「兵頭テメーやる気あんのか?」
「ってぇな。手ぇ放せ」
「最近稽古に全然身が入ってねーぞ」
「んなことねぇ」
「あるから言ってんだろーが」
「ふっ二人とも落ち着くっス…!」

 夏組の公演が始まり、限られた時間でレッスン室を使用している他の組の団員たち。そんな中、今日は午前中、秋組がレッスン室を使用できる日だった。稽古中、やけにぼーっとしている十座に、リーダーである万里が喝を入れるように突っかかっていく。生憎、いつもこの場をいち早く止める秋組の最年長、古市左京は夏組のほうへ出向いている。休演日のため、これまでの公演の振り返りをしているとのことだ。険悪な雰囲気をなんとかしようと、ひやひやしながら声をかけた。そんな太一の制止に、十座の胸倉を掴んでいた万里の手が離れていく。

「ふぅ…」
「どうした十座?やる気の問題よりも何か悩みでもあるような顔してるぞ」
「…いや、なんもないっす」
「だったら稽古中に私情を持ち込むな。練習になんねー。いつも以上に大根だぞテメー」
「んだと?」
「まぁまぁ。とりあえず稽古を再開するか。じゃないと左京さんに怒られちまう」

 穏やかな雰囲気で二人を宥めるのは伏見臣。左京がいないとき、だいたい場の空気をどうにかするのが臣だ。なんとか稽古を再開したのだが、十座の調子は変わらず心ここに非ずといった状態が続いていた。十座が本気で演劇をしたいという気持ちや一生懸命に取り組む姿は万里もよくわかっている。故に、十座の最近のらしくない様子を気にはしていた。しかし柄ではないと同室で過ごしていてもあえて声をかけるようなことはしなかった。ただ、稽古中となれば別だ。ある日を境に、十座の調子が落ちていた。

 稽古が終わると昼食だ。臣がキッチンへ向かい準備をする。メンバーも談話室へ向かい、他の団員もいる中各々過ごしていた。が、十座は一人部屋へと戻っていった。

「十座サン、最近どうしたんスかね…」
「知らねーよ」
「十座くんがどうかしたの?」
「紬サン。十座サン、おかしいんス。いつも稽古は一番真剣に取り組んでるのに、最近調子が悪くて」
「そっか…」
「甘いもん不足なんじゃねーの」
「なんスかそれ!?」

 万里と太一の会話を聞いて紬もなんとなく共感する。夜、コンビニへ一緒に行くことがたまにあるけれど、最近は行くことがない。誘っても断られることが多い。妙に気持ちが沈んでいるようでなかなか声もかけられずにいた。
 あの女の子と関係しているのかな…。紬は直感でそう思った。自分からそのことに触れるのは違うような気がして、聞くに聞けなかった。

「あれ、咲也何で制服着てんの?」
「今日図書室開いてる日だから夏組のチケットを名字さんに渡そうと思って。ついでに戯曲でも借りようかと」
「おー、なる。…あ、それ俺が渡しに行くわ」
「え?」
「名字ちゃんにちょっと話あるし、ついでに戯曲借りてきてやんよ」
「でも…」
「いーからいーから。な?」
「んー。じゃぁお願いしようかな」
「おう」

 学校に行くこと自体あまり好いていない万里が自ら学校へ赴くと言ったことに、咲也のみならずそこにいた他の団員も驚いていた。今日に至っては学校へ行く目的が普段の登校とは異なるためだろうが、珍しい言動に今日は雨でも降るのではないかと思う者もいた。
 昼食を終えたあと、咲也から名前に渡すためのチケットを受け取り服に着替えた万里は、寮を出て蒸し暑い中学校へと向かった。



 花咲学園の図書室。クーラーが効いている中、名前は図書委員の仕事をしていた。夏休み前に借りていた本の返却に訪れる生徒、それとは逆に貸し出しを目的に訪れる生徒への対応をしつつ、返却された本を本棚へと片付けていた。生徒の来室は午前中に集中し、午後はほとんど生徒はいない。ゆっくりと自分のペースで作業に取り掛かる名前。本棚へと本を戻している中、手にした本が一番上の棚に戻す本であり背の低い名前には届きそうで届かない高さだ。なんとか背伸びをし、その本を元の位置に戻そうとしていると、後ろから手が伸びてくる。

「あ…」
「ったーく。学習しねーのな」
「せ、摂津くん…」

 いつかのように万里が名前の手から本を受け取り、呆れながらも棚へ戻す。名前は突然の万里の登場に驚きつつも感謝する。ただ、何故ここに万里がいるのか不思議に思った。登校日でもなんでもないのに、夏休み中に制服を着て学校に来るなんてことないと思っていたから。もしかして、戯曲でも借りに来たのだろうか。案外演劇には真剣にり取り組んでいるみたいだし、と心の中で考える。

「ここに来たのは、名字ちゃんに用事があったから」
「へ、」

 考えていたことが読まれたかのように万里が来た理由を述べたため、間抜けな声が出てしまった名前に、万里は吹き出すように笑った。

「名字ちゃん、わかりやすいくらいに考えてること顔に出んだよなァ」
「………」

 くすくすと笑う万里に、名前はムっとする。そこまで笑わなくても良いのではないか。そんな名前の様子を見て本当にからかい甲斐があるなと万里は思うのだった。

「ま、とりあえずちょっとそこ座ろーぜ」
「いや、わたし仕事が…」
「本の片づけなら後で手伝ってやっから。あんま人もいねーし、ここだったら用がある生徒の対応もすぐできんだろ」

