「十座サン、どこ行くんスか?」

 午前中の秋組の稽古が終わり昼食を終えてしばらく時間が経過した時、十座が鞄を肩掛けて談話室に入ってきた。談話室で過ごしていた太一が十座の存在に気付き、声をかけた。

「あぁ、ちょっとな…」
「まーたなんか限定の甘いモンでも買いに行くんだろ」
「ちげぇ。勉強だ」
「は?」
「べ、勉強っスか!?どっどこで勉強するんスか!?」
「図書館だ」
「十座サンが図書館っスか!?」

 太一からの質問に答えると、太一と万里は目を見開いて驚く。特に太一は質問攻めをするが、十座は冷静に答えながら冷蔵庫の中にストックしてあるジュースが入ったペットボトルを手に取り鞄にしまった。
 十座が図書館に行くことなんて滅多ない。勉強は苦手で成績もそこそこだが、カンパニー内には家庭教師経験者の紬に勉強を教わることがほとんど。自ら図書館へ、しかも勉強をしに行くなんて言い出した暁にはどうしたものかと耳を疑うほどであった。

「頭でも打ったんじゃね?」
「うるせぇ」
「あ?つかまじで何の冗談だよ」
「冗談じゃねぇ」

 万里からの発言に睨み付けながら返答すると、挑発に乗るのも面倒だと思った十座は大人しく「行ってくる」と言い談話室を出る。

「あっ十座くん、どこか出かけるの?」
「あー…図書館っす」
「図書館!?何か本探してるの?」
「いや、勉強しに…」
「え、そうなの?」

 寮の玄関を出ていく十座を通りかかったいづみが引き留める。いづみもまた、万里たちと同じように十座が図書館に行くことを驚いていた。

「夕飯までには帰ってくる?」
「っす」
「気を付けてね」
「うす」

 いづみに見送られて、十座は今度こそ寮の玄関を出た。
 外は快晴。青空に太陽が輝かしく光っている。眩しい日差しに目を細め、十座は図書館に向かって歩き始めた。



 見慣れない図書館。夏休みもあってか人はわりと多く、学生のものであろう自転車が多く並んでいた。自分の高校の学生もいるのだろうか。
 待ち合わせの時間15分前。十座は待ち合わせ場所の図書館の入り口にたどり着いた。 少しはやかったか…なんて思いながら10分程突っ立っていると、入り口へ向かってくる人たちに紛れて歩いてくる待ち人を見つけた。

「あっ!兵頭くん!」
「おう」
「ごめんね、待った?」
「いや、今来たところだ」
「…ほんとに?」
「…もうちょっと前に来た」
「ふふっ、だよね。絶対はやく来ると思ってた」

 真面目な十座のことだから、時間までには必ず来るだろうということは容易に考えられたが、時間よりも10分以上ははやく来そうだなと名前は思っていた。予想は的中。
 十座のその行動に、名前はやっぱりと思いつつも嬉しくなる。今来たと嘘をつく十座に真実を確かめるように十座を下から見上げて目を合わせると、名前から逃れるように十座は目を逸らす。しかし嘘をつけない十座は、目を逸らしながらも本当のことを吐いたのだ。

「…制服なのか」
「あ、午前中図書委員の仕事してきたの」
「昼メシは食ったのか?」
「うん、食べたから大丈夫」

 午前中、図書委員の仕事を終えてきた名前。午後は十座との約束があったため、お弁当を作って学校へ行っており、そのまま学校で食べてから図書館へ赴いていた。

「行こっか」
「っす」

 十座と相反して何度も図書館に来たことがある名前は、慣れたように図書館の中へ入っていく。十座はそんな名前の後ろをついていく。

 図書館の利用方法なんてもちろん知らない十座。まずはカードを作るところから始まり、二人で座れそうな開いている席を選ぶ。この日は利用者が多くカウンター席しか空いていなかったが、隣同士で座れる席が空いていたためその席を確保する。

 席に向かう途中、十座は周りをキョロキョロ見渡し落ち着かない様子で名前についていく。静かな空間も慣れず、歩き方にも音を立てないようにと気を遣う。

「ここだっ」
「なんか落ち着かねぇ」
「兵頭くん来なさそうだもんね」
「まったく来ねぇな」
「よし。課題やろ!わたしも自分の課題してるから、わからないところがあったら聞いてね。わかる範囲で教えるから」
「おう」

