自室のドアが閉まると同時に私はベッドへと倒れ込んだ。ボフリと音を立て体が沈む中、制服脱がないと皺になっちゃうなぁと頭の隅で考えるものの動く意思は全くない。私の思考は別のことでいっぱいだった。

家に帰った今もさっきの光景は私の頭から離れず、思い浮かぶのは荒北君の姿。人目も気にせずロードに乗ろうと必死になっていたその背中。

見つめた顔は、まるで別人だった。
目が合ったあの瞬間、彼は私なんかを見てはいなかった。もっとずっと先、遥か遠くを射抜くように見つめるそれは獲物を前にした獣を彷彿させた。

思い出す度心臓が締め付けられて、指の先まで熱くなる。ドクドクと波打つ自身の拍動がやけに鮮明に聞こえた。

叶うことなら、ずっと見つめてたかった。
今だって抱いた思いは変わらないまま。

ただ、ただ伝えたいと思った。かっこよかったよ。頑張れ。乗れるようになるといいね。私が力になれることってあるかな。

溢れるように言葉が湧き上がってくる。

だけど、どうすればいいんだろう。行動を起こすにしたって漠然としすぎている。もしこれが女子に人気だと噂の東堂君や新開君への話だったらファンクラブにでも入ればいいのかもしれないけれど、荒北君にそんなものがあるなんて話聞いたことがない。
じゃあどうすればいい?
直接会いに行って伝える?そんなの変な奴だと思われるに決まってる。第一、そんな悪目立ちするような行為をする勇気なんて持ち合わせていない。
応援したいとは思ってみたものの、私のこの性格が変わったわけではないのだ。

(……とりあえず、課題やっちゃおう)

行き詰まった思考回路から逃げるように床へと放置していた鞄から教科書とノートを取り出し、長年愛用している勉強机の上に乗せる。

パラリとノートを捲ったその時、思わず手を止めた。

応援。伝える。紙。

それぞれが合わさり、一つの単語が浮かび上がる。
次の瞬間私は、弾かれたように机の引き出しを漁っていた。




:




飲み干したベプシのペットボトルをグシャリと握り潰し、そのまま近くのゴミ箱へと放った。
放物線を描いたそれは小さく音を立てゴミ箱の真ん中へと沈む。
その一つ一つがオレの神経を逆撫でしているように感じた。

思い出すのは鉄仮面の言葉。

「満足したら自転車を返せ。満足してないのならそいつでもう一度部室に来い」

響いて離れやしねェその声。

忘れちまえ、あんなヤツ。あんなモン。何度も自分に言い聞かせた。

けど、忘れらンなかった。
……違ェ。忘れられねェ、っつーより思い出したんだ。
掌に当たる硬い感触。熱が灯る指先。額に伝う汗。
懐かしいと、そう思った。
それはもう忘れちまったとばかり思っていたモンだったのに、体が覚えていた。知っていた。

何かに必死になるなんてダッセーと思ってたはずなのに、その否定してたモンに負けて。

(……一体、何がしてェんだ)

それはオレと鉄仮面、どちらに向けて投げかけた問いなのかわからなかった。

下駄箱の蓋を開ければいつも通りソコにはオレの靴。
けど一つだけ、いつもの違うモンが置かれていた。ンだこりゃ、

「……手紙ィ?」

白く四角いソレは、どっからどう見たって手紙以外の何物でもねェ。

ハッ、どうせ目障りだっつー悪口でも書いてあンだろ。
それくらい痛くも何ともねェ。オレが嫌われ者なコトくれー、とっくに知ってんだヨ。
こゆ陰湿なのが一番頭にくンだ。コソコソと隠れるくっせードブネブミのニオイが手紙からも臭うような錯覚がする。
すぐさま破り捨ててやるつもりで二つ折りの紙を開けば、そこには予想外の言葉が並んでいた。

『拝啓 荒北靖友様』

小さく少し丸っこい女特有の字が並んでいるのが目に映った。
拝啓、様、見慣れない単語に一瞬思考が停止する。
ワケがわからなく、すぐさま捨ててやるはずだったそれを読み進めれば『突然お手紙を差し上げます失礼をお許しください。』と続けられていた。その文章の堅苦しさに思わず顔を顰める。教師からの手紙じゃねェんだぞ。

『昨日自転車に乗られている貴方をお見かけし、その思いをお伝えしたく筆を執らせていただきました。』

その文に頭に過ぎったのは例のハリガネみてーな自転車。
そういや通行人がいたなと思い出す。バカみてェに自転車に跨ってはコケてたオレを笑うんだろうと、そう思った。
別に褒められてェだとか、んなモンを期待してたワケじゃねェ。
別に笑われんのも気にならなかった。事実、あん時は周りの目なんざどうでもよくて、ただ鉄仮面は乗れてオレが乗れねー事実が無性にイラついた。
そして今も、その苛立ちは収まンねェままだ。

書かれているであろう罵詈雑言なんて鼻で笑ってやろうと思ってたはずなのに、

『例え何度倒れようと前に進もうとされる貴方様の御姿に心惹かれました。影ながら応援しております。』

「ハァッ!?」

思わずそう叫び目を剥いた。
こいつ……頭オカシイんじゃねェのォ!?

心惹かれた?応援?

それ等が自分に向けられるようなモンじゃねーコトはとっくに知っている。オレに向けられるのは嫌悪や腫れ物を扱うような視線だけ。なのに、こいつは。
他の男と間違えてンのかと見返したが文頭に並ぶのは間違いなくオレの名前。流石に同姓同名のヤツなんているはずもねェ。つーことは、この手紙は紛れもなくオレに宛てたモンになるワケで。

(……イヤイヤありえねーだろォ!!)

その考えはコンマ三秒で却下された。
おちょくってやがンのか!?オレが喜ぶワケねーだろバァカ!!
きっと新手の嫌がらせだ。じゃねーと辻褄が合わねェ。苛立ちをぶつけるように握り締めればクシャリと音を立て、その紙はいとも簡単に歪な形へと変わった。

「……ア゙?」

パラリ、と何かが落ちるのが目に映る。拾ってみりゃァそれは、中学ン時にだいぶ世話になった記憶のあるモンだった。

(……絆創膏?)

それも一枚じゃねェ。三枚綴りになってるモンが二つ。合計六枚。

まさか、頭を過ぎった考えを否定するため咄嗟に先程丸めた紙を乱雑に開いた。ソコには文字の羅列。それを一字一句目で追っていけば皺のせいで歪んではいたものの、確かに『御身体大事になさってください。』と書かれている。
丁寧に書かれた字と絆創膏。それは否定どころか肯定そのものだった。

こいつ、マジでオレのコト心配してンのか。

心の中で呟いたその言葉に苛立ちも喜びも浮かんではこない。ただそれはグワンと何かで叩いたみてーにオレの頭を揺さぶった。

歪なままの手紙に視線を落とし、今度はゆっくりと。
元の形になるように皺を手で伸ばしてみるものの、端は所々破れているという無惨な結果。
オレがやったのかと思えばチクリと罪悪感にも似た何かで胸が痛んだような気がした。
少しの逡巡の後、その紙を最初と同じ二つ折りにし絆創膏と一緒に封筒に入れズボンの後ろポケットへと突っ込んだ。
小さく舌打ちを零しながら早く帰って寝ちまおうと心に決める。

長袖に隠れた昨日の傷が痛んだのはきっと、ただの気のせいだ。


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