Lily bell | ナノ

道化師はかく語りき


雲ひとつない真っ青な空がどこまでも続く賑やかな城下町。

あちこちを行き交う人々が幸せそうに笑顔を浮かべる中、それとは対照的な表情を浮かべたナマエは自分の数本前に長い足を大きく開いて歩くマグナスの背中からできるだけ離れないように駆け足で追いかけつつ上目で見ながら聞き取られないように小さく息を吐き出した。


「ご…ごめんなさい」


いつまで経ってもこちらを向かず気まずい雰囲気を醸し出すマグナスにナマエが耐えきれずに呟いた。

士官学校を出て城下町を二人並んで歩いているのには訳があった。ナマエの申し訳なさそうな謝罪にマグナスはわざとらしく大きなため息を吐き出すと腰に手を当てて足を止める。


「別に、…もういいって言っただろう。むしろ君は被害者だ」
「…でも、」
「……ここに来るまでに話は聞いた。無理矢理あの教官に連れ出されたんだろう?」


あの、とはセシル教官の事だろう。言って振り返るマグナスの藍色の瞳と視線がぶつかって恥ずかしさから逸らしてしまった。それと同時に「すまん」と苦笑いしたセシル教官の顔が"ぽん"という効果音とともに脳裏に浮かんで全身の力が抜けそうになった。

そんな彼女の肩が呼吸の乱れから若干早く上下しているのに気付いたマグナスもナマエから視線を僅かに逸らすと、数歩歩み寄り、おもむろに右肩にかけていたブルークロスをするすると外し始めた。


「マグナスくん…、?…わッ!?」


何を、そう言おうとした瞬間頭にふわりとした感触と共に視界を藍色が占領した。


「こんなところで街の人に捕まったら学校より大変だ。その服をそれで少しでも隠してくれ」


太陽の香りに似た優しい香りがナマエの鼻腔をかすめて思わずくらりと視界が揺れた。思っていた以上に優しい触り心地だ。頭から被さったままの状態でぎゅっとそれを抱き締めると鼻をくすぐるような優しい香りは強くなった。


「とにかく用事を済ませるぞ。…まず君のその格好からだが……、?……ナマエ?」


くるりと再びナマエに背中を向けて地図を片手に周辺を確認しようとしたマグナスが返事のない彼女に疑問を持って名前を呼ぶが反応がない。何かあったのかと体を捻って後ろを振り向けば、どこか一点を見つめたまま呆けていた。


「おい」
「…」
「ナマエ」
「……」
「……おい、ナマエ!」
「わっ!!え、あ……ッ、は、ハイッ!??」


眉間に寄せられたマグナスの皺の数にナマエが思わず苦笑いで返した。そそくさと頭にかかったままだったブルークロスを肩に引っ掛ける。予想以上に幅が広いおかげで上半身から腰まではすっぽりと隠れた。腹のあたりでクロスさせて両手で持っておずおずと正面のマグナスを見る。


「ん、よし」


しっかりと頷いたマグナスに嬉しくなって口元がにやける。「行くぞ」と短く呟いたマグナスが背中を向けて歩き出す。置いていかれないよう続くつもりだったが先ほどよりもペースを落としてくれているようだ。小走りをする必要もなくナマエはほんの1時間程前にセシル教官に言われた買い物内容を思い出した。


* * *


「他人に見せたくない気持ちはわからんでもないが、それではこいつの為にならん。何かさせよう」
「なッ!」


しれっと言ってのけたセシル教官にマグナスが反射的に声を荒げた。ベッドに深く腰掛け、足まで組んでそう言ってのけたセシル教官は隣に座っていたナマエの頭をぽんぽんと豪快に叩いて見せた。振動でベッドがぎしりと僅かに音を立てる。


頼むからこれ以上逆撫でしない欲しい。頭を撫でられながら顔を赤くしてわなわなと震えているマグナスを見れずナマエは俯いた。自分に向けられていないとわかっていても彼が怒っている姿はあまり見たくなかった。代わりに「そんなわけ無いでしょ」の意味も込めて隣にいるセシル教官を睨んで置くことにした。


「ナマエは何がしたい?ここは寮だからな、やることはたくさんあるぞ」
「あ、わたしで何か役に立てることがあるならなんでも…掃除洗濯…料理は自信ないですけど…」
「ほう」
「ほう、じゃないッ!大体教官の部屋は別棟でしょう!帰ってくれッ!!」
「おー、おー、吠えるねえ。落ち着けって」


両肩を震わせて笑うセシル教官は実に楽しそうだ。正直ナマエとしてもこのままマグナスの部屋でずっと世話になるつもりはなかった。どこへ行ってもマグナスの香りで包まれるこの場所はどうしたってナマエにとっては毒でしかないのだ。ある意味、だが。

