クランベリー・ラブ | ナノ



珍しく快晴が広がる真冬の午後1時過ぎ。スラム街のはずれにひっそりと佇む大きな建物の前にて、大きな瞳をさらに大きく見開いたままナマエはただ茫然とその姿を見つめていた。



「デビル…メイ、クライ…」



屋根の上を飾るでかでかと主張するそれは、昼間でも煌々と名前に似つかわしくないピンク色のネオンの光を放っている。


ぽつりと扉の前で呟いたナマエは両手に抱えたバスケットを抱え直した。耳を澄まさなくても聞こえるガタガタという物音に大体何をしているのかもう想像がついてしまうことに笑みがこぼれる。



「…あのっ、…ダンテ…っ!」



意を決して声を上げたナマエは数回強めに扉をノックすると、すぐさま物音は納まり今度はどたどたと言う音がこちらに近付いてきた。すぐさま顔の幅程度に扉が開かれて中からひょっこりダンテが顔だけを出した。



「ダンテ、わたし…その…ダンテの事務所が、えっと…物がたくさんあっても気にしませんよ?」
「……ナマエ…」
「ほ、ほら。教会の方に長くいてくれたからそりゃあ埃だって溜まりますよ」



事務所の前でどれだけ待たされても構わないが、自分が来ることでこんなにばたばたされたのでは申し訳ない。今まで事務所を開けていたのだって如いては自分たちの為だったのだからそれならば自分も手伝うのが道理だろう。


ここまで二人並んで歩いていた時の表情とは比べ物にならない程げっそりとしているダンテにナマエは苦笑いを浮かべた。



「わたし、ダンテとだったらどこだってかまいません、よ?」



こて、と小さく首を傾げたナマエにそれまでげっそりとしていたダンテの表情がみるみる明るくなっていく。恥らうように頬をピンクに染めた姿に思わず息を飲んだ。



「…や、その。俺もナマエとならどこだっていーんだけど、な。その…」
「ちょっとー!ダンテー!あんた一体どんだけこんな肌色の多い…」
「アーーーー!!悪ィナマエ!!もう少し!もう少しだけ待っててくれねーか」
「………は、はい…」


扉の奥から聞こえる女性の声に思わずナマエの眉間に皺が寄ったのを目の前で確認したダンテが慌てて大声を上げて顔の幅に開けられていた扉をさらに閉めるとぐるりと首だけを捻った。

「いーから黙ってくれ、頼むから!」とかなにやらぼそぼそと話しているつもりだろうが、全部丸聞こえだ。両手で持ったバスケットを強く握り締めたナマエの手元でぎしぎしとなにやら不穏な音が聞こえ始めた。

ダンテのげっそりとした顔からさらに青筋が入る。何というべきだろうか。いやここは変な弁解をしないでいたほうが利口なのではないだろうか。数秒の間にあっという間にあらゆることが脳裏を過ぎっては消えて行く。


「……〜〜〜ナマエ、あのな…!」
「だっ、ダンテさん!わたし…中で一緒にお掃除します!!」
「え?!…は!?」


ずん、と大きく一歩踏み出したナマエの勢いよく伸ばした腕が、がしりとダンテの顔のある位置の扉を掴んだ。あまりのことに反応できず、彼女のなすままに勢いよく扉が開け放たれると、フローリングの床の上を滑った扉の角が少しばかりそこに溜まっていた埃を巻き上げた。

きらきらと窓から差し込む日の光を反射して舞い上がった埃が輝いている。勢いで、とは言え初めて足を踏み込んだダンテの家にナマエは気持ちが高ぶるのを抑えてぐるりとあたりを見渡した。


「…も、モップとか…!ほうきとか…!ありませんか!わたし、掃き掃除します!」


しん、と静まり返っていた事務所の中で意を決して口を開いたナマエの震えるソプラノは、それまであっけにとられていたダンテを我に返らせた。

事務所の真ん中で何かを探すように今もぐるぐるとあちこちを見渡しているナマエに慌てて近寄ってその華奢な両肩を掴んでやれば、彼女はぴくりと両肩を振るわせた。

振るわせただけで自分へ視線を向けようとしないナマエに首を傾げたダンテが彼女の顔を覗き込むと、ぎゅっとつぐまれた唇はほのかに血がにじんでいるようにも見える。


「お…!?おい、ナマエ!?血が滲んでる!」
「………ぅ、…」


そこまで言われてやっと視線だけをダンテに向けたナマエのハの字になった眉はまた力が篭ったのか眉間に深い皺が寄る。


「…わ、わたし…ダンテのこと、何も知らないんだと思って…」
「…は?…何言ってるんだよ?」
「だってわたし、今日初めてダンテのお家に来ましたし…」
「そりゃしかたねーだろ。ノア達の面倒見てるんだから」


