Blossom | ナノ


「だって…あの子が――に受かったのよ。――――――あの子の面倒―――」



――――ねぇぜんぶ、きこえてたよ。



* * *



「―――――っ!」



ガツン、と頭を強く打たれたような感覚に陥った。びくりと体が跳ね上がって勢いよく目を覚ましたけれど、目の前に広がったのはここ最近見続けている朝日が差し込むあの真っ白い天井だった。


ほっと胸をなで下ろして起き上がろうと上半身に力を入れると左手に違和感を感じて起き上がらず首だけを動かして左手に何があるのか確認しようとしたナマエは言葉を失った。



「マ、マグ…!」



そこまで叫んで慌てて口を両手で塞いだ。


ナマエの左手を握っているマグナスはベッドに突っ伏して静かに寝息を立てていたからだ。このままで寒いだろう、何かないかとマグナスが起きないようにゆっくり上半身を持ち上げてあたりを見渡してみたが布団の上に置かれていた自分が着ていたカーディガンしか見つからない。


仕方ないと出来るだけ左手を動かさないように右手だけでその体にカーディガンをかけた。―――が。



「…やっぱり、小さいな」



初めて見た時よりもずっと逞しかったマグナスの体はナマエのカーディガンでは隠しきれない。せめて上半身だけでもと思ったが、腰よりも上の位置でカーディガンが途切れてしまった。


仕方なかったとは言え、自分はあんなにマグナスを拒んでいたというのにこの人はどうしてこんなにも傍にいてくれるのだろうか。上下する背中と、そこに少しだけかかる藍色の髪がさらさらと揺れているのを見ながらふと思う。


昨晩自分を落ち着かせようと耳元で囁かれた「大丈夫」が何度も脳内で響いている。なんて優しい声だったんだろう。次第にナマエの鼻にツンとした痛みが広がっていく。今まさに自分の左手を握ってくれているこの大きな手で、彼は自分の背中を擦ってくれていたのだ。



「……っ、」



見ず知らずの、しかも意思疎通さえままならない人間にここまでできるのはどうしてなのだろうか。右手でマグナスの瞼にかかった前髪を退けると、長い睫毛が頬に影を落としていた。


ぱた、軽い音がしたと同時にシーツに小さな染みが出来た。違和感を感じる頬に手で触れると、僅かにそこは濡れていて。頬から顎に伝ったそれはナマエの左手を掴んでいたマグナスの手の甲にもぱたりと音を立てて落ちた。



「…ん。…しまった、寝ていたのか…」



ゆっくり瞳を開けたマグナスが何かを呟きながら後頭部に手を当てて首を持ち上げる。まだ半分寝ているのか、開き切っていない瞳がどこか可愛らしい。


頭を起こしたマグナスの髪を朝日が照らしてきらきらと輝いている。繋いだ手はそのままにナマエに気付いたマグナスは反対側の手で濡れた彼女の頬に触れてゆるゆると微笑んだ。



「…ナマエ?…泣いているのか?」



目尻に溜まった涙を親指で払ってくれるマグナスの大きな手にナマエはまるでしがみつくように右手腕で抱きしめた。相変わらずマグナスが何を言っているのかは分からないが、あの時のような優しい声に緩く、切なく胸が締め付けられたような感覚に陥った。



「…泣いてないよ…」



少し微笑んだままのマグナスにナマエも首を傾げる。繋がったままの手のひらが暖かい。それをもっと感じたくて強く握ると応えるようにマグナスも強く、けれど優しく握り返してくれた。


ひんやりとした部屋を窓から差し込んだ日の光が少しずつ温めていく。ふたりの間に沈黙が流れたが不思議と苦には感じなかった。頬を包んでくれるマグナスの大きな手に甘えるようにナマエはぴったりとくっついた。…ちゃんと話がしたい。この人が伝えてくれる言葉を理解したい。


途端に部屋を照らしていた朝日が先程よりも強く差し込んでふたりを包み込んだ。朝日に照らされてだんだんマグナスの目が徐々に開かれていく。



「―――…?!ご、ごめんナマエ!俺何して…!」



マグナスの深い藍色の瞳が開き切ると、状況を飲み込めていないのかわたわたとし出した。頬と左手に触れている手を引こうとしたマグナスの手をナマエは強く掴んで精一杯首を横に振った。


