vampire



「帝人くん、」

臨也はノートパソコンを閉じて壁際からむくりと身体を離すと、部屋の反対側まで這っていった。
静かな夜だった。時折表通りから微かにもれ聞こえる自動車の走行音の他に眠りを邪魔するものもなく、細く開けた窓の隙間から涼やかな秋風が漂う。
背を向けて布団に潜り込んでいる少年をしげしげと覗き込む男の両眼は、鮮やかな赤色を呈していた。
差し込む道路脇の街灯が彼の肌を青白く照らし出し、人間離れした全容を浮き上がらせた。漆器のように艶やかな黒髪をして、整った鼻梁、瑞々しく真っ赤な唇はさながら西洋絵画から抜け出してきたかのようである。

「帝人、くん…?」

ついぞ声に反応しない少年に落胆して、臨也は悩ましげな吐息をついた。
帝人がいくら狸寝入りを決め込んでいようとも、自然とそれが分かってしまう。人間の息遣いを細かく聞き分けるくらい、本来捕食者の種別である彼にとっては造作もないことだった。
ああ、乾く。狂おしいほどに欲してやまないこの衝動の正体を臨也自身は知っている。
身体をじくじくと内側から蝕む飢餓によって、彼は精神的に追い詰められていた。
何を隠そう、折原臨也は吸血鬼である。
これまでは誰にもこの秘密を打ち明けたことはなく、臨也は人間と馴れ合う煩わしさよりも安寧な孤独を選んで生きてきた。そしてそれは確かに間違いのない選択だったのだ。帝人と出会い、一個人として人間と必要以上の接点をもつことにより、彼はあっという間に脆弱な生き物に成り下がった。
しかし所詮は吸血鬼と人間。捕食と被食の関係であることに変わりはない。
帝人は人外の存在である彼を許容した初めての存在だったが、たった一つ、こと食事に関してはだけは酷く臨也を恐れ、否定的な態度を取った。
吸血鬼の餓えは、人間用の食事では満たせない。いくら人間と似通った容姿をしていようとも、それは動かせぬ現実だった。
吸血をやめてしまったら、吸血鬼は生きてはいけない。愚かしくも、特定の人間のために断血をして死んでいった仲間を臨也は何人も知っていたが、帝人に出会うまでは所詮他人事に過ぎぬと高をくくっていた。
少年は臨也が当たり前のように行ってきた吸血行為をおぞましいと非難した。恐ろしいから、自分の前ではそんなことをしてくれるなと。臨也の知る普段の彼はあくまで穏やかで優しい性格をしていたが、そう言ったときの眼は確かに排他的な冷光を放っていた。
帝人がおぞましいと言うのならおぞましいのだ。打てば響く鐘のように少年の言葉に感化された臨也は、それからというもの、ぴたりと吸血をやめてしまった。
頭の天辺から足先まで、余すことなくこの存在の全てを愛されたい。臨也の中のどんでん返った優先順位は、もう元には戻らないだろう。彼自身の存続を脅かしても尚、ただひたすらに少年の愛を求めるだけだった。

(ああ、帝人くん)

臨也は布団の端を少しだけ持ち上げて、ひっそりと寝息を立てる帝人の横に潜り込んだ。
吸ってもいいよと言われることを、彼は期待していなかった。
決して自らの満足のために血液を絶っているのではない。そんな安っぽい覚悟なら最初から断血なんてしなかった。帝人がいれば他には何もいらない。たった一人、愛しい人の顔を恐怖と嫌悪に歪めてまで腹を満たす必要など、どこにあるだろう。
臨也が以前のように血臭の残る唇で口付けることは、もうない。何週間もの間タブレットで餓えを誤魔化し誤魔化し、ぎりぎりのところで辛うじて生にしがみ付いていた。間違っても、お腹が空いただなどと少年の前で口にしたことはない。

(愛してる。こんなにも君を愛してるよ)

帝人の背中に顔を押し付けると柔らかな人肌の香りがした。それを慈しむように吸い込み、肺一杯に取り入れた。かつては食欲をそそるだけだった匂いが、今はこんなにも愛おしい。その事実が彼の胸を幸福で満たし、生命を侵す飢餓さえも薄れさせた。

「……臨也さん」

不意に帝人が声を発したので、臨也はゆっくりと背中に押し付けた顔を離した。
起きていることは知っていたが、よもや向こうから話しかけてくるとは思わなかった。

「なんだい?」

「馬鹿…なんですか、貴方は」

かき消されそうな帝人の声は、素っ気なく乾いているようでいて実際は少し濡れていた。
臨也は言葉の意味を取りあぐねて首を傾げる。

「臨也さんなんか、嫌いです」

帝人はどこか切羽詰った声で言い放つと、掛け布団を退けて振り返った。
むっと鼻を突く異臭に気付き、臨也はその鮮やかな赤眼をゆっくりと瞠る。

「…嫌だとは言ったけど、飲むなとは言ってない。貴方が死んで、僕が悲しんでも、貴方はそれでいいんですか?それが、愛なんですか?もしそうなら、僕は貴方が嫌いだと、そう…言ったんです」

嗚咽する帝人の右手からカッターナイフが滑り落ちる。どう考えても彼が自分で切ったことは明白だった。
ぽとり、ぽとり、ぽとり。左腕から少年の肌を伝って着実にシーツを汚していく液体が何であるのか、臨也は痛いほどに知っている。知っているからこそ、彼は酷く焦った表情で帝人を見つめた。どうしてもそうせずにはいられなかった。





20101030


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