Blossom | ナノ


男の人独特のごつごつとした、だけど綺麗な指先が目の前に広げられた絵本の文字の上を滑っていく。


耳に届く言葉の違和感が少しずつ薄れていく。…ああ、この場所はなんて。なんて暖かい場所なのだろう。



* * *



「―――と、言うことで私も極力彼女の事がわかるまで極力傍にいようと思っているのですが、私のいない間を皆さんにお願いしたいんです」



廊下にアイーシャの心地の良いソプラノが静かに響き渡った。全体を大理石のような石でできているせいか、この地域独特の気温からか肌に伝わる風は春の季節だと言うの上着を着ていなければ全身が軽く震えてしまうほどだ。


廊下を照らす大きな窓が並ぶそこは真っ赤なカーテンと一緒に床に皺一つなく敷かれているカーペットの端には金の装飾が施されていてとても綺麗だ。


その赤いカーペットの真ん中でアイーシャのブロンドの髪に負けないくらいのブロンドの髪に、大きな三つ編みを左右に分けたカトレーダは自分をまっすぐ見つめるアイーシャに「わかりました」と言って微笑んだ。



「ああ良かった。カトレーダさんならお願いできると思ったんです。貴女の手が明かない時は誰か他のプリ―ストに伝えてあげてくださいね」



落ち着いた物腰でアイーシャがカトレーダに頭を下げると、途端に慌て出したカトレーダは胸の前で必死にぶんぶんと手を振った。



「顔を上げてくださいアイーシャさん!そんなことしなくても…そ、それに、私も少し興味があったんです」
「ナマエに?」
「あ、はい。マグナスさんは彼女絡みになると珍しい態度ばっかり見せるって」



下げていた頭を戻して首を傾げたアイーシャを見たカトレーダはぱたぱたと振り回していた両手を止めてそのうち片方の手を口元に当てるとくすりと微笑んだ。


ピンク色の可愛らしい衣装に身を包んだ彼女に、アイーシャも釣られるようにくすくす笑って「あっと言う間に広まったのね」と零した。


彼女がこのパラティヌス城に来てまだ二日程度だというのに。中には"マグナス隊長をあそこまで夢中にさせる女性を一目見たい"と言い出す者もあらわれているようだ。本当に、ここの隊長ときたら分かりやすすぎて困る。


戦いや会議の時に見せる彼の真剣な表情や態度からは考えにくい姿のおかげで余計に仲間たちは皆面白いのだろう。



「本人は全く気付いていないみたいだけれどね」
「マグナスさん、そういうところちょっとだけ鈍感ですよね」
「ふふ、…それじゃあ私はそのマグナスとナマエのところに寄ってゼノビアに戻りますね。私が居ない間を頼みます」
「はい」



優しく微笑んだカトレーダは軽く手を振ってくれているアイーシャに一礼すると、彼女もまたアイーシャとは反対の方向へ歩き出した。このことを他のプリ―スト達に伝えるためだ。



* * *



カトレーダと別れて颯爽と廊下を歩いているアイーシャのブロンドを爽やかな風がすり抜けて行く。途中すれ違う騎士達が明るく挨拶したり深々と頭を下げたり。


そんな様子の彼等にアイーシャも同じように挨拶を返して行く。ヒールの音を響かせて階段を下りたアイーシャは書庫を抜けてすぐの位置にある医療室の前で立ち止まった。



「た、…いよう?…これ?…あはは!」
「こら、笑うなナマエ!」



部屋の向こうで何やら楽しそうな笑い声が聞こえて、ノックしようと胸の前で軽く握っていた手を下ろしたアイーシャは周りの目を気にせずそっとドアに耳を押し当てた。



「こっちが"朝"」
「あさ」
「昼」
「ひる」
「夜」
「……ふふっ、つき?」
「なんだよ、月は分かりやすいだろ?」



どうやら昨日渡した絵本の他にマグナスが絵を描いて言葉を教えているようだ。初めてナマエと対面した時とは比べ物にならないくらい彼女はごく自然に笑い声をあげている。


一時はどうなることかと思ったが、医療室に響く笑い声を聞いてアイーシャはほっと胸をなで下ろした。これで、彼女からあの発作が起こらなければもっといいのだが。ドアから耳を話したアイーシャは少々自傷気味に微笑んで取っ手に手を伸ばした。


軽い金属が擦れる音がしてそのまま奥へとドアを開けると、木でできたドアの軋む音が響いた。入ってすぐ右手に設置されているベッドに上半身を起こして座りながら笑っているナマエと、その隣で簡易の椅子に腰かけながら少々恥ずかしそうに羊皮紙と睨めっこしているマグナスの姿が飛び込んできた。



