春。私は無事進級し、晴れて二年生となることが出来た。
そうして約二週間。新しいクラスの雰囲気にも慣れ始め、少しだけ余裕が出来るこの頃。

少し遅めの箱根の桜を、ぼんやりと横目で追い越しながら私は歩いていた。
今度の手紙を書き出しは、桜についてにしよう。そう頭の隅でメモをとる。

私と荒北君の関係は未だに続き続いていて、唯一変わったところと言えば私が畏まった言葉遣いをやめたことくらいだ。頭語も結語も要らない、飾らない文章はなんだか少し気恥ずかしくて、でも嬉しくて。


腕につけた時計を見ればまだ大分時間はある。そういえばお母さん、今日はフルーツを切らしてデザートは無しって言ってたからコンビニでも寄って何か買っていこうかな。

近くに見つけた適当なコンビニに入りスイーツコーナーを物色する。あ、苺のシュークリーム美味しそう。それを一つ手に取る。
時間もまだ平気だし、と適当に店内をぶらついていれば雑誌コーナーが目に映る。その中で一つ、私の目を引く物があった。

最近目にすることが多くなったような気がするそれは、彼の物とは多少違えど同じロードバイク。
普通コンビニにロードの雑誌なんて売っているものなのかと思ったけれど近くにはうち、ロードの名門校箱根学園があると思えば納得出来る。

こんなのあったんだ、とそれをじっと見つめる。多分今までも私が気づかないだけで置いてあったのだろう。それに気づけるようになったのは、間違いなく彼の影響だ。

こんなにも日常に侵食してきた彼の存在と自分に苦笑しつつも、その雑誌を手に取っていたのはごく自然のようなことだった。





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教室のドアを開ければガヤガヤとした少しの喧騒。
まだ少しだけ緊張感の残るこの空気は、新学期特有のものだ。その空気を肌に感じながら自席へと着く。
新学期三日目にくじ引きによって引き当てたこの席は窓際の後ろから二番目。我ながら、なかなかに強運だと思う。

机の中に教科書とノートを仕舞い鞄を傍に掛ける。
そしてガサガサと音を立て、飾り気のないビニール袋から出したのは今さっき購入したばかりのロードの雑誌だ。
パラパラと捲っていれば「あ、」と小さく声が漏れると同時にピタリと手が止まる。

開いたページの一箇所、そこにはよく知った色のロードバイク。それは荒北君の乗っている物とは少し色使いが少し違うような気がしたけれど、空色は共通していた。
その部分をまじまじと見つめていれば、そういえばいつも色にばかり目がいって、ロード自体をきちんと見たことがなかったと気づく。
詳しいことはよくわからないけれど、車体に描かれた"bianchi"というロゴはブランド名なのだろうか。

えっと、これは……

(……ビアンチ?)

これで読み方合ってるのかな?と内心首を傾げた、その時だった。

「ム、ロードか?」
「っえ!!?」

突然上から降った声に、私の心臓と同じくガタンッと椅子が大きく音を立てた。
う、わぁ……!恥ずかしい……っ!
穴があったら入りたいとはこのことだ。

顔が熱くなるのを感じながら、そっと右斜めへと顔を上げれば、そこには私ですら前から知っているくらい有名で、既にクラスの人気者になっている男の子の姿。
前髪がカチューシャで上げられていることによって、今日もその驚くくらい整った顔がよく見えている。

中学とは違って高校では机同士をくっつけることなんてことしないけれど、それでも近くの席が誰かというのは重要だ。授業よっては近くの人と話し合え、なんてことも言われるから周りが苦手な人しかいないと気まずいものがある。それはなんとしても避けたいのが本音だ。
そんな中、私の周りは大分恵まれたと思う。
まず後ろは今年も奇跡的に同じクラスになれた菜々。
そして右は目の前の彼、東堂尽八君である。

「驚かせてしまったようですまんね」
「き、気にしないで!」

謝罪の言葉に即座に首を横に振る。いつからそこにいたんだろう、全く気づかなかった。
東堂君が気配を消すのが上手いのか、それとも私が気づかないほどに雑誌に熱中してしまっていたのか。
どちらが正解なのか私には知る術はなかった。