 窓際にある広いテーブル席。万里が座った席の隣に座るよう指示される名前。そこからはカウンターも見えるため、確かに貸し出しや返却に来た生徒の対応はすぐにできる場所だった。何の用事があるのか、まったく見当がつかない。ぎこちなく万里の隣に座り、背筋を伸ばす。

「んな畏まんなって。ほい」
「ん?」
「夏組のチケット」
「あ…」
「咲也が用意した千秋楽のな」
「ありがとう。あ、チケット分のお金、今日持ってない…」
「あー、当日でいいっしょ」
「え…」

 そんなに緩くていいのか。前回のチケットは咲也が事前に持ってきてくれる日を教えてくれたから準備できたものの、今回はいきなりすぎて何も準備できていない状態だった。その上、当日でいいなんて。それでも、用意してくれたチケットだ。有難く受け取る。

「必ず行きます」
「ったりめーだ」
「…これ渡すために来たの?」
「あー、あと戯曲借りにな」
「そっか。あ、夏休み前に新しい戯曲入ったんだよ!それ借りてく?確か…」
「っと。まだ話あんだわ」
「…?」

 名前が新しい戯曲を取りに席を立とうとすると、万里が名前の腕を掴み立たせまいとする。名前は動きを止められたことに疑問を抱く。

「最近元気ねーけど、なんかあった?」
「…え」
「まー無理に聞かねーけど、咲也が心配してた。高崎も心配してんじゃねーの?」
「………」

 いつになく真剣な表情で話す万里。なんとなく、万里には話してみてもいいのかもしれない、そう名前は思った。異性に話を聞いてもらうなんてことなかったけれど、からかうことなく名前と向き合って話を聞こうとしてくれる万里のその姿勢に安心し、名前は徐に話し始める。

「あの…、もし会って話したことがある人に、急に関わるなって言われたらどうする?」
「…あー、ごめん、話が全然見えねーんだけど。まず誰の話?友達?」
「ともだち…かな?知り合い…?」
「はぁ?つかどんな人?この学校の人?」
「この学校じゃない。どんな人…不良っぽいくて見た目もこわい男子なんだけど優しくて、知らない人に絡まれたときも助けてくれて、公園で会って話したり、家まで送ってくれたりもして…」
「待て待て待て。話の脈略がなさすぎてまったくわかんねぇ。つか男!?」

 まさか名前の口から男の話が出てくるとは思わず声を上げる万里。そして話の脈略がない名前の話に万里は頭を抱える。公園で会っている意味も分からないがあえて触れないようにしようと思った。
 そして友達ではなく知り合いであるという関係の、しかも男のことで悩んでいるのがどうしても腑に落ちなかった。

「知り合いなんだよな?友達とかでもねーの?」
「んー。友達…なのかな…」
「まぁいいや。なんで急に関わるなって言ってきたんだよそいつ」
「…菜緒ちゃんと一緒にいるときに偶然その人に会って、菜緒ちゃんがもうわたしに関わるなって言ったの気にしたみたいで…」
「不良だからって?」
「うん。それで公園にも来なくなっちゃったからその人の高校まで行ったんだけど、そのときにその高校の生徒に絡まれちゃって。で、助けてくれたんだけど、もう関わるなって」
「…案外行動派なんだな、名字ちゃん。つーかそれでもう関わるなって大した男じゃねーな。男ならこう、守ってやるくらい構えてねーと…」
「そっそんなことない…!」
「うおっ」

 大した男じゃないと言われて名前は思わずがたっと音を立てながら椅子から立ち上がる。その勢いに万里は驚いて名前を見上げた。名前の声が図書室に響き渡るが、幸いにも図書室の中に他の生徒はいなかった。とりあえず座れと万里は着席を促す。

「名字ちゃんって、その男が好きなの?」
「好き?…別に嫌いじゃないけど…」
「あー…うん、そういう意味じゃねーんだけど…」
「?」

 万里が言う「好き」は恋愛対象としての意味だった。しかし名前の返答は万里が求めていたものとは違ったが万里としては想定内だった。
 でも、話を聞いている中で、少なくとも名前はその男に感情を抱いているのではないかと万里は推測する。

「名字ちゃんは、会いたいの?そいつに」
「…うん」
「そっか。もしかしたらまたどこかで会えんじゃね?」
「…そう簡単に会えるかなぁ」
「案外世間は狭いって言うっしょ。もし会えたらそん時は運命だったってことで捕まえときゃいーじゃん」
「捕まえるって…ていうか摂津くんってロマンチスト?」
「はぁ?なんでそうなんだよ…」
「だって運命って…ふふっ」
「…はぁ。高崎の気持ちがすんげーわかってきた…」
「?」

 万里は名前の話をなんだかんだで真剣に聞いていた。最初こそ、話の纏まりがなく理解に苦しんではいたが、ワードを組み合わせて脳内で整理し名前の話をなんとか纏めた。結果、見えてきたのは名前の恋心。ただ本人は当然無自覚であり、こればかりは自分で気付いたほうが良いと考えあえて名前に自覚させることはしなかった。
 名前が恋をしている相手がどんな人か気にはなるが、今は静かに見守るのが良いだろう。相談してきたら乗り、答えを導き出す手伝いくらいはできる。

「会えたらいいなぁ…」

 十座のことを思い浮かべているのだろう。会えたときのことを想像した名前の横顔は少しばかり幸せそうだった。

「…会えるぜ、きっと」
「うん。ありがとう、摂津くん」
「おう」
 
 話が一段落ついたところで、図書室のドアが開く。本を持った生徒が入って来て、返却に来たことがわかると名前は席を立ち、カウンターへと向かった。万里はカウンターへ向かう名前の背中を見送り、残っている本の片づけを手伝いはじめた。自分と咲也の分の戯曲はどんなものを借りようか考えながら。







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