(※ホラー小説です。苦手な方は閲覧をお控えください)

髪がベッタリと首に張り付く不快感に眉を顰め、手首に嵌めていたゴムで一つに括った。
しゃくり、と齧ったアイスの冷たさが口の中に広がる。自室のドアを開ければ、むわりと篭った空気が肌を包み、慌てて机の上のリモコンを手に取った。スイッチを押せば、暫しの間重い音が響いた後、冷たい風が部屋全体に吹き渡る。数分もすればこの茹だるような暑さもなくなるだろう。文明の利器様々だ。

椅子に腰掛け、目の前の机に置かれたパソコンの主電源を入れれば独特の起動音が響いた。文字を打ち込み、表示された検索結果の一つをクリックすれば、ズラリとスレッドのタイトル一覧が表示される。所謂ネット掲示板という物だ。
この手の掲示板は意外に面白く、暇潰しには丁度いい。

適当に眺めていれば、ふと一つのスレッドに目が止まった。オカルト板か、と見慣れたそのページを見つめる。
こういった類の話はわりと好きな方だ。そうでなかったら、こんなもの覗かない。


すみません。こういうの書き慣れてなくて。拙い文章になると思いますが、よろしければ少しお付き合い下さい。

こんなネットの掲示板では珍しい、やけに丁寧な口調だと思った。それが不慣れなのだということを改めて私に認識させる。

何故か無性に彼女の話が気になって、いつの間にか続く文字を目で追っていた。

私の名前を、仮に名前とでもさせてください。私はとある高校で自転車競技部のマネージャーをしています。
ロードレースって、皆さんご存知ですか?
ほら、毎年ツール・ド・フランスってあるじゃないですか。あれです。うちの高校、強豪で有名なんですよ。

……ごめんなさい、話が逸れましたね。本題に入りましょうか。

それはだんだんと日差しも強くなり始めた、蝉の声がやけに耳につく、とある夏の日のことでした。

ロードレースって、もちろん外を走るわけですから、当然マネージャーもそこについて行くことだってあるわけです。
その日も私は外へ出て、タイムを計っていました。先頭がそろそろゴールしそうな時のことです。

「ねぇ」とまるで耳元で誰かが発したように、鮮明にその声は聞こえました。
聞き慣れない声に慌てて辺りを見回すと、いつからそこにいたのでしょうか。
一人の女の子が立っていました。
ぱっと見、小学校低学年くらいで、何故だかその子の顔はよく見えなかった記憶があります。

その時私は、違和感を拭えませんでした。
だって、外と言っても選手が思いっきり走れるような場所を選ぶわけですから、人が少ない所が多いんです。
車やバイクが通るのはわかりますが、そんな場所に小さな女の子が一人でいるなんて変だなって。

何かがおかしいと私の中で警告が鳴り響く中、彼女の口元がにんまりと、三日月のように弧を描きました。

「あそぼう」

その瞬間、強烈な寒気と吐き気が私を襲い、思わず手で口元を覆いました。私の全てが、目の前の存在を拒絶していたのです。
それが何故なのかは私にもわかりません。これが世に言う第六感、というものなのでしょうか。

俯いた顔を上げた時、そこに少女の姿はありませんでした。私はただ、陽炎でユラユラと揺れるアスファルトの上を見つめるばかりで。

気味が悪いと思いましたが、言ったところで熱中症にでもなったのだと心配されそうなので、誰にも言うことは出来ませんでした。意外と心配性なうちの主将に話して部活参加禁止を告げられでもしたら、たまったものじゃありませんから。
そうして、その日の部活は終わったのです。

異変が起こったのは、その日の夜でした。
いつも通り家に帰った私は、夕飯を食べてお風呂に入って、少しだけ勉強をして。選手ほどじゃありませんがやっぱり部活は鬼のようにハードで、いつもそうしてベッドに倒れ込んで死んだように眠ってしまうんです。だからその少女のことなんて思い出す余裕はなくて。

そうしてその日、私は夢を見ました。

夢の中で私は、暗闇の中をひたすら走っていました。昼間の熱が消え失せたアスファルトの上を蹴る感触がいつもと違って、そしてやけにリアルでした。

でも、その夢の中の視界はやけに低くて……そう、ちょうど小学校低学年の子供くらいの目線です。
走りながらもやはり夢だからなのか疲労感はなくて、私はただ流れていく景色を眺めていました。
それだけの夢だったのです。

