夏組第二回公演「にぼしを巡る冒険」の千秋楽の幕が下りる。前回の観劇の時と同様にスタンディングオベーションに感動しながら拍手を送る。
 何より驚いたことがあの有名な若手俳優の皇天馬が出演していたことだ。しっかりフライヤーの出演者の名前を確認していなかった名前と菜緒は、天馬の登場に声を上げてしまいそうになった。

「面白かったね、夏組の舞台」
「ね。しかし皇天馬がカンパニーに所属してるなんて…あとでサインもらおうかな」
「菜緒ちゃん…」

 ロビーに出るとやはり多くの観客が演者のもとへ掛け寄っていた。全体的に年齢が若い夏組メンバーに関心を覚える。せっかくなので声をかけて応援の言葉をかけようと見送りの列に並んでいると、名前たちを見つけた咲也が近づいてくる。

「名字さん!」
「佐久間くん」
「あ、ちょっと佐久間。皇天馬もこの劇団に入ってたの?」
「へっう、うん」

 咲也に気付くなり菜緒は咲也に問いかけ、勢いある菜緒の行動に咲也は後ずさる。特にファンというわけではなかったがせっかく有名な若手俳優がいるのなら声をかけサインをもらいたいと思う菜緒の心理は女子高生そのものだった。

「何々、サクサクのお友達〜?」
「同じ学校の同級生です」
「二人ともかわいい〜!ねね、舞台どうだった〜?」
「あ、えと、面白かったです…!」
「ちょっとうるさい。…ていうかあんた、その恰好で観劇に来たわけ?」
「え…?」
「Tシャツとジーンズって…あり得ない」
「…あ、あり得ない…」

 咲也と一緒にいる名前たちに高いテンションで声をかけたのは出演者の一人、準主演の三好一成。そして名前の恰好を見て呆れた目でケチをつけるのは主演を果たした瑠璃川幸。いつも通りの恰好の名前に菜緒は慣れているため今となっては何も言わなくなったが幸の言い分は非常に納得ができる。幸はファッションには煩く、初対面のしかも観客である名前が咲也の友人であることがわかると辛口な言葉を投げた。
 あまり外を出歩いたりすることがない名前にとってオシャレをするという概念がないためなぜそこまで言われるのか名前には理解できなかった。
 そんな中、菜緒は天馬のもとへと駆け寄りサインをもらっていた。

「何、お前天馬のファンだったの」
「げ。摂津」
「んだよその嫌そうな顔」
「万里さんの友達?」
「あー、同級生」
「じゃあ、あの人も?」
「おー名字ちゃんな」

 万里が天馬にサインをもらう菜緒を見かけて声をかけると菜緒はあからさまに嫌そうな顔をする。万里は嫌な顔をする菜緒を余所に、名前の姿を確認すると幸にファッションのことで口うるさく言われているところを見て苦笑い。
 すると、万里は視界の端に映った人物を振り返り大声で名前を呼んだ。

「おい兵頭!テメー片付けあんだから会場から出んじゃねーぞ!」

 兵頭、と確かにそう言った。名前が今もっとも会いたいと思っている人物の名前だ。まさかと思い万里が声をかけた先を見ると、そこには背の高い紫色の髪をした人物が呼び止められてこちらを向いていた。

「うるせぇ。わかって…」
「…ひょ、どうくん…?」

 万里が呼び止めたのは十座だった。十座が気に入らない相手に声をかけられ睨みつけるように振り向いた先には名前がいて思わず万里に対して放っていた言葉が途切れる。名前は聞こえてきた声と見えた姿に何故ここにいるのかと思うより会えたことに心から何かが溢れそうな感覚に陥っていた。思わず出た声はとても小さく、他の人には聞こえることなく騒がしい空気に消えていく。やっと、やっと会えたと名前の心がざわついた。
 菜緒が現れた十座の姿に名前を見ると、泣きそうな表情で十座を見つめている様子が伺えた。

