「あ、文乃ー」
「菜々?」

夏の暑さも落ち着いた、とある秋の放課後。
借りていた本を図書室へ返し終え教室に戻れば、そこには見知った友達の姿。
彼女の周りには同じ部活なのだろうか、活発そうな女の子達数人が机をくっつけ座って話していた。

「部活はどうしたの?」
「それが今日は顧問が急遽出張になったとかで休み」

「だからみんなでお菓子パーティーしてるの」と笑う菜々の言葉に机達を見れば全てに何かしらのお菓子が置かれている。
チョコにポテチにビスケットから始まりグミに飴にお煎餅、梅昆布なんて物もある。よくみんなそんなに持ってたなぁと思わず感心した。

「ね、せっかくだし文乃もおいでよ」
「え、いや……私お菓子持ってないし……」
「いーから!そんなの気にしないっての!」

でも、と言いかけ、上手い言葉が見つからず口を噤む。
お菓子を持っていないということもあるけど、この中で私が面識があるのは菜々だけだ。いきなり部外者の私が入ってしまったら気まずくならないだろうか。
そんな私の不安を他所に、菜々は「ほらほら、ここ座んなって」と新たに椅子を持って来てくれた。
そこまでしてもらっては断るのもしのびなくて、おずおずとその椅子に腰掛ける。

「いきなりお邪魔しちゃってごめんね」と謝れば即座に「いいよいいよ」「よろしくね、文乃ちゃん」「あ、ポッキー食べるー?」などと屈託のない笑顔を周りから返してもらいほっと胸を撫で下ろす。

軽く自己紹介を済ませれば、話し始めた彼女達の口が止まることはなかった。
菜々もそうだけど、きっと彼女達は噂話に敏いのだろう。おそらく疎い方に分類される私にとっては知らない話ばかりで、私はただ驚きながら相槌を打つだけだった。
だから突然話題の矛先が自分に向いた瞬間、反応するのに数秒かかってしまったのだ。

「ね、文乃ちゃんは彼氏っていないの?」
「え!?」

その言葉に思わず持っていたポッキーを落としそうになる。自分の名前が呼ばれたのは聞き間違いじゃないかと思ったけれど、彼女達を見つめれば興味津々とわかりやすく顔に書いてある。
一拍置いてから苦笑を浮かべ、言葉を返す。

「私にいるわけないよ」
「えー。……あ、でも好きな人はいるでしょ?この学年かっこいい人多いもんね!」

「サッカー部の松野君に野球部の山本君、テニス部は白石君だしバスケ部は福井君!」と楽しそうに話す彼女の口から出るのはなんとなく聞いたことのある名字達。
そういえば前、菜々が「少しは興味持ちなって」って教えてくれたんだっけ。
それ等をぼんやりと聞いていれば「あ、あと」と続いた言葉に思わずピクリと肩を跳ねさせた。

「チャリ部の新開君と東堂君とか!」

その言葉に反応して「あ、私東堂様ファンクラブ入ってんのー」なんて周りからケラケラと笑う声が聞こえる。けれど私は、笑う余裕なんて持てなくて。
チャリ部。その響きを耳にして即座に思い浮かべたのは、新開君でも東堂君の姿でもなかった。

「あ、チャリ部と言えばまた表彰されてたよね」

彼女はきっと今朝の全校朝礼のことを言っているのだろう。 そこで毎回と言っていいほど表彰される自転車競技部に、今回初めて彼の姿があった。

「荒北、確か二位で表彰されてたっけ」

そう、荒北君だ。
初めて、彼の名前が全校の前で呼ばれた。
その瞬間、全体の空気が騒ついたのを覚えている。確か真鶴の時もそうだったけれど、それ以降特段名前を耳にすることもなかった生徒達は突然のその出来事に動揺が隠せなかったらしい。

どうやら今回のレースは団体としてではなく、個人として出場したようだ。どちらにしても毎回優勝という響きの後には箱根学園という名詞がくっついているのだけれど。今回も例に漏れず優勝は福富君だった。
だけどみんな、興味は突然脚光を浴びた彼に向いている。しかもそれが一年の頃は良い噂を聞かなかった彼なのだ。目の前の彼女達も例外ではなかった。「荒北?」と隣から不思議そうな声が上がる。