 早速鞄から課題と教材を出していく名前。参考書もあり、そこには多くのふせんも貼られている。すごいな、なんて感心しながら十座も鞄から課題を出した。

 途中までは紬に教えてもらいながらも進めてきた課題。その他の時間でも自分で頑張ってみたものの、分からないところは多々あるわけで。

「悪いが、さっそく聞いてもいいか」
「ん?どれ?」
「数学なんだが…」
「…っ、」

 分からないページの端を折り曲げていたそのページを開き、名前に質問する十座。
 十座が広げた課題のプリントを名前が覗きこむと自然と触れ合う肩と肩。たったそれだけのことなのに、びくっと反応を示す名前。そのまま固まる名前に、十座は声をかける。

「どうかしたか?」
「あ…っ、ううん!どこだっけ…?」
「あぁ、この応用問題なんだが…」
「うん、」

 十座からの声かけに我に返った名前は、十座が 指差す問題の文章を読み込み、すぐにその問題を理解するとひそひそと十座に解き方のヒントを与えたのだった。

 黙々とそれぞれの課題を進めていく。十座も静かな空間にも少しずつ慣れたようだ。わからないところを名前に教わりながらも一問一問クリアしていく。
 そんな中、名前は徐に立ち上がる。

「ちょっと辞典持ってくるね」
「おう」

 十座に一声かけると、自持ちの電子辞書を持ってくればよかったと後悔しながら辞典を探しに席から離れようとしたところだった。

「あれ?名字さん、だよね?」

 誰かから名前に声がかかった。

「えっと…」
「あ、あたし神山紗英。菜緒同じバスケ部の」
「あっ…ご、ごめんわたし…」
「いいのいいの、あたしたち一緒のクラスになったことないし、あたしが菜緒からよく名字さんの話聞いてるだけだし」
「え…っな、何の話を…」
「んー、危なっかしくて目が離せないとか?」
「菜緒ちゃんったら何を…!」

 菜緒は活発でよくいろんな人と他愛のない話で盛り上がる。バスケ部の面々との会話で名前が話題に上がるのはもはや珍しいことではない。菜緒が名前を可愛がっていることもバスケ部にはほぼ知れ渡っている。

「菜緒は一緒じゃないの?」
「あ、うん」
「一人?でも名字さんよく一人でも来てそうだよね」
「うん、でも今日はその…」

 名前はなんて答えていいのかわからず、目配せで十座に目線を向ける。それに気付いたのか、紗英も名前の視線を追うと十座の姿を捉えた。やりとりを耳にしていた十座は課題をしていた手を止め振り向く。

「え…っと、ちょっ、ちょっと待って名字さん、ちょっと」
「兵頭くん、気にしないで課題やっててね」
「…おう」

 紗英は十座のことを認識すると、腕を引っ張りその場を離れようとする。名前は十座に一言伝えると、腕を引く紗英についていった。
 図書館内ではあまり大きな声では話すことができないが、飲食スペースであれば多少賑わっており会話も可能だ。紗英は名前を連れてそのスペースまで来ると、確認するかのように問いかける。

「名字さん、あの人ってO高の兵頭十座だよね?」
「やっぱり神山さんも知ってるの?」
「知ってるも何も、有名じゃないO高きっての不良だって」
「みんなそう言うけど、兵頭くんはいい人だよ」
「…名字さんが兵頭と知り合いだったなんて…。菜緒は知ってるの?」
「うん」
「そっか」

 十座の知名度は意外にも高く名前は驚く。ただ、やはり悪いイメージばかりが飛び交っているようで腑に落ちない。逆に言えば、十座が実は優しくて真面目で真っ直ぐな性格であることを自分だけが知っているという優越感を覚える。

「え、付き合ってるわけじゃないよね?」
「そっそんな付き合うだなんて…!そんなこと…!」
「あ…うん、おっけ。好きなんだ?」
「そ、そりゃいい人だし、嫌いになんてなれないよ…」

 名前の反応を見て状況を悟った紗英。表情が出やすくわかりやすい名前の顔は赤く、動揺している。そんな名前の反応に、菜緒が名前を可愛がる気持ちを共感する紗英だが、片や名前の十座への恋心には疑問はついてくるもので。そして好きなのかという問いかけに対しての返答にその恋心には無自覚であることも紗英は察した。
 これ以上追及したら名前の動揺は激しくなってしまうだろうと予測した紗英は、また後日菜緒に話を聞きつつ名前にも詳細を聴取しようと思い、一旦話は打ち切ることにした。

「じゃーあたしそろそろ行くね。邪魔してごめんね」
「ううん、また学校でね!