「名前…」
「あ…」
「おい兵頭聞いてんのかテメー…」
「兵頭くん!」
「…あ?…名字ちゃん…?」

 言葉が途切れ黙って突っ立っている十座に万里がしびれを切らして声をかけると同時に、名前が駆け出して行った。突然の名前の行動に万里は驚く。
 名前はまわりを一切気にすることなく十座のもとへ一直線に進んでいく。十座は名前が近づいてくることがわかると顔を背けてその場から逃げようとするが、名前は十座の腕を掴み止める。

「ま、待って…」
「はぁ…」
「…あの…」
「…何でここにいる」
「あ、えっと、夏組の舞台を観に…」
「………」

 十座は腕を掴まれている名前の手をを離そうとするが、名前は掴んだ手が離れないようにぎゅっと掴んでいるため諦める。名前はもう逃げようとしない十座に安心しするが十座の顔を見ることができず俯いたまま。緊張と不安で少し震えているのが十座の身体に伝わり、十座ははっと目を見開いて名前を見る。沈黙が怖くて名前は無意識に唇を噛んでいた。

「…唇、切れんぞ」
「…え」
「なんでそんな辛そうな顔してんだ」
「だ…って、ずっと会いたかった…」
「…は?」
「会いたかったの!兵頭くんに」
「…な…っ」

 会いたかった、そう言いながら勢いよく十座を見上げる名前。十座は自分よりも小さい名前に見上げられながら会いたかったと言われ何とも言い難い感情を覚える。
 十座自身も名前の姿を見てもやもやしていたものがスっと消えたような気がしていた。掴まれている腕から震えと同時に熱が全身に伝わるような感覚もあり妙に恥ずかしさを感じる。

 名前が十座と再会できたことに菜緒はほっと胸を撫で下ろしたのと同時に、心配になる。ちゃんと話せるだろうか、また嫌な思いをしないだろうかと。もし十座が名前を振り払って逃げたりでもしたら自分が引き止めようと思いながら二人の様子を見ていた。
 一方で万里は、自分が声をかけていた十座のもとへ名前が駆け寄っていくのを見て唖然としていた。まさか名前と十座が知り合いだとは一ミリも思ってもおらず共通点も思い当らなかった。ただ、駆け寄った名前が十座の腕を掴み離すまいとする姿や、十座と会ってから垣間見えた表情に、二人の会話が聞こえずとも名前が会いたかった相手が十座であったことは一目瞭然だった。名前が会いたいと言っていた男はいったいどんな人なのだろうとは思っていたがまさか十座だったとは。認めたくないけど認めざるを得ない状況に、万里は「あり得ねぇ…」と小さく呟く。

「手、離してくんねぇか…」
「…嫌だ」
「嫌って…」
「もう、会えなくなるの、嫌だから」
「…悪かった」
「え、」
「もう関わるななんて言わねぇ」
「…ぁ、」

 十座は優しい声でそう言うと、自分の腕を掴んでいた名前の手に掴まれていないほうの手を重ねてゆっくりと腕から外す。十座の手が触れて小さく声を漏らす名前。大きくて温かい十座の手に名前はドキっとする。触れていた手が離れていくと少し寂しく感じた。

「兵頭くんも、舞台観に来たの?」
「いや…俺も入ってんだ」
「え…」
「劇団」

 劇団に入っていることを秘密にしていたわけではなかった。かといって別に言うほどのことでもなかった。ここで再会するとは思っていなかったためここに十座がいたことを不思議に思っていた名前が耳にしたのはこの劇団に入団しているという事実。十座が劇団に入団しているなんてこれっぽっちも考えたことはなかったし、聞いた今でも正直十座と演劇が結びつかない。春組、夏組と観劇した中に十座の姿はなかった。ということは自然と秋、冬組のどちらかのユニットで活動していることになる。
 ふと過ったのは万里の言動。今までの万里との会話の中で、何度か十座の名前が出てきていた。万里はこの劇団の秋組に所属している。もしかして、と思い十座に問いかけてみる。