「え?どうしたの?なんかあったの?」
「はぁ?アンタ全校朝礼聞いてなかったの?」
「いやー、それが昨日夜更かししたから全校朝礼寝ちゃってさー……」

えへ、とバツが悪そうに笑うその子に菜々が「チャリ部の大会、二位だったんだって」と教えれば「えーっ!?」と信じられないとでも言うような大声。

「荒北って一年の頃ヤンキーだったあの!?」
「そーそー。あの今時珍しいリーゼントだった奴。突然髪切ったかと思えばチャリ部入ってこれだもん」
「チャリ部って練習バカみたいにキツイんでしょ?あいつよくそこまで続いた……っていうかそんなレベルまでいったよね」

その話を聞いていれば、懐かしさが湧き上がる。
懐かしい、そんな頃もあったっけ。

初めて荒北君を見た時は一生関わらない人だと境界線を勝手に引いていた私が、自らその線を飛び越えて彼に近づこうとするなんて。そんなの誰が予想しただろうか。

そういえば、初めて荒北君が自転車に乗った姿を見た時もあの髪型だったなぁ。
それから髪を切って。そうだ、確かその姿を初めて見た時、荒北君は頑張りすぎて倒れたんだっけ。
それが今じゃ、表彰されるくらいになって。やっぱり凄いなぁ、荒北君は。

僅かな時間で目まぐるしいほどの変化を見せる荒北君。
それに比べて私は、何か変わったのだろうか。
ふと思い浮かんだ疑問の答えを考える暇もなく、次の瞬間聞こえた声に私の意識は持っていかれた。

「意外とあいつ凄かったんだねー」

知ってるよ。

咄嗟に上げたくなった声をギリギリのところで呑み込んだ。それでも私の中は言いたい言葉が洪水のように溢れ返っていて。

そうだよ、荒北君は凄いんだよ。
努力家で、真っ直ぐで。私は、ずっと前から知ってるんだから。

ぐしゃり、握りしめたことにより制服のスカートに皺が出来る。それを見た瞬間、何を、とふと我に返った。

なんで私は、こんなにムキになっているんだろう。

荒北君を褒められて、本来なら嬉しいはずなのに。
事実、今朝の表彰の時は嬉しかったし、どこか誇らしかった。荒北君を馬鹿にしていた人達も、これで何も言えなくなるって。みんなが荒北君を認めてくれたら、凄く嬉しいって。勝手にそう思ってた。

それなのに今、この感情は何なのだろうか。
褒めるなんて今更だと思ったし、知らないでいてほしいと思った。胸に抱えたのは子供が玩具を取られたような独占欲。
まるで、私だけが荒北君を、彼の努力を知っていればいい、なんて。

そんなの矛盾もいいところだ。
ぐらぐらと揺れる感情にどうしていいかわからなくて、戸惑うことしか出来ない。

そんな私のもとに、追い打ちをかけるような言葉が聞こえた。

「でも荒北ってさ、ちょっとかっこいいかも」
「っ!」

ガタン。思わず椅子から立ち上がった私に一斉に視線が集まる。その視線に体が固まった。突然の事態に、自分でも脳の処理が追いつかない。

「……文乃?」
「っあ、ううん、なんでもない。ちょっと虫がいたからびっくりしちゃって」

不思議そうに私の名前を呼んだ菜々の声で漸く言葉を絞り出せた。そのまま誤魔化すように笑って席につく。

「何かと思ったよ」とカラカラと笑う周囲にぎこちない笑みを浮かべながらも、私の耳には何もないってはこなかった。

(……無意識、だった)

膝の上で置いた手にきゅっと力を入れて握りしめる。
気づけば私は、その言葉を聞きたくないと遮るように立ち上がっていて。一歩間違えば完全に場の空気を壊してしまうような、そんなこと、普段だったら絶対にしないのに。

最近、自分で自分がわからなくなる。
何もかもが掻き乱されてグチャグチャになってしまう。

それは荒北君の走っている姿を見た時のような、前後不覚に陥る激しいものではなくて。自分の中の奥深くからドロリと黒いものが溢れ出して染まってしまうような、じわじわと浸食していくもの。

それに呑まれてしまう自分が嫌で仕方ない。でも自分では制御出来なくて、その黒に溺れないようにともがくことで精一杯だ。

気分を少しでも変えようと口の中へ放り込んだチョコは味がしなくて、ただ溶けていくのを待つだけだった。


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