「ふふ、楽しそうですね」
「あ、アイーシャさん!」



まるで花が咲いたように笑うナマエが、マグナスから視線を上げてアイーシャに微笑んだ。屈託ないその笑みにどこか心がほっとするのは彼女の持つ力なのだろうか。


マグナスとは反対側のベッドサイドに簡易の椅子を持って座ったアイーシャはマグナスの持っていた羊皮紙を上からするりと抜き取るとそこに描かれた太陽と月と思われる絵に思わず噴き出した。



「な!アイーシャさんまで!」
「ふふっ、これはナマエも笑っちゃいますよ」



小さな木のようなそれにの隣にそれぞれ違う高さの太陽と、太陽の位置とは逆の位置に描かれた月と思われるそれを見ながらくすくす笑うアイーシャをマグナスは恨めしそうな顔で睨んだが、彼女は全く気付いていなかった。



「それにしても相変わらず貴方は字が綺麗ですね。それがまた対照的で…」



そこまで言って両肩を震わせ始めたアイーシャからふい、とそっぽを向いたマグナスは耳まで真っ赤になっていた。さすがに苛めすぎたのだろうか。アイーシャは短く「ごめんなさい」と微笑むとそっと羊皮紙をナマエの膝の上に置いた。


羊皮紙を受け取ったナマエはアイーシャに微笑んだ後すぐにそれを両手で持ち上げると目の前に広げて「あさ、ひる、よる。たいよう、つき」とぽつぽつとひとりで練習を始めた。



「ところでマグナスさん」
「あ、はい?」



羊皮紙に夢中になっているナマエを二人して横目で盗み見てくすりと笑いを零した。アイーシャに至ってはよほどマグナスの描いた絵が面白かったのか目尻に溜まった涙を人差し指で拭うを「ふぅ」とため息を零していた。



「私は一度デスティンさんと一緒にゼノビアへ戻ろうと思っています。少し気になる情報を向こうからの伝書鳩から頂きました」
「気になる情報?」
「ええ。まだ確定はできませんのでお伝えは出来ませんがこちらに戻り次第お話致します」
「…わかりました」



アイーシャの言葉に素直に頷いたマグナスにアイーシャは「すみません」と一言添えると未だに羊皮紙に張り付いているナマエの顔を覗き込む為に腰を折ってその顔を覗き込んだ。


初めは気付かなかったナマエだったが、何か視線を感じたのか羊皮紙に釘付けられていたオレンジに輝くその瞳をぱちりと一度瞬きさせると「どうしたの?」と言いたげに首を傾げた。



「ナマエ。私、少しここを離れなくてはいけないんです」
「…え?こ、こを?はな…?」
「…そう。でもまたすぐにナマエに会いに来ますからね」
「えっと…また、すぐ、に…すぐ…。あ!はい!」



ここからどこかに帰ってしまうのか。ナマエが表情を歪めたのを見て、布団の上に置かれていたその手をそっと握りしめて言うアイーシャの言葉をぶつぶつと復唱したナマエはアイーシャの言葉の意味を理解してふわりと微笑んだ。



「きっとマグナスさんが傍にいてくれると思いますが…。ね、マグナスさん?」
「…」



ナマエの手を握ったまま視線だけをマグナスに向けたアイーシャはにこりと微笑んだ。


あえてアイーシャの顔を見ないようにしたマグナスは咳払いをすると少し恥ずかしそうにはにかんで首を傾げているナマエのオレンジ色の瞳を見つめた。



「…そうですね。ナマエに言葉も教えてやりたいですし」
「ふふ」
「彼女、すごく呑み込みが早いんです。だからもっとたくさんの言葉を覚えてほしくて」
「そういえばそうですね、昨日は全く会話できなかったのですから。…この調子で頑張ってくださいね、マグナスさん」



そんなマグナスの様子に微笑んだアイーシャはナマエの手をそっと離すと腰を上げた。また帰ってくることは分かっていてもやはり少し寂しそうに眉をハの字にして眉間に皺を寄せるナマエにアイーシャは微笑んで「大丈夫」と呟くと甘栗色のその髪に触れて医療室を後にした。


アイーシャが出て行ったドアを寂しげに見つめるナマエに何と声をかけていいものかわからず口を閉ざしたマグナスは膝の上に置かれていたナマエの小さな手にそっと自分の手を重ねると微笑んだ。


自分の手のひらに重なったマグナスの手のひらに視線を落としたナマエもまた、力なく微笑んで端に置かれていた絵本と羊皮紙を手に続きを教えてとマグナスに差し出した。







Blossom

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