珍しく片頬をぷっくりと膨らませて拗ねるナマエにどうしたらいいのかわからずダンテがわたわたと彼女の顔を覗き込んだり何か気を紛らわすものは無いだろうかとあちこち見渡したりしているものの、生憎散らかったままの状態のこの部屋では探し物さえもままならない。


「ナマエ…あのな…」
「…じれったいわね。いつまで私はここにいたらいいのよ」


凛とした女性の声が静かな事務所に響いた。拗ねた様子でダンテを見つめていたナマエも表情を強張らせると、目の前にひとつだけある大きなデスクの影から漆黒に揺れる髪が姿を現した。


「…レディ。隠れるならもう少し大人しくしててくれよ」


いいところなんだ。いつもなら冗談でそう言ってのける筈のダンテはぐ、と言葉を飲み込むような仕草を見せると互いの壁になるようにナマエの前に立った。

大きなダンテの背中を目の前に自然とナマエの頬が熱くなる。背の高いダンテを見上げれば、銀の髪が僅かに揺れているのが見えた。


「あらごめんなさい。だってあなたったら本当にじれったいんだもの。追い出すなら追い出す。招き入れるなら入れるでちゃんとしなさいよね」
「……うるせーな、難しい問題なんだよ」
「何が難しい問題なんだか…。大体、いつものあんたじゃなさ過ぎて反吐が出るわ」


真っ赤なダンテのコートからひょこりと顔を出したナマエの瞳に映る漆黒の髪の女性。ぴんぴんと外に跳ねた髪がどこかかわいらしい。ぱっくりと開いた胸元は思わず目を奪われてしまうほどだ。

スカートのように腰に巻きつけたポシェットは普段人通りの少ないスラム街の道をたまに行き来する女性たちが身に着けているものとは少しだけサイズが大きく、スカートのようにも見える。

ふう、とわざとらしくため息を吐き出したレディと呼ばれた漆黒の髪の女性はダンテの後ろからひょっこり顔を出していたナマエを見ると、なにやら楽しそうににやりと口の端を持ち上げた。


「あら、あなたがダンテのガールフレンド?」
「…!あ、わ、わたしナマエって言います。…は、はじめまして…レディ、さん…」
「そんなに警戒しなくていいわ。こいつとは腐れ縁みたいなものよ。それ以上の関係になるつもりなんて無いわ」
「…俺だってごめんだよ」


口の端に笑みを浮かべたままこつこつとヒールを響かせて歩み寄ってくるレディに思わずきゅ、とダンテの真っ赤なコートを握り締めたナマエを、ダンテは庇うようにレディの前に腕を伸ばした。


「…あなたはどこから来たの?」


伸ばされたダンテの腕にぴくりと片眉を持ち上げたレディが腰を折ってナマエと同じ目線になる。たゆん、と揺れる豊満な胸に一瞬頭がフリーズしそうになったが左右に強く首を振ると、彼女に食いつく勢いでナマエも身を乗り出して口を開いた。


「スラム街の教会から来ました。だっ……ダンテがお世話に…なってます!」
「あら」


綺麗に整ったレディの顔に怯みそうになったがぎゅっと目を瞑って言ってのけたナマエは先程よりもずっと頬が熱く、赤くなっていた。

思わぬ返事が返ってきたことに呆気に取られたレディが未だに彼女を庇うようにして自分に腕を伸ばしているダンテを見上げると、こちらも予想外の彼女の台詞に目を丸くして固まっていた。


「ふふっ…。ねえ、教会って、ここからもう少し街の方へ歩いていく途中にある教会のことかしら?」
「そ、そうですけど…」
「あら、そうなの。じゃああなたが経営者なのかしら?」
「経営…そう、ですね…。て、教会のこと、知っているんですか?」
「ええ、巷じゃ有名よ?身寄りの無い子供たちを面倒見ているんですってね」
「おい、有名ってどう有名なんだよ」


"有名"という言葉に思わずダンテが食いついた。大方彼女に変な虫がつかないか心配にでもなったのだろう。まったく、普段のダンテからは想像出来ないほどの変貌振りにあきれそうになってしまう。


「ま、その話は置いといて」
「おい!」
「ね、ナマエ。私の名前聞き覚えないかしら」
「え……、えっと、レディ…さん……レディ…」


言われて頭の中にある記憶を辿ってみる。そういえば、どこか馴染みのある名前な気がする。ふいに、彼女がお尻辺りからサングラスを取り出すとにこにこと笑みを浮かべたままゆっくりとした動きで自分の目の前に合わせて見せた。

―――そうだ、この姿は何年前かに一度だけ見たことがある。身寄りの無い子供たちを請け負って教会で生きていく決心をしたナマエの元に訪れた見るからに怪しい格好の「役所の人間」を名乗る女性が確かこんな格好をしていた気がする。

