午後7時。真夏の空はまだ明るく、蒸し暑い。時折吹く風も生ぬるく、じわじわと汗が体内から滲み出る感覚が不快だ。耳を澄ませば弱い風が木々を揺らす音、鈴虫の鳴き声が聞こえてくるこの公園に、名前は一人ベンチに座っていた。その顔は明るい空とは裏腹に暗く沈んでいた。胸いっぱいに吸い込んだ空気をため息として吐き出したそれは、鈴虫の鳴き声に埋もれていた。





 菜緒に十座とのあれこれを話したあと無性に十座に会いたくなった名前は、水曜日の放課後、公園に足を運んだ。また違う味のクレープを食べたいと言っていた十座のことだから来るだろうと思っていたが、公園に入りいつも十座が座っているベンチを見るとその姿はなかった。先に食べて帰ったのだろうか。自分が来るのが遅かったのか。クレープ屋の店員に聞くが、十座の姿は見かけていないと返答する。もしかしたら用事があったのかもしれない。約束しているわけでもないし、毎週来るとは限らない。残念に思いながら、次週また来ようと公園を出た。
 そして翌週の水曜日の放課後。今日こそは、と足早に公園に足を運ぶが、やはりそこに十座の姿はなかった。

「忙しいのかな…」
「なぁに、気になるの?彼のこと」
「へ?」
「声に出てたわよ」
「え…っ」

 クレープ屋の店員とはすっかり顔馴染となっており、この日も十座の姿を見ていないかと聞きに来ていた名前。注文したクレープが出来上がるのを待ちながら呟いた小さな独り言が耳に入った店員はにこにこした笑顔で名前に問う。まさか聞こえていたとは思わなかった。答えに戸惑っていると、クレープが目の前に出される。

「はい、できたよ」
「あっありがとうございます」

 バイトのお姉さんから出来上がったクレープを受け取る名前。結局答えを出さないまま次に並んでいる客にその場を譲るため販売車を離れベンチへと向かった。ここで食べていたら時期に来るかもしれない。そう思いクレープを食べながら待つが、クレープ屋が閉店するまでに来ることはなく、「食べたら早く帰りなさいよ〜」と店員に言われ、クレープを食べ終えると帰路についた。
 家で夕食を作っているときも、それを食べているときも、お風呂に入っているときも、課題をするときも。そして寝るときも。一人でいる家で過ごす時間、十座のことばかりが思い浮かぶ。学校で過ごしているときも、ぼーっとしていることが多く菜緒に心配される。

「ねぇ名前、数学の課題でさ、わかんないところがあったんだけど…名前全部できた?」
「………」
「名前?」
「え?」
「え、じゃなくて、数学の課題…」
「数学…課題なんてあったっけ?」
「…」

 名前は課題を忘れて来ることがない。そして真面目に授業を聞いている分ほとんど課題をクリアしている。それ故に、菜緒は課題を忘れてしまったりわからないところがあるといつも名前に頼っている。そんな名前が課題を忘れていることに、菜緒は驚きを隠せなかった。
 その他にも、教科書を家に忘れて来たり、移動教室に遅れそうになったり、お弁当を持って来ず購買で買うことが続いたり、図書委員の仕事がその日の時間内に終わらなかったり。ため息の数も多く、表情も暗く沈み菜緒は名前のことをひどく心配していた。

「兵頭のことが気になるの?」
「え…っ」

 菜緒はいつも通りの名前と様子が違うことがずっと気になり、その原因に心たりがある。名前に原因となる人物を挙げて問いかけてみると、名前はわかりやすく反応した。聞くと、毎週水曜日に公園に行っているけど十座に会えていないとか。菜緒は、十座に会ったあの日に言ったことを十座本人は気にし、名前と会わないようにするために公園に来ていないのではないかと思う。あまり良い気はしないが、名前らしくないその姿を見ているのも辛いため、十座に謝りに行くことを伝えると名前はそれを断った。

「なんで?いいの?会えなくても」
「べ、別にそこまで会いたいわけじゃ…」
「じゃあなんでそんなに悲しい顔してるの」
「悲しくなんか…!それに、忙しいだけかもしれないし、違うところに行きつけのクレープ屋さんを見つけたのかもしれないし!」
「いや、そういう問題じゃ…」
「いいの。別に、兵頭くんと友達とかそういうんじゃないし…」

 菜緒は無理に笑う名前の表情に余計心苦しくなるが、本人がそう言うのであれば無理やり行動に移すことはできない。今は近くで見守るしかないと菜緒は思うばかりだった。

 そして会えない日が続き、気付けば一ヶ月が経過し、季節も真夏へと変わっていた。





 時期に暗くなり始め、躊躇いがちに公園を出ていく。

 もしかして、やっぱり菜緒に言われたこと、気にしているのだろうか。

─「どこで知り合ったのかわからないけど、関わっちゃダメだよ。あんたももう名前に関わらないでよね。」─

 もしこのまま来ることがないと会うことができない。どうにか会えないだろうか。考えた結果、一つの方法を思いついた名前。実行に移すには今日はもう無理である。もうすぐ夏休みにもなってしまい、そうなると余計に実行できなくなってしまうことを考え、明日の放課後に実行することを決意し、暗くなる前に家に帰っていった。



