「うわぁ……」

靴箱で何気なく腕時計を見れば、針の指し示す時刻に辟易した。部活をしている人間にとっては早い時間なのだろうけど、帰宅部としてはかなり遅い。
今日は美化強化日なるもので、そんな日に限って私が担当だったのだからついてない。そのうえもう一人の当番である男子の欠席により私一人になってしまったのだからもう最悪だ。

今から帰って家に着くのは何時頃になるのだろう。
数Iの課題が出ていたから早く帰りたかったのに、と一人悪態をついた。

この箱根学園には寮があるけれどスポーツ推薦や自宅から距離が離れている生徒が優先される。寮を希望したものの呆気なく落とされてしまった私は当然自宅からの通学だ。
自宅から箱学までは電車で三駅だけど、駅から学校まで少し離れている。遠いと言い切れる距離ではないけれど決して近いとも言えない距離。
他の私立では駅からバスを出してくれるなんてところもあるが電車を使う生徒は殆どいないため箱学ではバスは出されない。電車通学だから自転車など使えるわけもなく、かなり面倒だ。

こうなったら早歩きでもして少しでも早く帰ってやろう。(ここで走ろうと思えないのが私の体力の無さを表していると思う)
ぶわりと吹いた追い風に乗せられるように、私は一歩踏み出した。


;


そうして、数分経った頃だった。

ガシャン、と何かが倒れるような音。
それは私の前方からで、少し歩けば一人の人物の姿がハッキリと視界に映る。
その瞬間、私の足は地面に縫い付けられたようにそこから動くことが出来なかった。

「クソッ!」

そう叫んでいるのは、間違いなく荒北君だ。その特徴的な髪型と聞き覚えのある声が証拠。

ただ、彼が跨っている物を目にして違和感を覚えた。

(自転車……?)

あくまで聞いた話だけど、彼はバイクに乗っていたはず。なのに今私の目に映る彼が乗っているのは自転車。それも、私の知っている物とは少し形が違う。確か……チャリ部が乗っている自転車だ。
うちの箱根学園には自転車競技部と言う珍しい部活があって、しかも王者と呼ばれているらしい。そんな部活が使っている物を、どうして荒北君が。

疑問に思う中、青と緑が混じったその綺麗な空色が目に焼き付いて離れなかった。



「あ……!」

再び音を立て、自転車と荒北君が地面に倒れ込む。すぐに立ち上がった荒北君はそのまま自転車を起こし、またそれに跨る。フラフラと覚束ない姿は酷く危なかっしい。実際何回も転んだのだろう、半袖から覗く腕には血が流れていた。

ただその姿を見て私が思うのは"無理しないで"だとか"やめてほしい"なんて、そんな心配ではなかった。

丸められた背中を見つめれば、胸の奥から溢れてくるのは一つの思いだけ。


──────頑張れ。


口に出しかけたその言葉を思わず飲み込む。なんだか今の荒北君に声を掛けるのは躊躇われる気がした。
けれどその思いは止まることはなく膨らむ一方で。
何かしたい。応援したい。
前に進もうとする彼の背中を、少しでも押す手助けができたらいいのに。

ぐるぐると迷走する思考の中、知らないうちに握り締めていたスカートの皺が視界に映った。

「見て」

突然隣から笑い声が聞こえる。その声にハッとすればそこには二人の女の子がいて、荒北君を見て笑っていた。
彼女の口から発せられる言葉は荒北君を馬鹿にするもので、好奇の眼差しが彼に向けられる。
違うよ、かっこ悪くなんかないよ。
否定の代わりに咄嗟に荒北君の方へと目をやれば視線が交錯する。
その瞬間、脳が警報を鳴らした。

「           、」

零れた言葉は聞こえない。それはきっと、私の激しく波打つ拍動にかき消されていたのだと思う。
まるで心臓が鷲掴みされたように胸が苦しくて締め付けられる。
自分でもわからない。けれどこれ以上彼を見つめてはいけないと、そう本能が告げていたのだ。

気がつけば私は、逃げるようにその場から走り出していた。


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