あの時はどこの役所も相手にしてもらえず子供たちのために収入をどうしたものかと途方に暮れていたせいで藁をもすがる思いだったが…。


「…あのときの役所の…―――!」
「ええ。子供たちは元気かしら」
「あ…!おかげさまで…!レディさんがあのときの役所の方だったなんて…。またお会いできて嬉しいです」
「…お前、変なこと言ってねーだろうな」
「あら、変なことなんか言ってないわ。…ナマエ、ごめんなさいね。私役所の人間ではないの」
「え、そうなんですか?」


再度目を丸くして首を傾げるナマエにレディがもう一度「ごめんなさいね」と微笑むとその大きく開いた胸元に手を差し込んで慣れた手つきでするりと小さな紙を差し出してきた。


「はいこれ」
「これは…?」
「私の連絡先。何かあったらいつでもここにかけてきて。この人が駄々こねてどうしようもない時、とかね」
「おいレディ!」
「ふふ、それじゃあ私は一旦抜けるわ。これから楽しいパーティの時間なの」


ぽん、とひと撫でナマエの頭を撫でてダンテとナマエの横を通り過ぎていくレディはひらひらと軽く手を振りながら大きな扉を開け放った。

そこから入り込む日の光にふたりが思わず目をしかめると、次の瞬間耳に届いたけたたましいバイクの音と、砂煙だけだった。


「なんだったんだよ、あいつ…」


ただ邪魔しにやって来ただけのようにも取れる彼女の行動にがしがしと後頭部を乱暴に片手で掻いたダンテは未だに呆気にとられているナマエに気付いて彼女の目の前で数回手を振って見せた。


「!…ご、ごめんなさいダンテ。レディさん、あっという間にいなくなっちゃったから…」
「まあ、嵐のようなやつだしな」
「仲良し、なんですね」


そういえば、以前ダンテがぎゃんぎゃんと電話の向こうの相手に叫んでいたが、あれは今思えばレディだったのだろう。自分に出会うよりもずっと前からふたりは出会ってここまでの仲になったのだと思うと思わずちくりと心臓が痛んだ。


「…妬いたか?」
「え……?焼く?」
「レディが俺と付き合い長そうだーとか。そういうの考えてたんじゃねーの?」


くるりと身を翻したダンテが気体を含んだ眼差しでまっすぐにナマエを見つめてきた。

静まり返ったダンテの店の中は時計の針が止まっているのか、はたまた時計自体が置かれていないのか二人が口を閉ざせば本当に何の音もしなくなる。

首をかしげたナマエにダンテは静かに苦笑いを浮かべると、ぽん、と一度彼女の頭に手を乗せてその場を離れた。どうせ使うことも無いだろうと思いながらも購入したモップが確か部屋の隅に埋もれていたはずだった。

ダンテの後ろからなにやら上の空でぶつぶつと呟いているナマエに笑みがこぼれる。彼女は一体何を考えているのだろうか。ともあれ、埋もれたモップを無事救出したダンテは彼女の元まで返ってくるとそっとそれを差し出した。


「……妬く、……妬く…そう、か…わたし、妬いてたんですね…」


ぴん、と跳ねた漆黒の髪を思い出す。そうすれば、きゅん、と自然に胸が苦しくなってため息がこぼれた。

目の前で自分に向かってモップを差し出しているダンテの大きな手のひらを両手で掴んだナマエが背の高いダンテを見上げると、彼は首をかしげながら「お、帰ってきたか」と笑いをこぼした。


「………ダンテ、わたし………、んっ!」


意を決して伝えようとした瞬間、両手首をダンテのあいていた手が掴んで強く引き寄せられた。まるで噛み付かれるのではないかと思うほど口を開けていたダンテの唇に吸い込まれるように自分の唇が触れて、角度を変えられるたびに全身の力が抜けていく。


「ん、…………ぅ、んん…!…だん、…ふぁっ…」


まるでむさぼるような激しいダンテのキスに頭の中までとろけそうになってしまう。

両手で包んでいたはずのダンテの大きな手は、持っていたモップも離してナマエのうなじからするするといやらしく撫でる様に後頭部へと移動していく。思わず漏れた鼻から抜けるような甘ったるい声に恥ずかしくなって全身が厚くなっていくのを感じた。


「………は、……そんな顔してると、俺も我慢出来なくなる、だろ?」


名残惜しげに離された唇に、今度はこつんと互いの額をくっつけたダンテが熱を含んだ瞳でナマエを見つめた。拒んでもかまわない、そういう意味だろうか、そっとやさしく両手首を離したダンテはそれでもまっすぐナマエを見つめながら血色のよくなったナマエの頬をそっと撫でた。

そんなの決まっている。そう返すのもわずらわしくて、解放されたばかりの自分の両腕をまっすぐ伸ばすと迷うことなくダンテの首に巻きつけた。





(今晩だけはひとりじめさせて)


prev next