クランベリー・ラブ | ナノ




「…あ、ごめんなさいダンテさん、そこの棚の上の…」



そこまで口にしてナマエは はたりと口を閉ざした。










「ん…、しょ」



キッチンの端に片付けられたままここ何日か使われていなかった踏み台を引っ張り出す。こんなに重かったのかと思いながら棚の上にしまわれたパンに必要な材料が入ったバケットを取り出す。


ダンテがこの教会から出発してちょうど3日が経った今日は、こんなにも生活に彼の手助けが染みついているのかと何度も感じられた。朝食の準備や片付けは皆率先して手伝ってくれたものの、どこかに何かぽっかりと穴が開いたようで、ナマエは深くため息をついた。



「…ナマエー?」
「ノア?どうしたの?」



キッチンから丁度見える壁からひょっこり顔だけ出したノアの眉はハの字になっていて、不安げな表情を浮かべていた。バケットを持ったまま踏み台から降りたナマエはそのままノアと視線を合わせるためにしゃがみ込むと顔だけを出していたノアがゆっくり遠慮がちに壁から姿を現した。



「…僕が何か手伝いできること、ある?」
「ふふ、お手伝いかぁ。なんで?」
「だんてがしごとに行ってからナマエ元気ないよ。だから僕、手伝いしたいんだ」
「ノア…」



片手でバケットを抱き締めて、空いたもう片方の手でノアの頭を撫でてやる。気持ちよさそうに目を細めるノアはナマエの服の裾をちょこんとつまんだ。



「じゃあ、一緒にパン作ろうか。それが終わったら掃除をするからノアは皆にお茶を用意してあげて」
「うん!」



ノアの頭から手を離して自分の服を掴んだ小さな手にそっと自分の手を重ねた。自分よりもほのかに暖かいノアの体温を感じながらナマエは頬の筋肉を緩ませた。


服の裾から手を離したノアが嬉しそうにくるりと踵を返して机の上に並べられたパンの材料を確認するために椅子によじ登っている姿は、ダンテが来る前よりも少しだけナマエの瞳に大きく映って見えた。



「…いつの間に、あんなに大きくなったのかな」



まるで本当の母親にでもなった気分で、ぽつりとそう吐き出したナマエもまた、パンを作るために立ち上がると机に向かって歩き始めた。






* * *




「…ふぅ」



静まり返ったキッチンでやっと椅子に腰を下ろしたナマエは静かにため息を吐き出した。


数時間前に庭で遊びまわっていた子供たちは疲れたようですっかり寝静まっている。少し前までパンを作る手伝いをしていたノアも、外で遊んでいた子供たちと一緒に静かに寝息を立てている。子供たちの様子を見終わったナマエは久しぶりのひとりを堪能しようとお気に入りの紅茶を入れた筈なのだがなぜかため息ばかりが吐き出されてしまう。


静かなキッチンに、時計の針の音だけが響く。どうしたものかと時計を見つめていたナマエの耳を床の軋む音がくすぐった。



「…なんだかさみしいね」



ぽつりと呟いたナマエの独り言とも取れる言葉に、ソフィが少しだけむくれた顔で廊下から顔を出した。



「…あたしは…別に…?」



そのまま足を進めて棚から自分のカップを取り出すとナマエが座っている席の前の椅子に腰かける。さらさらとした腰まであるソフィの髪が彼女の肩から流れるように落ちていく。


手元に置いておいたポットからソフィのカップにお気に入りの紅茶を注いだナマエが素直じゃない彼女に少しだけ笑って「そう?」とだけ静かに囁いた。


まさかこんなにも彼が居る生活に慣れてしまうなんて。たかだか2、3日共に過ごしただけだというのに信じられない。紅茶の水面に映る自分の情けない表情からすぐに目を逸らしたナマエは窓の向こうで揺れる洗濯物を見つめた。目の前に座るソフィもそれ以上何も言わずにナマエに入れてもらった紅茶を静かに啜った。



「昨日の今日だから、こんなに寂しいのかな」
「…そう?あたしはもっと別の理由だと思うんだけど」
「別?」



首を傾げるナマエに眉間に皺を寄せて眉をハの字にしたソフィは思わずつきそうになったため息を飲み込んで、あっという間に飲み干した紅茶のお代わりを注ごうと腕を持ち上げた時だった。部屋の隅に置かれていた黒電話のベルが鳴り響いた。



