その頃にはもう日は沈んでいた。
微かに夕暮れの名残を残した空が暗くなる前になんとか街に辿り着いたレンとソラはぽつぽつと灯る街灯に照らされた道を歩きながら宿に向かっていた。
「…?」
ふと、ソラは視線を感じて振り返る。
明かりが切れかけているのか時たま消える一本の街灯の下、そこに一人の女性の姿が見えた。
黒く長い髪に真っ白なワンピース。
綺麗な人だが、その表情は明かりのせいかどこか暗く、決して楽しそうな雰囲気には思えない。
ただじっと何かを訴えかけるようにソラの方を見ていた。
何かあったのだろうか、とソラは立ち止まる。
「どした?」
ソラが急に立ち止まったことにレンも足を止めて振り返った。
後ろを見ていたソラは前へと向き直る。
その表情は心配そうだ。
「あのね、あそこに女の人がいるの。髪の長い綺麗な」
「女の人?」
ソラの指差した方向にレンは目線を向けた。
その瞳が微かに見開く。
「さっきからずっとこっち見てるみたいで…何か用なのかな?それか困りごとで助けがいるのかな?」
「……あー……」
女性の方を見ていたレンは歯切れの悪い返事をしながら目を伏せる。
「…助けがいるんだったら、声かけてくるだろ」
「そうかなぁ?」
やっぱり一度声かけてこようと、女性に近付こうとしたソラの腕をレンの手が掴んだ。
その行動と険しげな表情にソラは目を丸くする。
「レ、レン…?」
「…あのさ、ソラ」
「はい」
「……ちょっと体調崩したみたいで少し頭痛がするんだ」
突然のレンの言葉はソラを驚かせた。
「えぇ!?大丈夫!?」
「まぁ一応は。でも念のため早く宿で休みたい。道中で悪化するかもしれないからついてて欲しいんだけど」
レンがそんなことを言うなんてよっぽどだ。
事の重大さにソラの表情も深刻なものに変わる。
「わ、分かった。じゃあ早く宿行こう!」
「…悪いな」
歩き出しながら、ソラはちらりと後ろを見た。
女性はまだいる。
力になれないことを申し訳なく思いながら、それでもレンを優先してその場を離れたのだった。
(…これでなんとか大丈夫か)
歩きながら、心配そうなソラを横目にレンは気付かれない程度に小さくため息を吐く。
らしくない嘘を吐いてまで、あの場を離れなければいけないと思った。
服の下でぞわりと粟立った肌を気持ち悪く感じる。
ソラは気付いていない。
おそらくあれはあの場から動けないのだろう。
動けないから、待っている。
お人好しが近づいてくるのを。
(…綺麗な女の人、ね…)
先ほどの言葉を思い出しながらレンは目を伏せる。
ソラには、そう見えたのかと。
そう見えていたのなら、レンに見えていたものを、ソラに話せるわけがなかった。
(…どっちが正しいんだろうな)
同じものを見ているはずなのに、違うものを見ている。
狂っているのはどちらか。
そんなことを思いながら、レンは一瞬だけ顔を動かして離れていく街灯を見遣る。
翠の瞳が視界に捉えたそれは、まだそこにいた。
潰れて判別すらできない顔に奇妙な方向に曲がった両手足
血に濡れて元も分からない服を纏って
恨めしそうにこちらをじっと見つめながら
ずっとずっとそこにいたのだった。