それが、一日目のことでした。

また夢を見たのは、その翌日の夜です。
私はそこでもまた走り続けていて、夢の中でも「あ、これは昨日の続きだな」ってぼんやりと思いました。
ただ前日と違ったのは、ふと見たことのある建物が映ったことです。あれ、と気付いた時には既に朝でした。

それが何だか思い出せなくて、もやもやと消化不良を起こしたような気持ち悪さだけが残っていたのです。

目覚めてからもそのことばかり考えていたせいかその日は一日中ぼんやりとしてしまって、部活でも心配されてしまいました。我ながら情けない話です。

その正体がわかったのは、その日の夜のことでした。
夕食も入浴も済ませ、いつも通りベッドに入ろうとしたその時。そこで漸く、私は気づきました。

あの建物は、間違いなく私の通っている学校だったのです。何故夜まで気がつかなかったのか、今でも不思議で仕方ありません。でもその時までは、まるで記憶が海の底に沈んでいたかのように、奥深くまで眠っていたのです。
そうすればまるで、バラバラだった記憶が、一本の糸になるように繋がっていきました。私が夢で見た光景。それは、私があの日例の少女と出会った場所から学校までの帰り道と同じだったんです。

その時、ふと一つの考えが浮かんで、私は凍りつきました。
だんだんと、我が家へ近づいて来るのです。……いえ、家の中にいる"私"に近づいて来ていると言った方が正しいですね。
私の家は、学校からその場所と間逆の方面に位置しています。つまり、例の場所から我が家へ来るまでは必ず途中で学校を通ることになります。昨夜見たあの夢が、何よりの証拠でした。

そうして、同時に理解しました。

これは"鬼ごっこ"なのだ、と。

そうすれば段々と近づいて来ることも、あの子が言った遊ぼうという言葉も辻褄が合います。

その時私は、パニックになっていました。学校から我が家までは、数キロもないのです。近さを理由に選んだ高校なのですから。しかも、生憎なことに私の両親は共働きで家に帰って来ないことも度々あります。その日も例外ではなく、一人でそんな空間にいることなど耐えられなかったのです。

時間がないと、もうすぐあの子がやって来ると焦った私は気づけばパジャマ姿のまま家を飛び出していました。どこへ向かおうかなんて全く考えていません。ただひたすら、あの少女から少しでも遠くへ離れようと、やって来る方面の反対へと駆け出しました。

鬼ごっこ。鬼は彼女で、逃げるのは私。
捕まったらどうなるのだろうとその恐怖でいっぱいで、ただひたすら、足がもつれそうになりながらも走り続けました。

そうして暫く走っていると、私の前方によく見知った色と後ろ姿が見えたのです。
思わず声を上げれば、それはキッとブレーキを踏むとこちらへ振り返りました。
そこにいたのは、同じ部活の同級生であり、レギュラーの男子でした。
彼の愛車は綺麗な空色をしていて、それは暗闇の中でも鮮やかに私の目に映っていたのを、今でも覚えています。

仮に彼をAと呼びますが、Aは鼻が利くことで少し有名なんです。そんなA曰く、その時私の後方からやけに生臭い、まるで血のような臭いしたそうです。

寮生のAが何故わざわざこっそりと寮を抜け出してまでこんな時間に走りに出たのは、今彼自身に聞いてもわからないと言います。ただ、胸騒ぎがしたとだけは言っており、彼の言葉を借りるとしたら"野生の勘"というものでしょうか。

そのせいか、こんな時間にパジャマ姿で息を切らしている私に何も聞くことはなく、ただ焦ったように「早く乗れ」と自身のロードを指しました。きっと、彼も肌で得体の知れない恐怖を感じとっていたのでしょう。

そうして、鍛え抜かれたAの足がペダルを回し始めした。ロードバイクに荷台なんてありませんから、私がサドルに腰を下ろしAがダンシング(立ち漕ぎと言ったらわかるでしょうか)で走り続けます。