「…あ、ナマエ。いいよ、あたしが出る」


ソフィアの申し出に素直に従ったナマエは少し浮かせた腰を椅子に戻すと、まだ半分はあるティーカップに紅茶を注ぐと落ち着くように、ため息を吐き出して紅茶を口に含んだ。そういえば、電話は誰だったのだろう。ソフィアの後ろ姿を横目に見ながらティーカップを両手で包み込んだ。時計の針はすっかり夕方の5時を指していた。


「…夕飯の準備をしなきゃ、」
「ナマエー…」
「あら、みんな」

リビングの入り口でまだ眠たそうな目をこすりながら出てきた子供たちにナマエが歩み寄ると、次々にしがみつくように服の裾を掴んでは名前を呼んでくる彼らが可愛らしくてナマエは優しく微笑んだ。その場にしゃがみ込んで視線を合わせると、すぐに首に腕を伸ばしてくる子供たちの頭を順番に撫でて「おはよう」と囁けば、彼らは頬に可愛らしくキスを落として満足したように離れていく。


「夕飯の準備するね。ソフィアが今電話してるから少しだけ静かにしててね」
「だんて!?」
「んー、まだわからないの。ごめんね」
「そっかー」



目を輝かせて口々にダンテの名前を口にする子供たちにナマエが苦笑いを零す。たった2,3日だって言うのに、子供たちもすっかりダンテがお気に召したみたいだ。外見だけ見ればとても子供好きには見えない彼に、こんなにも子供たちがなついてくれるなんて。おもちゃの争奪戦のために駆け出した子供たちはきゃっきゃと笑いながらリビングに駆け出して行く。



「…ちょっと、失礼かな」



リビングで遊びだす子供たちの背中を見てくすりと笑ったナマエもまた、台所に入ろうと歩を進めた時だった。



「ナマエ」



黒電話と向かい合わせでずっと話し込んでいたソフィアが受話器を抑えながらこちらに小さく手招きしている。首を傾げて彼女に近付くと、彼女は何とも言えないような笑顔で受話器を手渡してきた。そこから何やら聞こえる、聞き覚えのある声と口調にふる、と一瞬だけナマエの胸が締め付けられるのを感じた。



「…ソフィア?」
「夕飯今日はあたしの番。ナマエは洗濯物取り込んできて」



それだけ言うと優しく微笑んだソフィアは台所に向かって歩き出した。受話器を持つ手が妙に熱い。息ができなくなるくらいに締め付けられる胸をそのままに受話器を耳にあてるとほんのりと冷たさを感じた。ついさっきまで何やら騒いでいたらしい電話の相手はすっかり大人しくなっていて、微かに聞こえる吐息がナマエの耳を擽った。



「……あの、…も、もしもし…」
『よお。ナマエ、ひさしぶりだな』



電話の主はソフィアに受話器を渡されてすぐ誰だかわかっていたのに、何故か名前を呼ぶことが出来ずにいたナマエと同じように返事をしたダンテもどこか緊張したような声色で口を開いた。何を話そう。今まで自分たちは何の話をしていたんだろう。考えるだけでお互いの間に長い沈黙ばかりが流れる。受話器と電話本体を繋ぐ線を指でいじりながら何かないかと部屋中を探すナマエを余所に、受話器の向こうのダンテが沈黙を破った。



『……ナマエ』
「あ、は、は、はい!」
『はは、…もうすぐ着くぜ。教会のすぐ近くにいる』
「あ………。…はい、今日はお布団干したんです。きっと寝心地抜群ですよ。」



名前を呼ばれて慌てた自分がおかしかったのか、クツクツ笑いながらそう言うダンテに緊張の糸が解けた。代わりに胸が温かくなるのを感じて、自然に頬の筋肉が緩んでいく。自分で分かるほどに熱くなった手のひらで、それよりもさらに熱く緩んだ頬はどこか心地良かった。二言三言交わして受話器を置いたナマエに気付いたソフィアが台所からひょっこり顔を出して「もういいの?」と首を傾げたが、ナマエがとても幸せそうに微笑んだのを見て納得したのか台所に戻って行った。おいしそうなスープの香りに包まれる教会は、また賑やかになりそうだ。






(…なぁ、ナマエはどうなんだよ、)(俺がいない間誰も男なんか来てねーよな)(ナマエ家事ひとりでできてるか?危なっかしくないか?)

(…あーもう。そんなこと本人に聞きなさいよ!)
(あ、いや!ちょ!待ってくれソフィア!!)

お題提供 : Poison×Apple




prev next