逃げようとしてる?



しとしとと新宿の街を濡らす秋雨の音を聞きながら、水滴だらけの窓ガラスに指を乗せた。
十月の空気は思いの外冷たくて、ひんやりした表面は白く曇ってくっきりと手の形を縁取る。一、二、三…五本。極普通の僕の指は相変わらず当たり前に五本。
しかしこの胸の内を満たすものはほんの一年前とは大きく変わってしまった。
池袋に出てきて、今まで知らなかった多くのものに出会った。初めて垣間見た裏の世界は目まぐるしく斬新で、ローテーションの暮らししか知らなかった僕を虜にした。もっと触れていたい、この世界に溶け込みたい。人並み以上に強く願った僕をここまで引っ張り上げた情報屋。僕はいつからか憧れを通り越して彼という非日常に夢中になり、安全な生活からどんどん遠ざかっていった。

「何を見てるんだい?」

ふと背後に映し出された黒い人影に気付き、くすんだ窓枠の景色から目を離してゆっくりと振り返った。
臨也さんがしっとりと濡れた髪をタオルで拭きながら、不思議そうな顔でこちらを見ている。
僕は曖昧に頷き、半ば誤魔化すように首を振った。

「ええ、まあ…ちょっとナイーブに浸ってたんですよ」

「へえ、何か悩み事でも?」

おかしそうに目配せして口端をつりあげた相手に対し、どうしても悔しく感じてしまい、僕はキュッと唇を引き結ぶ。
故郷から遠く離れたこの地で、同性なんぞを好きになってしまった僕はとんでもない親不孝者、どうかんがえてもイカれているのだ。ゲイなんて気持ち悪い、おかしい奴らなんだとばかり思っていたのに、今の自分は目の前のこの男しか愛せない。溺れるが故に、その赤い瞳から目を逸らすことすらできないのだから。

「どうしたの、帝人くん。怒ってる?」

「…別に」

「あ、もしかして俺がお風呂入ってる間にエッチな本でも見つけちゃったの?」

「っ、そんなんじゃありません…」

すっと追求から逃れるように目を逸らし、濡れたガラスを見つめる。
僕は馬鹿だ。
これから男に抱かれるというのに、そう決めてここまで来たというのに、何を今更躊躇しているのだろう。痛みへの恐怖なんてこの気持ちに比べればちっぽけなものだ。何度もそう言い聞かせてきたじゃないか。それでもまだ自分はこの一線を守りたいのだろうか。綺麗なままでいたいというのか。

「大丈夫だよ、帝人くん。初めてだからって、痛いことなんかこれっぽっちもないから、さ」

ヤりたがりの男は誰しもそう言う。抱かれるより抱く方が容易く快楽も得やすいことは、経験のない自分とて知識で知っている。
だからこそ、もっと重要なものがあるんです、と言ってやりたかった。その感情につけるべき名前も、それが何物かすら分からないけれど。男であることへの誇りとでも呼べばいいのか、そんな何かが確実にこの胸の内に存在しているのだった。

「臨也さん、僕は…」

「ねえ、そろそろ俺限界なんだけど…んっ、」

「は?」

臨也さんがぐいと僕の手を掴んで引き寄せると、彼のほっそりした肩越しにベッドが見えた。挿れさせろという無言の要求、やはりこれは恋人として避けては通れない道なのだろう。
しかし、湯上りの火照った体温を感じながら諦め半分に目を閉じかけた僕の前で、彼は突然着ていた黒のロングTシャツをはらりと捲り上げた。

「あは、ごめん。もう我慢できないんだよね。実はさ、さっきお風呂でローター入れてきちゃったの」

「え?ロー…た!?」

下に何も穿いていなかったことに驚愕し、僕はぽかんと口を開いた。
それは単に彼の股間が戦闘態勢に入っていたからだけではない。落ちつかなげに擦り合わされる白い太腿から正体不明のコードが伸びていたのだ。
――ね、ネコ!?この人ネコだったの!?

「ねぇ…早く、ヤろ?」

「ン、んーっ!?」

衝撃を受けて絶句する僕に臨也さんは何を勘違いしたのか、いきなりキスをしてきた。
掘られると思っていたときはあんなに躊躇していたはずなのに、こうして抱き合っていると彼の股間がぐりぐり僕のに当たってきてすぐに気持ちよくなってしまった。
もう、いいや。ナニがどうなっても知らないからね。




20101030
企画『a believer』様へ


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