そして、走っているとふと音が聞こえ始めたのです。
ペタペタと、まるで人間が裸足で地面を走っているかのような、そんな音。

あの子だと、すぐにわかりました。

それは段々とハッキリ、大きくなっていくのです。それは、間違いなくあの子が追って来ている証でした。
Aも汗だくになりながら「くせェ」と忌々しげに呟いていたのが記憶に残っています。
今思えばきっと、私が見ていた夢は私を追いかける彼女の視界だったのでしょう。そうすればあの視点の低さも、足の感触の違和感も納得がいきます。

それからのことは、よく覚えていません。二人で我武者羅に逃げ続けて、見つけたコンビニに二人で駆け込んで。よっぽど酷い顔をしていたのでしょうか、こちらを見た店員がギョッとしたのを覚えています。
明るい店内と、店員の心配する声を聞いた瞬間、全身の力が抜けてしまいました。
それから二人で朝になるのを待ち、夜が明けると急いで神社へ行きお祓いをしてもらいました。その時貰った御守りは、今でも手放せません。

そこで聞いた話によると、どうやら私が彼女に狙われたのは本当に"偶々"だというのです。
偶々あの日、あの場所で、彼女と波長が合う私が立っていたから。ただ、それだけのことです。

こっちからしたら、そんな迷惑な話ってありませんよね。私はそんな偶然であんな思いをしたのか、って。

でも、なんとなくわかる部分もあるんです。
事故、病気、天災、殺人、その他。
人間って、自分じゃどうしようもない理不尽な理由であっさり死んでしまったりするんですから。それを天命だと言ってしまえばそれまでなんですけどね。

この怪異が終わった今、私もAも何事もなく無事に部活を続けています。幸いなことに、あの時二人乗りしたことによって彼の愛車のフレームにヒビが入ることはありませんでした。それが唯一の救いです。あのロードは、彼にとっての宝物ですから。

ただこの事は、今日まで誰にも話していません。

私の話はここまでです。

お付き合い、ありがとうございました。

そして、ごめんなさい。

私は自分の想像以上にどうしようもなく臆病者で、そして卑怯な人間でした。

私がこの事を周囲に話さなかった理由は、ただ一つです。
巻き込みたくなかったから。
ただ、それだけ。

霊というものは、自分の存在に関心を寄せる人間や、存在を認識している人間に寄り付きやすいのだと知りました。
この掲示板は、こういった類に興味のある人間しか覗かない。そして、私が今皆さんに話したことで彼女の存在が知られました。
あとは、その"偶々"が起きるかどうかなんです。

この文章を打ち込んだ段階では存在を認識しているのは私と、そしてAだけです。
もしあの遊びに二度目があるのだとしたら。それにAが巻き込まれたら。あの綺麗な空色が血に濡れることがあったなら。
私はきっと、耐えられません。

だからこうして、この掲示板に投稿しました。
そうです。言ってしまえば私は、皆さんを利用したんです。
顔も知らないネット上の人間を、生贄にしました。

この文章を打ち込んでいる今も、何かに見つめられているような気がするんです。

彼女はきっと、次に自分と遊ぶ相手を探している。
根拠はありませんが、私はそう確信しています。

こんなことをしておきながら言うのは酷く身勝手ですが、一言だけ言わせてください。


どうか皆さん、逃げきって。



気づけば、指先は酷く冷えていた。
否、指だけではない。全身の毛穴が開いたように肌が粟立っている。夏とは思えぬその寒さに思わず身震いした。
冷房が効きすぎたのだろうか。

設定温度を上げよう。椅子を引き、立ち上がろうとした、その時。

カチャリ、金属が動くような、そんな音。私の後ろから響く、キィッという木製のドアが軋んで開く軽快な音が、何故だか私に重くのしかかった。

カタカタと震えが止まらない。
聞こえた音は間違いなく誰かがそこにいる証拠なのに、その正体が誰かわからなくて。

振り向きたいのに、体が言うことを聞いてくれない。それほどまでに脳が、本能が、振り返ってはいけないと私に告げていた。

ふと画面を見つめれば、スレッドに新しく書き込みがされている。その書かれた言葉を目にした瞬間、次の瞬間自分の身に起こる惨劇を容易に想像出来た。
ああ、そうか。


私はきっと、逃げられない。


「つかまえた」


そう、耳元で笑う声が聞こえた気がした。



次は、あなたのところへ行くね


鬼さんどちら、手の鳴る方へ
(小花衣様主催の箱根山中肝試し様に提出させていただきました)

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