 去っていく紗英を見送り、名前は辞典探しにフロアーへと戻って行った。


 辞典探しにうろうろしているうちについ本棚に並ぶ本を眺めてしまい、気になっては手に取って戻し、また気になっては手に取ってを繰り返し、目的の辞典にたどり着くまでにだいぶ時間がかかってしまっていた。
 本棚を見ると時間をかけて眺めてしまうのが名前の癖であり、図書館に限らず本屋に赴いてもよくあることだ。
 辞典を手に取り席へと戻ると、自分の席の隣に座る十座の背が丸まっていた。席に着き、隣を覗き込むと、十座はシャーペンを手に持ったまま目を閉じてこくりこくりと頭を揺らしながら眠っていた。プリントを見ると、ずらりと書からている数式と散らばっている消しゴムのカスが視界に入り、頑張って解いたであろうその形跡にそっと笑みを漏らし名前は自分の課題を進めるのであった。


 身体が揺さぶられる感覚に十座は目を覚ます。目を開ければ目の前には課題のプリント。自分が課題を進めているうちに眠ってしまったのだと気づき、はっと顔を上げる。

「あ、起きた?」
「…おわっ、わり、眠っちまった…」

 隣から名前の声が聞こえ、覗きこまれた近い距離に驚きがたんと椅子の音を立てる十座。音を立ててしまったことにまずいと思ったのか、十座は周りを見るといつの間にか人の数は減っていた。

「もう閉館の時間だよ」
「…そうか」

 閉館の音楽が流れ、眠っている十座を起こした名前は、寝起きで慌てふためく十座にくすくすと笑いながら課題と教材を片した。十座も慌てて広げたものを片付けていく。

「よし行こっか。辞典も返さないと」

 出入り口に向かいながら辞典があった本棚を通っていく。本棚に着くと、名前はキョロキョロ周りを見渡す。

「どうかしたのか?」
「あ、うん、さっき踏み台があったんだけど…」
「踏み台?」
「この辞典があったの、あそこなんだ。あ、でもギリギリ届くかな…」

 明らかに辞典があったであろう本と本の間の空間は、名前には届きにくい高い位置にあった。辞典を取りに来たときには踏み台があったためそれを利用したのだが、誰かが移動したのか踏み台は見当たらず。なんとか背伸びしたら届くのではないかとつま先立ちになり辞典を持ち上げ空間を目指す。

「ん〜っ」

 しかし、目的のひとつ下の段までは届いたがその上まで届かず葛藤する名前。ただでさえ辞典は重量があり、片手で長い時間持ち上げているのには限界がある。
 すると、辞典を持っている手から重みがなくなった。後ろから伸びてきた手に辞典が渡り、そのままもとにあった場所へと辞典が戻っていく。
 見上げながら辞典を戻す手を辿って振り向けば、すぐそこに十座が立っていて名前は下から十座を凝視する。背中に感じるのは、十座の体温。まるで密着するくらいに近い距離に全身がぶわっと熱くなるような感覚になる。

「ぁ…、」
「無理しねぇで頼めばいいだろこういう時ぐらい」
「…ぅ、ん」

 十座を見上げる名前を見下ろす十座。距離感には気付いていないようで平然と名前にそう言うと、名前は見上げていた顔を下して俯いた。
 学校の図書室で、同じようなことがあったことを思い出す。その時は相手が万里だったが、ただ驚いてしまったくらいで特に動揺することもなかった。今は、明らかに動揺している。ドキドキ、心臓の鼓動が聞こえてしまうのではないかと思う程に胸が高鳴っている。背中が熱い。

「あー…悪い」
「う、ううんっ!か、帰ろっか」

 俯く名前を見て、十座は怖がらせてしまったのではないかと思い反射的に謝ってしまう。名前は動揺を隠せないまま本棚を離れ、足早に出口へと向かう。十座はそんな名前の後ろ姿を見て一瞬その場に留まり先程から感じていた胸の違和感の原因を考えるが、気付けば名前の姿が遠くにあり考えを振り払い名前を追いかけた。


