Blossom | ナノ


布団から飛び出した両肩が寒さから痛みを覚えて目を覚ました。





Blossom


抱きとめた孤独






陽の光が差し込んでいたこの部屋の窓は、きっちりとカーテンを閉められていてそこからは月の光がぼんやりと照らしている程度だった。


壁に添えられた松明の炎がチリチリと音を立てて燃えている。改めてぐるりとまわりを見渡して、硬く冷たい石でできた壁や床に、ナマエは思わずため息を吐き出した。



「…ここは…どこで…」



…自分は誰なんだろう。まさかこんなありきたりな言葉を口にするとは思っていなかった。ベッドに寝転んだところで寝付けそうにもないと感じたナマエはベッドから両足を下ろすと冷たい床の上に足を下ろした。


途端にふるりと震える体を抱きしめてゆっくりと立ち上がる。ひと眠りする前にボロボロだったもともと自分が来ていた服からアイーシャに手渡された服に着替えていたのだが少々薄手だったようだ。


何か羽織るもの、と探したがそれらしいものは見つからず、傍の椅子に掛けてあった元の服からカーディガンだけを手に取ると、肩に引っかけるようにして裸足のままぺたぺたと窓辺まで歩いた。



「…すごい。…きれい…」



きっちりと締められているカーテンを開けてそこから広がった夜空に息を飲んだ。



「こんなにきれいな夜空、たぶん初めてだな」



忘れているだけなのかもしれないけど。何度思い出そうとしても自分の名前はおろか、住んでいた場所まで思い出せない。ポケットから出てきた何かの受験票はなぜかもう見たくなかった。一体自分はどこまで覚えていて、そしてどこまで忘れているのだろうか。


そういえば、あの人の名前はなんていうんだろう。藍色の透き通った髪のあの男性。あの時穏やかな笑顔を浮かべていた彼はアイーシャと名乗ったあの女性と一体どういう関係なのだろうか。



「…アイーシャさん、どこにいるのかな」



はっと気が付いて周りを見渡しても当然彼女の姿は見えない。窓の向こうは明かりも少なく何も見えない。部屋の出入り口に耳を当ててみたところで時間のせいか何も聞こえない。


意を決してドアを開けると、古い木の軋む音が響いた。石でできた床はずっと先まで続いていて、その上には赤い絨毯が綺麗に敷かれている。まるで童話に出てくるお城のようだ。ところどころに松明が置かれているが、ずっと続く廊下の先は薄暗く、若干の恐怖がナマエを襲う。


先程の部屋より心なしか肌寒い。裸足の足がそろそろ感覚を失いそうだ。兎に角ここに居たところで何も進まない。これほど静かなのだから誰にも会うことはないだろうと意気込んで一歩踏み出した。――――が、



「…?城の者か?初めて見る姿だが…」
「っ…や、」



真後ろから突然くぐもった男性の声が聞こえた。それと同時に右肩に硬い何かが乗せられた感触も。


振り返らなくても分かる。どんな格好をしているかはまず置いてこれは男性だ。思わずフラッシュバックするここに来るまでの記憶にナマエは声にならない叫びを上げてその場を駆け出した。



「おい!待て!」



ナマエの後を追う男性の叫び声が廊下に響き渡る。何を言っているのか分からないせいで余計に怖い。ガシャガシャという鉄のようなものがぶつかり合う音がすぐ後ろで聞こえる。何度か後ろの男性の指先が背中をかすめる。


次第に上がってくる呼吸にまだ体力が回復していなかったのかと自分の体を憎らしく思いながら目の前に見えた扉を体当たりするように開け放って外に飛び出る。先程自分が居た部屋よりはほのかに明かりが地面を灯していた。


どこに行ったらいいかもわからず壁伝いに道を曲がったナマエの目の前に、鎧を身にまとった人間がこちらに振り返った。



「ひっ…!」
「何事だ!」
「その娘を捕まえてくれ!城内に居たんだが様子がおかしい!」



後ろの男性が叫んだ瞬間、振り返った鎧の人間もナマエに向かって駆け出してきた。腰にちらりと見えたのは鞘だろうか。片手に持った松明を高く掲げて走ってくる姿にがくがくと両足が震える。前と後ろから聞こえる男性の声に完全にパニックに陥ったナマエはその場に動けなくなってしゃがみ込んだ。



「そうだ、初めからそうして大人しくしていれば…」
「は…ぁ…、げほっ……!」



恐怖で震える自分の体を庇うように自分で抱き締める。急激な運動をしたせいで途端に呼吸がし辛くなる。強く息を吸ったところで耳に届く呼吸音は異様な音のままだ。崩れ落ちる事も出来ず地面に手をついて何度も酸素を求めるように深呼吸を繰り返すが思った以上に肺を酸素が通って行かない。



