平和島静雄の急進化.2



「シズオー、モシカモシカ何かいいことあったネー?」

「お、分かるかサイモン!?」

「分かりまんねんヨー!」

相変わらずな頓珍漢な日本語を使うサイモンが頷き、静雄が待ってましたとばかりに打ち明け話をしようとしたときのことである。
ガラリと店の扉が引かれ、また新たな客が店内に入ってきた。

「いらっしゃーい!」

トムは何気なくそちらを見遣り、その黒一色の全貌を確認するなりピシリと顔面を凍りつかせた。
店員に案内されてカウンター席に着いたのは、あろうことか静雄の天敵として有名な新宿の情報屋である折原臨也だったのである。
幸いまだマスクをしていた静雄は臨也の存在を認知していないようだが、トムの不安げな視線に気付いた臨也はあからさまにニヤリと腹黒い笑みを浮かべた。

(ああっ、やめろオオオオ!話しかけるな話しかけるな話しかけるなあああ…!)

「あっれぇ、シズちゃんじゃなーい!」

トムの必死の祈りも虚しく、臨也は椅子をくるりと回してこちらを振り返り声をかけてきた。底意地の悪さが滲み出したような鋭い視線は明らかに静雄にロックオンされている。
しかも間の悪いことにそこへサイモンが注文の品を運んできたもんだから、不覚にも突っ込む隙を与えてしまった。

「あは、何?トロ?取立て屋のくせしてイイもん食べてるじゃん。財布大丈夫なの?余裕ないなら俺が払ってあげよっか?」

トムには、向かいに座る静雄のこめかみが一瞬ピクリとヒクついたように見えた。
ああ、駄目だ。そろそろプッチンしそうだ。そろそろ静雄を引きずって店を出ることを考えた方がいいかもしれない。潔く覚悟を決めてそそくさと荷物をまとめ始めた苦労人トムであったが、静雄はテーブルを丸ごと持ち上げるどころか大きな声さえ出さず、あくまで平静を装ったままサイモンに熱燗を注文した。

「え?し、静雄…?」

驚いて静雄を凝視するのは何も長年の彼を知るトムだけではない。
ぽかーんと馬鹿みたいに口を半開きにして固まる臨也を軽くスルーし、静雄は横にいたヴァローナに話しかけた。

「この字何て読むか知ってるか」

「…肯定、タコです。吸盤と8本の足があります。西洋では悪魔の魚と呼ばれます」

内容的には特にどうということもない会話だが、年頃の男女がこうして並んでいるとふわふわした雰囲気が醸し出されるから不思議だ。

「へえ、ロシアじゃ食わねえだろうによく知ってんなぁ。じゃあこれなーんだ?」

「さばです。…シズオ、それよりこちらの黄色い物体、私知りません。魚ですか?」

「ん、それは“がり”っつって生姜の漬物だ。えーっと何だっけ、生姜は英語で言うと…」

「――ginger。ロシア語ではимбирь」

すかさず割り込んできた朗々たる声はトムによるものではない。勿論ヴァローナでもなかった。
ちらりちらりとこちらを伺ってくる臨也の顔は曇っていたが、静雄は一度も視線を合わせようとはしない。
明らかに普段と異なる冷静な態度に、恐々として見守るトムやサイモンたちはただ愕然とするばかりである。

「ばっかだねえシズちゃん、そんなことも知らないの?いっそ中学からやり直してきたら?」

「……」

明らかに逆上させることを狙った臨也の発言に対しても、静雄はひたすらに無言を決め込んだ。
決して不快に感じていないわけではないだろうが、それを見事に耐え抜いている。これが意図的に取られている態度なのだとしたら、弟の幽にも匹敵する演技力である。
日頃静雄の異様なまでの沸点の低さを目の当たりにしている面々からすれば奇跡にも近い現象が起こっていた。

「え、何?いっちょ前に無視?…あははは、単細胞なシズちゃんにそんな高度な芸当、いつまで続けられるかなー?」

「……。…さ、トムさんもどうしたんですか。遠慮なく食べてくださいよ。…んーっ、このトロサーモン美味いっスわ」

「そ、そうだな。美味いな」

空気を乱すまいと慌ててそう応じるトムであったが、生憎彼がかじっているのは生姜である。
ああ、静雄が大人になってしまった。常識人になってしまったと、たった今この光景を傍観する誰もがそう思った。


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