Lily bell | ナノ

新世界を奏でましょう


「待て!こやつはどうするんじゃ!」
「心配しなくても時間が経てば元居た場所に戻るワ。アタシの魔法が正しければネ〜」


聞きなれない甘ったるい声が耳に響いた気がする。真っ暗闇の中でそう感じた瞬間、自分の体はあっという間にふわりと空中に浮かび上がったような感覚に陥った。

次第に自分を包む空気が冷たくなる。嗅いだ事のある香りが鼻腔を掠めた。ぼんやりと目蓋を透かして明かりが見えた気がする。恐る恐る瞳を開けると、目の前に広がった窓から差し込んだ日の光が一斉に飛び込んできて思わず目をしかめた。

それにしても呼吸が苦しい気がする。顔全体と、内股辺りにじんわりとした温もりを感じて自分は今どういう体勢でいつの間に意識を失っていたのかと思考を巡らせたが何も思い出すことが出来なかった。

とりあえず、と体を起こそうと両腕に力を込めた瞬間、ナマエの視界を藍色の髪が横切った。


「…わっ?!」


びくりと跳ね上がった体をそのまま少し後ろへ引っ込める。そこから自分を落ち着けるためにぐるりと部屋を見渡してみるがお気に入りの家具も、大好きな友人からプレゼントされた人形もそこには何一つとして置かれてはいなかった。

必要最低限のものが置かれただけのシンプルな部屋に、目の前には程よく開けられた窓の隙間から入り込んでくる心地の良い風が真っ白なカーテンで遊んでいる。縁を飾るのはよく見る鉄製のものとは違い、どこかのカフェで見かけるような味のある古い木材で作られたようなものだった。

そこまで部屋を観察して、もう一度視線を自分がついさっきまで顔を埋めていた場所に向けてみる。

何度も目を擦っても変わらない。確かに今、それは自分の下に居て、静かに寝息を立てているのだ。

シーツに溶けるように沈んだ藍色の髪の毛。整った顔立ち。一度だって忘れた事はなかった。間違いなく目の前の眠っているこの少年は幼い頃から恋焦がれて来た、あの話の中の主人公だった。


「う、う、う………うそ、うそ、うそ…!マグナス…マグナスだ、マグナスが居る…!!あああどうしようしゃっ…写真…!写真撮らんとっ……ッ!?」


わたわたと自分の体中に手を這わせてどこかに仕舞われているであろう携帯を探しているうちにがしり、と結構な力強さで腕を掴まれた。

あまりの出来事に吸い込んだ空気を飲み込んだナマエが咳き込むと、のっそりと視界を遮るようにして影が移動した。


「………君は…、誰だ…」


ゆっくりと、しかししっかりとその整った薄い唇がそう言葉を発した。深みのあるなんと心地の良い声色なのだろうか。

うっすらとしか目蓋を持ち上げられていないが、隙間から覗く藍色の宝石のような瞳が自分を真っ直ぐ捕らえて離さない事にナマエは今すぐにでも顔を自らの手で覆ってしまいたくなったが、しっかりと両手首を掴まれているせいか出来なかった。

窓の隙間から入り込む心地の良い風がカーテンを遊んで二人の間を抜けていく。自分でもわかるほどに真っ赤になって熱を持った顔を何とかマグナスの視界から逸らしたいがそれすら叶わないと感じたナマエは首を捻って自らの視界からマグナスを弾いた。


「あ、…あ…!わ、わた、わわわわたし、ナマエって言います!ナマエ!」
「…ナマエ?…聞いたことない名前だな。そんな女子、学校内でいち、ども………ッ!?!?お前は誰だッ!何しにこの部屋に…ッ!!」


ようやく彼も完全に目を覚ましたようで掴んでいたナマエの手首をさらに力を込めて握ると寝癖なのか乱れた髪をそのままにして自分の方へと引き寄せた。

藍色が日の光を反射してきらきらと光って見える。眉間に皺を寄せ鋭い表情を浮かべられたナマエはあまりの迫力に引きつった表情でおずおずともう一度自分の名前を伝えるため口を開いた。


「う、…ナマエ、です。あ、あの、ごめんなさい…わたしも今どういう状況なのかわからへんくて…」
「らへんくて…?」
「あ、わ、わかってなくて…」


ぽろっと出た方言にマグナスが眉間の皺を深めた。それを見逃さなかったナマエが慌てて言い直すが、当然のことながら目の前の彼の険しい表情は緩むことは無かった。

強く掴まれた両手首から悲鳴が聞こえて来そうなほどだ。目で見てわかるほどに、そこは赤くなっていた。説明できるものなら説明したい。自分が今どういう状況でこうなっているのかを。

けれど、自分の中でのマグナスという青年は常に穏やかで、時に照れ屋で…けれどその中には誰にも負けない熱意を持ったキャラクターだと勝手に決め付け、こんなに怖い人物だとは思っていなかったせいか堪らず全身が小刻みに震えだし言葉が喉に詰まって出てこなかった。