「お、おい…これ…」



胸が熱くぎりぎりと締め付けられているようだ。頭上で聞こえた男性の声に少し動揺が混じる。今度こそ、もうだめなのかもしれない。荒い呼吸を繰り返しながら瞳を閉じたナマエの耳に聞き覚えのある声が届いた。



「何をしている!」
「マグナスさん!見たこともない少女が廊下をうろついていたので声を掛けたのですが…――――」
「…!少し待っててくれ!すぐそこに向かうッ!」



聞き間違いだろうか。目を見開いて悲鳴を上げる体に鞭打って首だけを声のする方へ持ち上げると一瞬だけ、藍色の髪がナマエのいる場所から丁度真上にあるバルコニーの手すりの場所から見えた気がする。


―――昼間の、あの人だ。こちらに来てくれるのだろうか。嫌な音ばかり発している喉を押さえながらべたりと地面に座り込んだ。



「―――ぅ、げほっ…ゲホッ!」
「お、おい…誰かプリ―ストを呼んだ方が良いんじゃないのか」
「確か今日はアイーシャさんは…」
「無事か!」



息が。激しく咳き込むナマエに動揺しているふたりの兵士の元に息を切らしたマグナスと呼ばれた男性が駆けつける。騎士たちの間でへたりと座り込んでいるナマエを見つけると、目を丸くしたマグナスはすぐさま彼女と視線を合わせるためにしゃがみ込んだ。



「マグナスさん!」
「ふたりともすまないがアイーシャさんを呼んできてくれないか。事情は後で説明する」
「わ、わかりました」



ガシャガシャと二人分の甲冑がぶつかり合う音が次第に小さくなっていく。俯いたまま激しい咳を繰り返すナマエにどうしたものかとマグナスが彼女の顔を覗き込んだ瞬間、眉間に皺を寄せていた彼女はさらに眉間に皺を刻むとがばりと首を持ち上げた。



「いき…が…!ゲホッ!い、き…が…すえな…!!たすけ…」
「―――――っ、クソッ!」



ゆるゆると震える手をナマエがマグナスに伸ばす。昼間、あんなに拒まれていたナマエからこんな形で腕を伸ばされるとは。どうする事も出来ずアイーシャを待つことしかできない自分に怒りを覚えてマグナスがそう叫ぶと苦しさから溢れる涙で濡れたナマエの顔に触れて思わず強く抱きしめた。


それでは苦しい。そう伝えようと身をよじったナマエだったが随分と体力を失っているせいでそれ以上の抵抗は出来なかった。右肩に押し付けられたマグナスの前髪から覗く辛そうな表情にナマエの心臓が意ぢ度大きく跳ねた。



「………マグ、ナ、ス…」



先程騎士が呼んでいたこれは、彼の名前で間違っていないだろうか。息苦しさから全身が震える中、まるで自分の事のように苦痛の表情を浮かべるマグナスにナマエがそっと名前を呼ぶと自分を抱きしめていたマグナスの腕の力が緩んだ。


慌てて大きく息を吸うと聞こえてくる嫌な音に余計に空気が入っていかなくなるような気がした。もういやだ。何度繰り返せばいいのだ。ぎゅうと逆に今度はナマエが無意識にマグナスに巻きつけた腕の力を強めた。こんな右も左も分からないような場所でろくに動けない自分が憎い。



「………―――ナマエ」
「……!」



ふわり。右肩に感じるマグナスからとても穏やかな声でそう呟かれて突然。すっと自分にのしかかっていたものが全部落ちていく感覚を覚えた。目を見開いて首だけをマグナスの方へ向けても近すぎて表情を伺うことはできない。



「…大丈夫」



添えられるように背中に置かれたマグナスの大きな手のひらが優しくナマエを落ち着かせるように上下する。まるで魔法にでもかかったかのように自然に呼吸ができる。ただ名前を呼ばれて背中をさすってもらっているだけだというのに。


こんなに心が落ち着くなんて。マグナスに巻き付けていた腕の力を緩めてずるずると崩れ落ちたナマエはどっと押し寄せる眠気に負けてゆっくりと瞼を閉じた。


腕の中から抜け落ちそうになったナマエを慌てて抱きしめ直したマグナスは涙に濡れたままだった彼女の頬を袖で拭うと、安心したような穏やかな表情を浮かべて眠る姿にほっと胸をなで下ろし、横抱きにして立ち上がった。


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