何もせずこの場所に置いてもらう、と言うのも心苦しいものだった。勢いを立てて座っていた椅子を弾き飛ばして立ち上がったマグナスに意を決してナマエが手を伸ばした。


「…あの、マグナスくん」
「…ん?」
「わたし、何かしたいです。生徒の皆さんにはできるだけ見つからないようにしますから…」
「…見つからないように、って…。どうするんだよ」
「ぁ、………う…」


マグナスに突っ込まれてナマエが肩を落とした。正直そこまでは考えていなかった。そんなふたりの様子を見ていたセシル教官が苦笑いを浮かべてため息をこぼした。


「家事全般は心配要らないよ。ある程度は自分達でやるようになっているから君は気にしなくて良い」
「でも、」
「けれどそれでも、と言うのなら誰にも使われていない花壇がこの裏にあるのだが…」
「花壇、ですか…?」


セシル教官の言葉にナマエが首を傾げた。この士官学校に花壇が、なんて偏見でしかないが。戦う術を身につけるために日々訓練に明け暮れるこの場所に花壇がある想像がつかなかった。

ナマエの考えていることの想像が大体ついたのかセシル教官が苦笑いを向ける。頭を撫でていた手を離して自分の顎にそれを当てた。


「花の種類にこれと言った希望はないんだ。だが、生憎とここには花の種なんてものはなくてね」


マグナスの表情がぴくり、とひくつく。「まさか」そう言いたげに恐る恐る顔を上げる彼に、セシル教官がニヤニヤといやらしい笑みを浮かべたのをナマエは見逃さない。


「俺が一緒に買い物に出てやれれば良いんだがなー。あーあーどこかに優秀で従順で口が硬い俺の生徒が転がってないかなー」
「…」
「…しょうがないなー。俺の担当の生徒の上から二番目のアイツに頼もうかなー!確か口は硬かったと思うがアッチの方はどうだっただろうなー!なにしろここは全寮制だからなー、ナマエのことを知ったら…」
「行けば良いんだろう、行けばッ!」
「話が早くて助かるよ」


にこにことマグナスに笑顔を向けるセシル教官にナマエは盛大にため息を吐き出した。そうまでしなくても彼ならば頷いてくれそうなものだ。楽しんでいる、確実に。ズキズキと痛むこめかみに指を押し当てこちらも盛大にため息を吐き出しているマグナスの背中を、ナマエは哀れみの瞳で見つめた。


「花はさっきも言ったが君達二人に任せる。それからナマエの服と生活に必要な日用品だな。遠慮はしなくていいから必要なだけ買い揃えて来なさい。何も気にしなくていいよ」
「何もって…でも、お金…」
「君は花壇の世話をしてくれるんだろう?そのお礼と、ささやかな入学祝いだ」


今度は優しげな笑みを浮かべるセシル教官に素直に「ありがとうございます」とナマエが頭を下げると暖かい手がもう一度降りて来た。深く腰掛けていたベッドから立ち上がると、彼の髪先に付けられた小さな装飾がぶつかって小さな音を響かせた。

出口に向かって歩き出すセシル教官を黙って見送ろうとしたが、重大なことを思い出してナマエは慌てて立ち上がると咄嗟に服の裾を掴んだ。


「あの…我儘を承知で…。すみません、空き部屋とか…ないでしょうか…」
「ーーーーだ、そうだけど?マグナス」
「なんで俺に聞くんですか…」


上半身を捻って振り返ったセシル教官が驚いたように目を見開いて掴まれた服の裾とマグナスを交互に見やる。さらに大きくなる頭痛と、眩暈まで追加されそうな気分に陥ったマグナスは本日何度目かわからないため息を吐き出した。


* * *


「……おいって」


どこまでも澄み渡った青空を背景に呆れたマグナスの顔がにゅと姿を見せた。眉間に皺をいくつも寄せたマグナスにはっとしたナマエがわたわたと体制を整えると「ごめんなさい」と謝って彼の少し後ろにぴたりとついた。逸れないためだ。

彼女の様子を見て、度々注意を払っておかなくてはならないだろうと感じたマグナスが腰に手を当ててがくり、とうな垂れた。


賑わしい城下町の中心とも言える商店街を二人並んで歩いていく。すれ違う人々は仲睦まじいカップルや微笑ましい家族、長年連れ添った老夫婦と様々だ。あちこち視線を向けるマグナスに気付かれないように視線を送る。藍色の髪が陽の光に照らされてキラキラと輝いている。