「わかってなくて…?どういう意味だ。何故俺の部屋に侵入したんだ。どうやって!」
「そ、そんな…そんなこと…言われ、たって…!」


ここで泣いてはいけない。そうわかってはいても溢れた涙は止まることを知らずぼろぼろと零れ落ちていく。赤くなった手首の感覚はもう既になくなっていた。


「ご、ごめ、なさ…ごめん、なさ………わかんないです…わか、…ないです…〜〜〜っ!」


自分のことを伝えようと思ってもどう伝えたらいいのかまったくわからない。自分はこの世界の人間では恐らく無いだろう、なんて言った所で突拍子がなさすぎて信じてもらえそうもない。

普段あまりない男性からの怒声に完全に恐怖を覚えてしまったナマエが震える体を抑えようと全身に力を入れるが、いっこうに止める気配はない。途端に静まり返った室内に、ナマエの嗚咽交じりの謝罪の言葉だけが響き渡った。

暫くの間マグナスの部屋を静寂が包んだ。静かな空間に窓の隙間から入り込んだ風ふわふわとカーテンで遊んでは消えて行く。ナマエの嗚咽と鼻を啜る音が幾分かましになったのを頃合にマグナスは沈黙を破るようにしてわざとらしくため息を吐き出した。ナマエの体がびくりと跳ね上がる。


「……ごめん。怖がらせてしまった。何か訳ありなのだろうとは思ったんだが…」


手首を掴んでいた手をゆっくりと離される。じわ、と指先が温かくなったような感覚を覚えて零れた涙をそのままに両手をにぎにぎと動かしてみる。多少痛みはするがたいしたことは無い。問題なさそうだ。


「…手首、痕になってしまったな」
「あっ…わっ!ひっ…!だ、大丈夫!大丈夫!こんなのすぐ治るし!大丈夫やって!」
「大丈夫、やって…?」
「あ、あ、えええと、ほ、方言…わ、わたしの居たとこの癖って言うか、なんていうか…!」


先程とは打って変わって心配そうにナマエの手首を見るためにぐっと身を乗り出してきたマグナスとの距離が一気に縮まる。何とかは離れて欲しくてわたわたと両腕をばたつかせるが予想外のところに目をつけられてしまいついにはパニックに陥ってしまったせいだろうか。


「好きです!!!」


おかしなことを口走った気がする。


「……は?」


向かいに座って至近距離からナマエの様子を見守っていたマグナスから素っ頓狂な声が漏れた。顔を上げられたせいでさらに近くなった距離にこれ以上どう対処していいのかわからなくなったナマエはついに自分のキャパシティを超えてそのまま真後ろに倒れこんだ。


「お、おい!しっかりしろ!」


倒れこんだシーツからはふわりと暖かな香りを感じる。窓からの爽やかな風は今のナマエに丁度心地の良い冷たさだが、普段のことを考えると今の季節は冬なのだろうか。

そんなことを考えている内に真っ白な天井とたまに風に遊ばれたカーテンが独占していた視界がぐるりと戻される。両肩に優しい温もりがじんわりと伝わって、気付けば目の前には少々引き気味のマグナスが現れた。


「ひぇっ……ああああの!大丈夫大丈夫大丈夫ですから…っ!は、離して…」
「大丈夫なのはわかったから、少し落ち着いてくれ…」


再び目の前に藍色の髪と整った顔が現れて思い出したようにナマエは両手をばたつかせる。いつまで経っても落ち着きの見せない彼女を止めるため赤くなっている手首をもう一度、マグナスが遠慮がちに掴むと呆気なく静かになった。


「…っ、君はナマエと言ったか。自己紹介をしよう」


やっと落ち着いた。そう言いたげなマグナスに申し訳なさそうに縮こまったナマエが俯いてゆっくりと頷く。そのせいか前髪で隠れてしまったナマエの表情をマグナスが読み取ることが出来ず、かわりに痛みを感じさせないよう優しく手首を離し一言、「痛くないか?」とだけ問うて来た。

それに申し訳ないと感じつつただ頷くことで返したナマエをこっそりと上目で様子を伺うとマグナスはほっと胸を撫で下ろしていた。

やがてカーテンで遊ぶ風が止んで、代わりに日差しが強くなる。暖かい日差しにいくらか心が安らいだ気がする。それと同時に多少の眠気も。

シーツの擦れる音がしてぎしり、とベッドが軋む音がして視界が若干揺れる。マグナスが座りなおしたようだ。釣られて座りなおそうとするが、どうにも体が上手く動かずにふらついた。手を突いたところから伝わるシーツのすべすべとした感触と一緒に何か固いものを感じてナマエが首を傾げる。マグナスのいるこの時代の布団は思っていた以上に固いものだったのだろうか。何度も手を置いた場所のそばをぐいぐいと押してみるがどこも同じように固くどう考えても寝心地は悪そうだった。

