来週に迫ったテストに向け、靖友の部屋で勉強を始めて数時間。
勉強に飽きたらしい我が彼氏が「ベプシ買ってくっからァ」と席を立ったのはつい数分前のことだ。

私一人の静かな部屋にカチカチと秒針を刻む音だけが鳴り響く。その音がやけに耳について離れない。

……もう駄目だ、無理。

「んー…疲れたぁ…」

持っていたシャーペンを投げ出し、大きな伸びを一つ。(女子高校生らしからぬ音が体からした気がするけど、聞かなかったことにしよう)
襲ってくる脱力感に身を任せてそのまま机へと突っ伏せる。
今まで靖友と言う名の見張りがいたから真面目にやっていたものの、それがいない今、私の集中力は限界だ。

その肝心の彼氏様もまだ帰ってこない。
帰り遅いなぁ。ベプシなんて寮の自販機で買えるだろうに何やってるんだろう。
私も一緒に行けばよかった。

体を起こせば、ふと目に付いたのは閉じられた青いノート。右下にはマジックで書かれた荒北靖友の四文字。汚いわけではないけれど、いかにも男の子って感じの字だ。

その漢字を何気なく見つめていると、ふと気づく。
そういえば靖なんて漢字、他のと比べると普段あまり見かけない気がする。他は日常生活でよく見るんだけど。
なんだか寂しいなぁ、なんて。

何かあったっけ?…あ、靖国神社、とか?

生憎貧相な私の頭ではそれくらいしか思い浮かばない。
何となく気になって鞄からケータイを取り出す。こういう時すぐに調べられるんだから文明の利器様様だ。

「靖」と一文字だけ入力し、そのまま検索ボタンをタッチする。
適当に一番上のページを開けばそこには大きく書かれた一文字とその下に並ぶ小さい文字達。それに目を通していく。
あ、人名用漢字なんだ。どうりであんまり見かけないわけだ。
その意味に目を通していく。

【靖】
じっとして静かな様。

…じっとして静か?
思わず吹き出した。じっとして静か、なんて想像できない。それを言うならまだ東堂君の方が納得できる。

一通り笑った後、再び画面を見ればもう一つ意味があることに気づく。


安らかにする。


それが、靖のもう一つの意味。

靖友。友を安らかにする、か。
ああ、それはなんとなくわかるかも。

そっとノートに書かれた文字をなぞる。

荒北靖友。
名字と名前で正反対の文字が並んでいるのは、少し不思議だ。

でもそれは確かに彼らしい気がした。
荒々しいだなんて言われているし、それは実際その通りだ。短気で口も悪いし、手だってすぐ出る。甘い言葉を言ってくれた回数だって数えるほど。
でも本当は優しくて、一度彼の懐に入ってしまえば、その隣は酷く心地よい。

普段何気なく読んでいるその名前だけど、意味を知れば一段と愛しさが増したような気がした。

なんだかこの短時間で少し賢くなった気がするぞ、私。


「…ンだその顔。気持ち悪ィ」
「あ、おかえりー」

ガチャリと開いたドアの方向を見れば、開口一番がこの言葉だ。
でも「ただいまァ」と返してくれるのだからなんだかんだ靖友は育ちが良いと思う。

「ナァニ、良い事でもあったわけェ?」
「え?なんで?」

隣に座った靖友が頬杖をつきながらこちらを見つめる。首を傾げれば「顔、スゲェ間抜け」と返された。

そういえばさっきもツッコまれたっけ。そんなに緩んだ顔をしてるのだろうか。完全に無自覚だ。

「んー。良い事っていうか、靖友の名前調べてた」
「ハァ?」

思いっきり顔を顰め「ナァニ下らねェことしてンだヨ、テメーは」と返す彼のそれが照れ隠しなことくらい明白だ。

「暇だったんだよ。プリントも終わらせちゃったし。というか靖友が中々帰ってこないのが悪い」
「アーハイハイ。ゴメンネ」
「心が籠もってない!」

「頑張った私にご褒美寄越せ」と強請ってみる。例の如く怒られるかと思っていたのに「オラ」と私の頬に何かが当てた。
驚きながらもそれをよく見れば私の好きなココアで。…あれ、でもこれって

「…これ、寮の自販機じゃ売ってないよね?」

わざわざ寮から出ないとこれは買えないはすだ。
まさか外まで行ってくれたのか。それなら帰りが遅かったのも納得だ。
じっと靖友を見つめれば気まずそうに目線が逸される。あ、これは図星だ。

「わざわざ買ってきてくれたんだ」
「っせ!黙って飲めバァカ!」

外方を向かれてしまったけれど、その頬が朱に染まっていることくらい見なくてもわかる。
胸にじんわりと広がるのは暖かな感情。ああ、やっぱり好きだなぁ。
緩む頬のまま「靖友、」と名前を呼べばチラリと視線だけこちらに戻される。

「ありがとね」
「…ン」

口付けたココアは、いつもより甘い気がした。

それ等を飲み干してしまえばお互い沈黙が続く。
でもそれは苦痛なんかではなくて、ゆったりと流れる時間が心地よい。このままずっとこうしていたいと願うのは、私の我儘だろうか。
永遠なんてあるはずがないのはわかっている。それでも今胸に込み上げる感情を二人同じものだと確かめたくて私は彼に形にしてほしいと強請るのだ。

「ね、」
「ア゙?」
「もう一つご褒美にキス、して欲しーな」

へらりと笑えば「ハァ゙ッ!?」と素っ頓狂な声が返ってくる。
けれど体をこちらへ向ける様子を見ると、どうやら嫌ではないみたいだ。
ちりり、と私を見つめるその瞳の奥に熱が見えたような気がした。

「…襲われても知ンねーぞ」
「靖友君が待てのできる狼だってこと、知ってますから」

そう返せば小さく舌打ちを零される。

靖友は私に無理をさせることはない。嫌だと言えばやめてくれるし、我慢だってしてくれる。
我ながらよく躾けられた彼氏を持ったものだと思う。(先日これを東堂君に零したところ「それは名字だからだろう」と呆れたように笑われてしまった)
それをわかっていながら「待て」をさせる私は、もしかしたら悪い女なのかもしれない。

「靖友、」
「ア゙?」

優しいだなんて言ったらきっと、顔を赤くしながら怒鳴って否定するのだろう。
そんなことないのに。靖友が本当は優しいことを知ってるから、みんな君が好きなんだよ。

「好き」
「…バァカ」

だってほら、口付けはこんなにも優しい。


優しい獣


(20141227)

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