周りからは自分達は一体どんな目で見られているのだろうか。視線に気付いてこちらを向いたマグナスの深い藍色の瞳と視線がぶつかって盛大に逸らしてしまった。なんとか場を和ませなくては。そう思って探す話題ほど出てこない。黙々と賑やかな商店街をひとり頭を抱えて歩くナマエにマグナスが僅かに苦笑いを浮かべた。


「ナマエ」
「え、はッ!いッ!」
「君はどこか別の場所からここに来たんだったよ、な?」
「う、うん」


結局"別の世界から"とは言えずにどこか東の方にある国だと思う、とだけ伝えたままだったのを思い出して曖昧に頷いたナマエにマグナスはただ機構が錯乱しているだけなのだろうと勘違いし、話を続ける。


「どんな所なんだ?」
「わたしのところ…え、えと…、こんなに戦うことに関わりがある場所じゃ、なかったと…思います」
「へえ、ここよりも平和なんだな。ここはあちこちで戦いの話を耳にする。…ああ、普通に話してくれ。同い年くらいだろう」


『同い年』その言葉にナマエは う、と言葉を濁した。セシルに腕を引張られて寮の中の廊下で見つけた鏡に映った自分は確かにぱっと見て今のマグナスと同い年くらいだった。

鎖骨辺りで揺れる髪になんとなく触れる。視界の隅にちょこんと入った毛先はやはり黒い。


「家族に会いたいとは思わないのか?」


何も言わないナマエに肯定したと取ったマグナスがそのまま話しかける。毛先を見つめていたナマエがはっとして髪から手を離すと隣を歩く背の高いマグナスを見上げてほにゃり、と力の無い笑みを浮かべた。


「…ううん。わたし、もう両親と離れてだいぶ経つから…そこまで強く会いたいとは思わないのかも」
「…ナマエは強い、な…」
「うーん、強いって言うか…。…マグナスくんは…?学校は全寮制、なんだよね?」


士官学校が全寮制で、マグナスの母親は既に他界していて父親であるアンキセス・ガラントとは不仲なのをナマエは物語を通して知っている。それでも、マグナス本人の口から聞いておきたくてわざと口にした。

次第に俯きながら曇っていく表情に慌てたナマエが胸の前で両手をぱたぱたと左右に振った。せっかくゆっくり二人で話せる機会に出会ったというのに自分は何て顔をさせてしまったのだ。そんなナマエの様子にマグナスが俯いていた顔を上げて僅かに口の端を持ち上げた。


「君は本当に不思議だな。何でも見透かされている気がするよ」
「…」
「…俺の母さんはもういない。俺が小さい頃に死んだんだ。学校に来るまでは父さんと…幼馴染、と暮らしていたが…」


マグナスの言う幼馴染とはこの国の第一王子であるユミル・デュルメールの事だろう。マグナスの寂しそうな表情にナマエも釣られて表情を歪める。

何かと風当たりが厳しく、ついには命まで狙われ始めた幼馴染であるユミルの為に今いる士官学校に入学を決めたのが物語の始まりだった。

見透かしているのではなく、全てを知っているナマエはこの数年後士官学校を卒業してから起こる出来事を思い出して胸が締め付けられるような感覚に陥った。

城下町をゆっくりとした足取りで進むふたりの耳に楽しそうな子供達の笑い声が届いた。どこからか風に乗って焼きたてのパンの香りが漂って来てふたりの空腹を誘ってくる。そういえば丁度昼飯時だろうか。セシルに言われるままに出てきてしまったせいで昼食をとり逃していることを思い出した。


「服を選んだら何か食べよう。急いで出てきたせいで昼食のことをすっかり忘れていたよ。…ごめん」
「う、ううん、や、焼きたてのパンの良い香りがするね!」
「そうだな。この道の外れに確か美味しいパン屋さんがあったはずだ。そこで何か買おう」


そう言って微笑んだマグナスにナマエは思わず目を見開いた。あまり人と深く関わることを良しとしない性格に見えたせいか流行の店や同年代の若者達が目を向けるような店には興味がないのだと思っていたからだ。

自分に歩幅を合わせて歩くマグナスを丸くした目でじっと見つめる。ナマエの視線にすぐに気付いたマグナスはほんのりと頬を赤く染めると小さく首を傾げた。

甘く香ばしい香りが次第に強くなる。首を傾げたマグナスはそれ以上こちらに目を向けず進行方向をただただ真っ直ぐに見つめている。天気がいいせいもあるのだろうか。昼間の日当たりは良く、マグナスの藍色の髪を照らして輝かせている。こちらに再び目を向けるられる様子がないのを良い事に整ったマグナスの横顔をナマエはうっとりと目的のパン屋に着くまで眺め続けた。

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