「あの…もしかして、秋組…」
「?あぁ、秋組だ」
「…そっ、か…」

 ということは、あの時万里に十座のことを相談していたんだと名前は気付いた。今、万里はどんな顔をして自分を見ているんだろうと後ろから突き刺さる視線に振り返ることができず、そして急に恥ずかしくなった名前はその場にしゃがみ込み膝に顔を埋めた。

「あ、おいっ」
「名前!?」

 急にしゃがみ込んだ名前に十座は慌てて追うようにしゃがみ名前の肩に手を添える。そして少し離れていた場所から名前と十座の様子を見ていた菜緒もすぐさま駆け寄り名前の顔を覗き込むように声をかけた。

「名前?」
「名字さんどうかしたの!?」
「…あー、なんかわりぃな名字ちゃん…」

 菜緒の後を追って咲也と万里が近づいてくる。咲也はいったい何があったのか状況を把握しておらず気分でも悪いのかと焦っているが、万里は少しばかり気まずく感じていた。

「何、摂津、名前になんかしたの?」
「ちげーよ。…名字ちゃんの相談に乗ったっつーか…」
「あー…」
「知らなかったんだって。まさか兵頭のことだったなんて」
「…何の話だ」
「なんもねーよ。にしても…まじか」

 万里は十座の様子が変だった理由も理解した。名前の元気がないなと感じたのと同時期に十座の不調も続いていた。なんだかんだで十座も名前のことを気にしていたのだと思う。十座が名前のことを考えていたと思うと万里は笑えてきたが、名前の様子を見ていると笑うわけにもいかずなんとか堪える。

「おい、何やってんだお前ら。どうした、気分が悪いのか?」

 名前を囲む団員達に左京が何事かと近づいてくる。万里がなんでもないと答えるとはやく片付けに取り掛かれと言われ咲也たちは返事をする。十座も戻らなければと立ち上がろうと名前の肩から手を離そうとすると、名前は再び十座の腕を掴んだ。気を利かせて菜緒たちはその場から離れ、名前と十座は二人きりになる。

「…なんだ」
「また、会える?」
「…水曜日、あの公園にクレープを食べに行こうと思う」
「…!」
「来るか?」
「うん!行くっ」
「ふっ」
「な、なんで笑うの…」
「いや…」

 先程まで悲しそうで辛そうな表情をしていた名前の顔が、ぱあっと明るくなり嬉しそうに答えるものだからなんだか少しおかしく思い十座の笑みが零れた。「じゃあな」と名前の肩をぽんっと優しく叩いて立ち上がり万里たちのほうへと向かっていく十座を見送った名前はしゃがんだまま再び膝に顔を埋めてた。名前から離れた十座に菜緒が声をかける。

「兵頭」
「…」
「この前はごめん。兵頭がよかったら、これからも名前と普通に会ったり話したりしてあげてほしい」
「…いいのか」
「正直癪だけど、名前が悲しむ顔は見たくないから」
「俺なら悲しませねーけどな」
「摂津うるさい」
「んでだよ…」
「摂津行くぞ」
「んだよ指図すんじゃねーよ大根のクセに」
「んだとワンレン」
「あん?」
「まぁまぁ」

 片付けのためにロビーから舞台裏へと去っていく十座たち。菜緒は未だにしゃがみ込んでいる名前のもとへと近づき隣へしゃがみ名前の顔を覗く。

「名前」
「…菜緒ちゃん…」
「よかったね、兵頭と会えて」
「ん…」

 菜緒の言葉に名前は笑って頷いた。照れくさそうに笑う名前は幸せそうな顔をしており、菜緒も自然と頬が緩む。万里もだが、菜緒も確信を得ている。名前が十座に恋をしているということを。ただ、名前はまだその気持ちに気付いてはいない。万里と同じように、自分で思いに気付いてほしいと願う菜緒。悩んだり困ったりしたときには力になろう、嬉しいことや喜ばしいことがあったときには一緒に幸せを感じよう、そう思っていた。

 夏組の面々は名前たちの姿に時々首を傾げていたが、万里が「気にしないで大丈夫だから」と一声かけると気にしつつも再び見送りの挨拶へと専念した。




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