効率的に臨也を苦しめ得るのだと、何故思いつかなかったのか。
カップは静雄の手の内で一瞬のうちに粉砕し本人の膝の上に中身をぶちまけたが、彼自身は放心したように無言でそれを見つめるだけである。
新羅はカーペットに点々と滴るコーヒーを見て顔を引きつらせ、その元凶へと視線を移した。

「静雄?」

「…分かった、分かったぞ。やってみる…!」

「え?マジ?」

こうして平和島静雄による脱折原作戦は始まった。





「静雄、どうした。風邪か?」

「あー…、いえ。インフルエンザの予防っス」

作戦その一。胡散臭い臨也臭をミクロレベルでシャットアウトすべし。
早速ドラッグストアで購入した使い捨てマスクを装着したまま出勤してきた静雄に対し田中トムは一瞬首を傾げたものの、「まあいくら体力馬鹿のこの後輩でも強敵インフルエンザには太刀打ちできないのかもしれない」と思い直し、それ以上言及することはなかった。

「インフルエンザ…高熱を発し、四肢疼痛を伴う伝染病の一種。予防は適切です」

「ああ、だろ?」

ヴァローナの賛同に気を良くした静雄は、同行者であるトムとヴァローナに余ったマスクを一枚ずつ進呈した。
一体何事であろうか。特に何があったというわけでもないだろうに不思議と上機嫌な喧嘩人形に水を差すこともできず、黙って受け取ったマスクを耳にかける二人は微妙に複雑な心境だ。
数年前に新型の流行が騒がれた時分には街を数歩歩けばマスク人間に出くわすようなこともあったが、ほとぼりの冷めた今となっては単にマスクが三人連れ立っているだけで十分に怪しい。
しかしそんな二人はともかく、静雄に対してこの遮断物は素晴らしい恩恵をもたらし、その日は丸一日喧嘩なしの素敵ライフを提供してくれた。臨也がどこにいるか察知できないというのは案外便利なものである。
さらに次の日も、その次の日も平和は続いた。
日を追って静雄の機嫌はどんどん向上し、マスク生活第五日目の夜になる頃には顔面緩みっぱなしかつ時折思い出し笑いのようなものを浮かべながら、「いつも世話になっている二人に寿司を奢る」などと革命的なことまで言い出した。
トムとヴァローナはそんな静雄の変貌ぶりを内心薄気味悪いと感じつつも、食欲には勝てず、静雄に続いてロシア寿司の暖簾をくぐった。

「オーッ!いらっしゃーい」

「おうサイモン!今日もイカしてるな!」

何がどうイカしてるのかは不明だが、さっさと席に着いた静雄はそろそろ定着しつつあるニッコリ笑顔を崩さぬまま、「何でも頼めよ」と後の二人にメニューを回してきた。

「えっと…ホント何頼んでもいいんだよな?」

暗に「怒らないよな?」という意味を込めて尋ねたトムに対し、静雄は深々と頷いた。

「勿論じゃないスか」

「では私は躊躇しません。大トロ五皿希望します」

「ヴァローナ!?」

本当に全く躊躇しないロシア人にトムは呆気にとられたが、当のヴァローナは気にしたふうもなくズズッと風流にお茶を啜っている。
静雄に至ってもサイモンとノリノリで会話をしているため注文内容には全くの無頓着のようだが、果たしてこの男に高価なネタ三人前を惜しみなく提供できるほど金銭的な余裕があるのだろうか。
少し迷った末、トムは結局げそと卵を頼んでしまった。こういう性格って色々と損だなと激しく痛感しつつも。


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