「今日は小説ではなく雑誌なのかと思っていたらロードだったからな。思わず声を掛けてしまったのだ」
「あ、うん。小説は昨日読み終えちゃったから」

よく気づいたね、と素直に驚きを表せば「ワッハッハ!このオレが女子の変化見逃すはずないだろう!」と誇らしげに笑われる。

よく見てるなぁ、と感心するけれど自惚れはしない。
だってそれは私にだけじゃなく、東堂君は周りをよく見ている人なのだ。こうして些細な変化にも気づいてくれるし、困っていたら助けてくれる。それは全員に対して平等で、こういうところがモテるんだろうなぁといつもしみじみと思う。

"煩い"と"よく喋る人"は似て非なるものだ。
前者は私の苦手な部類だけれど、東堂君は後者になる。空気も読めるし、人が不快になるような話題は一切しない。
それに一対一だと意外に静かな人なのだ 。どんな些細な話でも聞いて言葉を返してくれるし、トークも切れると自負する通り話を切り出してくれるため気まずく思ったことは一度もない。
私にとって彼は喋りやすい有難い男の子だった。

「あのね、東堂君」
「ん?」
「ちょっと聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」
「この山神に何でも聞くといい!何だね?」
「えっと、このロードなんだけど……」

すっと開いた雑誌を指差せば「ビアンキのことか?」と尋ねられる。あ、ビアンキって読むんだ……。
間違った名前を口にしていなくてよかった、と雑誌に視線を落とせばそこにもきちんとカタカナで"ビアンキ"とルビが振られていて、いい加減自分の間抜けさを呪いたくなってきた。

「このロード、自転車競技部で乗ってる人っている?」
「ム、荒北のことか?」

やっぱり、という言葉は飲み込んだ。
けれど次の瞬間、彼が投げ掛けた問いに私はまたビクリと体を揺らしたのだった。

「佐藤さん、荒北のことを知っているのか?」
「えっ!?」

思わず上げてしまった声にヒヤリと肝が冷える。不自然に思われてたらどうしよう、と悪戯がバレそうな子供のように心臓がやけに煩くて変な汗が流れたように感じた。
別に悪いことをしてるわけじゃないのに。けれど何故だか私は、半分だけ嘘を吐いてしまったのだ。

「前走ってるのを見かけたんだけど、綺麗な色の自転車だなって」
「なるほどな。確かにあの色はオレも綺麗だと思うぞ」

もちろんこの美形には勝てんがな!と得意げな顔をする東堂君に思わずくすりと笑みが零れる。そんな私を穏やかに瞳を細め見つめる東堂君は、やっぱり話していて心地よい人だ。

「ああ、ここに書いてあった」ペラリと東堂君の男の子なのに綺麗な指がページを捲り、一つの箇所を指す。
それはビアンキの歴史を綴ったページで、その中の一つだった。

『ビアンキの自転車は伝統的にチェレステ(イタリア語:Celeste、碧空、天空)という緑色に近い青色で塗装される。このチェレステはイタリアのマルゲリータ王妃の目の色をモチーフにしたという伝説があり、実際に創業者であるエドアルドが、1895年にマルゲリータ王妃に歴史上初の女性用自転車を彼女のために制作し献上した際に、その乗り方を指導している。また、その年のミラノの空の色を見て現地の職人が色を調合するとも言われており、チェレステカラーは毎年微妙に違った色になっているとされている。緑色に近い青色という通り、青みが強くなる年もあれば緑色の強い年もある。』

「きれい、」

訳し方も、逸話も、全て。
無意識のうちに零した言葉に、東堂君は満足そうに笑った。

私が心惹かれたあの綺麗な空色は、チェレステと呼ばれるらしい。何度も噛みしめるように心の中で反芻する。

「佐藤さん、」

ビアンキが好きなのか?

不意打ちのその質問に心臓が大きく跳ねる。咄嗟に東堂君を見れば、こちらを見つめる紺桔梗の瞳はどこまでも澄んでいた。

ふわりと窓から入り込む優しい春の風が髪を掬う。
ひらりと風に乗り桜の花びらが一枚紙面の空色の上へと落ちた。
その空色を見つめれば、何故か自然と口元は緩んでいて。空気に溶けるようにするりと言葉が落ちた。

「……うん、好きだよ」

そうか、と東堂君が柔らかく微笑むと同時に朝のHRの始まりを告げる鐘が鳴る。

口にした途端胸から溢れ出るこの柔らかな気持ちは、窓の外で咲き誇る桜と同じ色をしている気がした。

(※チェレステについての説明文はWikipedia参照です)


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