何度も押して確認しようとするナマエにマグナスが苦笑いを零して軽く咳払いをすると、ほんのりと頬を赤く染めながら遠慮がちに口を開いた。


「……ごめん、その前に下りてくれないか」
「え?おり、て…?…………ッ!?ええええああああごめんなさいごめんなさいごめんなさい!ずっと乗ってた…!ごめんなさい…!」
「いや…」
「わ、わたし重かったですよね…!もうやだわたし何してんの…っ」


自分が今どういう状況なのか理解したナマエが慌てて少し下がった場所に飛び降りる。上手く体が動かず座り直せなかったのはマグナスの膝の上にいたからだ。何故今まで気付かなかったのか。内股に感じていたぬくもりに今更納得するが時既に遅しだった。

何度も頭を下げては今にも泣き出しそうなナマエの声に胸の前で「待った」と手を伸ばしたマグナスが困ったように苦笑いを浮かべる。


「俺はマグナス・ガラント。気にしていないから、もう謝らなくていい」
「う、……うぅ……はい…」


優しく言い聞かせるように口にするマグナスにナマエはさらに縮こまる。浮かべられたのは苦笑いとはいえ、その優しい笑顔にまたしても倒れてしまいそうだ。思わず自分の髪に触れ、気恥ずかしさを紛らわそうとした瞬間だった。


「自室に女性を連れ込むとはなかなか粋なことをするじゃないか、マグナス・ガラント」


静かな部屋に男性の声が響き渡る。驚いて声のする方へ体ごと視線を向けたマグナスとナマエの前にきらきらと宝石のような飾りをいくつか飾った金の髪を揺らしてにやにやと口の端を持ち上げたいやらしい笑みを浮かべる男の姿があった。

彼の姿には見覚えが無い。ナマエが思わず首を傾げた。物語の中で一度でも見ていれば何かしらの形で記憶に残っているという自信が無駄にあるせいか思わず「誰?」と知らず知らずのうちに口に出していた。


「勘弁してください。彼女が勝手に入ってきていたんです」


金の髪の男性に気を取られていると、背後からつい数十分程前まで聞いていたようなマグナスの低い声が発せられた。両肩がびくりと跳ね上がる。

間違ってはいないが、突き放すようなマグナスの台詞にナマエの胸がきゅう、と締め付けられる。まだ気を許しては貰っていないのだろう。思い返せば当然のことだ。寝ているところに突然現れ彼からすれば今の自分は不審者には変わりないのだ。


「勝手に、ねえ…。君、名前は?」
「ナマエ…です…」
「ナマエちゃん。…成る程。校内の生徒の名前は大体把握しているつもりではいるが君の名前は聞いたことが無い。新入生か?部屋を間違えたとか」


かつかつ、とブーツを鳴らして近付いてきた金髪の男性は髪のぐい、と顔を近付ける。歩くたびに揺れる金の髪は飾り同士をぶつけてしゃらしゃらと小気味の良い音を部屋に響かせた。マグナスとは対照的に自信に満ち溢れたような男性の顔つきは負けず劣らず、きりっと整っている。

青空のように透き通ったブルーの瞳を見続けられず俯いたナマエに薄く笑みを零した男性が片手に束ねた書類をマグナスに向かって差し出した。


「忘れ物だ、マグナス・ガラント」
「…すみません」
「いや、気にするな。それにしても優等生のお前が一番に規則を破るなんてナァ」
「やめてください」


校内、生徒、新入生…ふとナマエが顔を持ち上げて近くにあった金髪の男性を見上げる。続いて後ろを振り返ると、マグナスの藍色の瞳と視線がぶつかる。

マグナスが不思議そうに傾けた首にかかった藍色の髪は寝起きだからだろうかほどけているが自分が知っている彼の三つ編みの長さより少々短く首の付け根辺りで止まっている。


「……?」


マグナスの藍色の瞳が真っ直ぐにナマエを見る。途端に全身の体温が上がってこの場から逃げ出したくなるが、今はそれどころではない。

今度はぐるりと部屋中を見渡す。質素な部屋の創りに、必要最低限の生活雑貨。マグナスの部屋を物語の中や資料集で見たことは無いが自分が知っている彼の居る部屋はもっと城の中のような。イメージとは違っていた。


「あの…」


一通り見渡してナマエがおずおずと口を開いた。金髪の男性とマグナスの視線が一世に自分へと向けられる。耐えろ、今このときだけは。ごくり、と喉が鳴る。落ち着かせるよう一呼吸置いた後ゆっくりと酸素を肺に送り込んだ。


「ここはどこです…か…?何がなんだか、わからない、です…」


言って再び羞恥心から縮んでいくナマエに金髪の男性とマグナスは瞳を大きく見開くと、どちらともなく顔を見合わせた。

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