 時刻は18時。まだ暗くなりきっていない外の空気を吸い込み、名前は冷静を取り戻す。追いかけてきた十座が隣を歩き、しばし沈黙が続く。痺れを切らした名前が、十座に声をかけた。

「どう?課題は進んだ?」
「あぁ、わからない問題も解けたし、これなら家でも進められそうだ。…数学は」
「数学だけしかやってないもんね、今日」
「他の科目もやるつもりだったんだが…」
「まだ夏休みはあるし、いつでも付き合うよ」
「…助かる」

 少しでも役に立ててよかった。説明している間も真剣に聞いてくれるし、案外飲み込みははやいほうだった。教え甲斐があり、他の科目もまた教える機会があれば喜んで引き受けようと名前は思っていた。

「次は図書館じゃなくてカフェでやるとかどう?」
「カフェ?」
「いつも行くお気に入りのカフェがあるんだけどね、そこケーキも美味しくて」
「…!ケーキ…」
「勉強の合間に糖分取りながらやるのもいいもんだよ」
「やる。次はカフェだ」
「ふふっじゃあ決まりだね」
「っす」

 ケーキの単語を出せば十座の表情がぱあっと明るくなる。甘いものが好きだということは何度か会っている中で十分にわかっていたけれど、ここまで反応があると本当に甘党なんだなと思う。カフェで課題をやる気満々の十座を可愛いな、なんて思ったのは名前だけの秘密だ。

「あれ、兵頭くん寮どっち?」
「あっちだ」
「え、嘘っ、ごめん何も気にしないで自分の家に向かってた」
「いや、送る」
「でも…」
「勉強、教えてくれたお礼だ」
「…ありがと」

 図書館からお互い帰る方向が実は逆方向だった。動揺していた名前は何も考えずにただ自分に家に向かって歩いていたが、ふと立ち止まり十座の寮の方面を確認すると勝手に歩き進めていた自分の行動を後悔する。
 申し訳ない気持ちでいると、十座は勉強を教えてくれたお礼に送ると言う。断っても断りきれないことも何度か家に送り届けてもらっていてわかっていたため、名前は素直に甘えることにした。

「花火大会までには終わらせようね」
「あぁ、そうだな。頑張る」

 花火大会は夏休み終了間近に開かれる。それまでには課題を終わらせることを目標にし、十座も寮では紬に教えてもらいながら終わらせられるように頑張ろうと決意した。





「ただいまっす」
「あ、おかえり。ずいぶん長く図書館にいたんだね」
「っす。紬さん、メシ食い終わったら課題教えて欲しいんすけど」
「いいけど…勉強してきたんだよね?疲れてないの?」
「大丈夫っす」

 談話室に入り帰宅を知らせると、夕食の準備を手伝っていた紬が十座に気付き声をかける。勉強をしに図書館へ行っていたことは、いづみから知らされていた。というより、珍しすぎたからか太一が周りに言いふらしていたというのもあるが。それを聞いた他の団員たちも、珍しい十座の行動に驚いていた。
 慣れない図書館で、十座にしては長い時間勉強をしてきたというのに、まだ課題を進めようとする十座に、紬は少しばかり心配になる。


 夕食後そのまま談話室に残り、ダイニングテーブルに紬と向い合せで座る。課題を広げる十座に、紬は頬杖を突きながら十座に問いかけた。

「名字さん?」
「…え?」
「今日、一緒に図書館に行ってきたのって名字さんと?」
「…っす」
「そっか。捗った?」
「わかりやすく教えてくれたんで、結構進んだっす」
「本当にまだ勉強するの?」
「…今度花火大会行くことになったんで、それまでには課題終わらせたいんす」
「え、名字さんと?」
「うす…」

 図書館で一緒に勉強をしていたことにも驚いたが、それ以上に一緒に花火大会に行くことになったことにも驚きだった。十座が女の子と一緒に花火大会に行くなんて正直想像もつかないが、それでも花火大会に行くために課題を終わらせると意気込んでいる十座を全力でサポートしたいと思う紬。

 一生懸命に課題を進めていく真剣な十座を見て、頑張れ少年、と紬は心の中で応援していた。







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