そんな彼女の様子を目の前にしてそれまで慌てていたマグナスは観念したのか力なく微笑んだ。もう手を引こうとしないマグナスに安心したのかナマエも力を緩めるとおずおずと口を開いた。



「あの……マグナス…さん」
「?うん」



優しく微笑んだままマグナスが首を傾げた。朝日に照らされたその顔はとてもきれいで、思わず見惚れてしまう程だ。頬に触れたままでいてくれているマグナスの手を包んだままナマエも首を傾げた。


でもどう伝えようか。はたりと動きを止めたナマエに、マグナスは不思議そうな表情を浮かべていたが、すぐに「ああ」と呟いて微笑んだ。



「おはよう、ナマエ」



優しいマグナスの声がナマエの胸に広がっていく。これは挨拶だろうか?思わず嬉しくなって頬の筋肉を緩ませたナマエはきゅ、と掴んでいたマグナスの大きな手を握りしめた。



「お、…お、はよ…う?」



深く澄んだマグナスの藍色の瞳をナマエは強く見つめた。…知りたい。マグナスやアイーシャが口にする言葉の事を。強く握りしめたナマエの手の力の強さにマグナスも自然と力が籠った。



「そう、"おはよう"だ」
「…そ、う?」
「うん、朝の挨拶」
「あさ…の…」
「…ナマエ、君…」



何度も自分の言葉を復唱しようとしているナマエにマグナスが目を見開いた。



「言葉を知りたいの。マグナスさん、教えてください」



いつの間にか頬を伝う涙は止まっていた。目を見開いたままのマグナスにゆるゆると微笑んだナマエはそう言うとベッドに腰かけたまま深々と頭を下げた。自分の世界の言葉だからマグナスには何を言っているのか分からないのは分かっている。


けれど強く握り返される手のひらからマグナスに自分の想いが伝わったのではないか、と感じた。



「…あ、マグナスさんここに居たんですね。皆さん捜していましたよ」
「アイーシャさん」
「ふふ、今日は私ナマエに………あらあら」



遠慮がちに開かれた部屋のドアからひょっこり顔を出したアイーシャが、二人の姿を確認して「お邪魔だったかしら?」とくすくすと綺麗に微笑んだ。


ナマエの頬に触れて、反対側の手はしっかりと繋がれていたのを思い出した二人は慌てて手を離した。



「あら、気にしなくてよかったんですよ?」
「あああアイーシャさん!ナマエに何か用事があったんじゃないんですか?」
「あ、そうなんです。…ナマエ、これをどうぞ」



胸の位置で両手を合わせたアイーシャが脇に挟んでいた小さくて可愛らしい絵で飾られた本を一冊ナマエの前に差し出した。中を開くと案の定見たこともない文字が列をなしているけれど、どれも文字は大きく読みやすいようになっている。


文字だけではなく表紙と同じように可愛らしい絵の描かれたそれは、まるで子供向けの絵本のようだ。練習させてくれるのだろうか。



「マグナスさんがそろそろナマエと言葉を交わしたいって言い出すだろうと思って持ってきました。私のお下がりですが…」
「…はは、」



にっこりと笑顔を向けるアイーシャに乾いた笑いを浮かべたマグナスはまだ赤い顔のままベッドに座ったナマエの方へ体ごと向ける。


可愛らしい絵本を指さしたマグナスが「どうぞ」と微笑んだ。きゅ、と胸が締め付けられるような、けれど何かがあふれ出そうな感覚に、強く絵本を抱きしめたナマエはもう一度座ったまま深々と頭を下げた。



「ありがとう!」



まるで花が咲いたように満面の笑みで、言ったナマエを見てマグナスとアイーシャが顔を合わせて嬉しそうに微笑んだ。



「今のは"ありがとう"でしょうか?」
「そうですね、"ありがとう"だと思います」





Blossom

まるでそれは蜂蜜のような微笑み
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