 翌日の放課後。名前は欧華高校まで来ていた。
 昨日考えついた方法、それは十座の通う欧華高校に足を運ぶことだった。公園に来ないのであれば、直接会いに行けばいいのではないかと思ったのである。もちろん菜緒には内緒だ。言ったら必ず止められるに違いないとわかっていた。
 正門前の端っこで下校する生徒たちを見送りながら、その中に十座の姿を探す。そのことに必死になっているせいか、まわりからの視線を集めている状況に名前は気付いていなかった。異なる制服を着た女子高生がいると興味を惹かれるものなのだろうか、特に男子の目線が名前に集まっていた。

「君、誰か探してるの?」

 意を決したかのように一人の男子が名前に話しかけた。

「あ…あの、兵頭くんって…」
「兵頭?」
「はい、あの」
「兵頭って兵頭十座?」
「あ、そうですっ」

 十座の名前を出した瞬間、その男子は眉を顰めた。まさか穏やかで癒しオーラを漂わせる外見の名前の口から十座の名前が出てくるとは思っていなかったのだろう。

「あー、兵頭ならもう帰ったよ」
「…そう、ですか…」
「あ、でももしかしたらまだ近くにいるかもしんねーから探してみる?」
「!いいんですか!?」
「お、おう」

 十座が近くにいるかもしれないという男子からの情報に、会えるかもしれないと気持ちが高揚し男子に迫る勢いで近寄る名前。その勢いに驚きながらも名前を連れて正門を離れていった。名前は疑うことなくついていく。しかしながらしばらく歩いていても十座の姿が見つかる気配はなかった。

「見つからないですね…」
「…あのさ、もしかして君って騙されやすい?」
「え?」
「まだ近くにいるかもしれないとは言ったけど、さすがに帰る方面までわかんねぇし。つーか知らないヤツについてくるか普通」
「あ…」
「それよりさー、兵頭なんていいから俺と遊ばない?」
「…あの、ご、ごめんなさい…わたし…」

 以前ナンパされたことを名前はすっかり忘れていた。菜緒が欧華高校には不良のイメージが多いと言っていたことを思い出す。みんながみんな悪い人ではないと思っているためか名前は危機感なしに欧華高校まで来てしまっていた。先程まで親切に接していたその人の態度が突然変わり、恐怖を感じ始める。肩にかけている鞄の持ち手をぎゅっと握り、一歩下がる。同時に一歩近づいてくる男子にもう一歩後ずさるがまた一歩近づいてくる。振り返ってその場を離れようとするが、いとも簡単に腕を掴まれ逃げ場を失ってしまった。

「…っ」

 そんなときだった。名前の腕から男子の手が放れ、目の前が男子の広い背中で遮られる。上を見上げると、その人の髪色は紫色で、見たことのある髪型。名前が探していた人物、十座だった。

「げ、兵頭…」
「てめぇ、嫌がってんのがわかんねーのか」
「ちっ」

 十座が男子生徒を睨みつけその場から離れさせると名前のほうへと振り返り、名前を見下ろす。その表情は睨みつけるほどのものではないが多少怒りを含んでいる表情だった。

「えっと…」
「なんで一人で来た」
「そ、れは…」
「うちの高校、ガラ悪いヤツらばかりなの、知ってんだろ」
「………」

 黙り込んだ名前を見て十座は大きくため息をついた。が、よく見ると乱れた呼吸を整えているようだった。汗を垂らし、肩を上下させている。





 十座は秋組に所属する一学年下の七尾太一と一緒に帰寮するため校門を出ると、クラスメイトの男子に話しかけられた。

「あれ、兵頭今帰り?」
「あぁ」
「ついさっき花学の女子が来てて兵頭のこと探してたんだけど…」
「…は?」
「花学って万チャンのとこの学校っスよね?…え、女子!?女子が来てたんスか!?十座サン花学の女子に知りたいいたんスか!?」

 花学の女子というワードに敏感に反応する太一。一方十座は、その女子が誰なのか、心当たりがあった。思い浮かびあがった人物に十座は内心焦る。まさかここに一人で来たんじゃないか、と。

「誰だっけ、隣のクラスのヤツが兵頭はもう帰ったっつってその子連れてどっか行っちゃったんだけど…」
「な、!アイツ…っ」
「ちょ、十座サン!?!?」

 十座はクラスメイトの男子からその話を聞くと、太一を置いて慌てて駆け出して行った。行く宛てはわからずともまだそこまで遠くには行っていないだろう。学校周辺を走って目印となる花学の制服を着た女子を探す。
 真夏の暑い中、汗を掻きながら走り回る十座。こんなに焦りながら誰かを探し回るなんてこと、今までにあっただろうか。見つからない、どこだ、どこにいる。暑くて出る汗とともに冷や汗も流れる。ようやく探していた人物を見つけると、腕を掴まれ恐怖で身を引く名前の姿があった。十座はすぐさま駆け寄り、名前の腕を掴んている相手の手を名前から放し、名前の目の前に立つと相手を睨みつけていた。





 呼吸を整え、流れる汗を拭う。名前はそんな十座の姿を見て、自分を探してくれていたのだろうかと自惚れる反面、申し訳なく思った。それよりも、久しぶりに十座に会えたことが何よりも嬉しかった。

「心配、してくれたの?」
「いや…心配っつーか…」
「ありがと…」
「…俺に何か用があったのか」
「用っていうか…最近、公園に来ないから…」
「…もう行くつもりはねぇ」
「な、なんで?違うクレープ屋さん見つけたとか?」
「別に、そんなんじゃねぇ」
「じゃあ、また一緒にクレープ食べようよ」

 名前は必死だった。ここで諦めたらもう十座に会えないような気がしたから。見上げた十座の顔は、何かを躊躇うような表情をしていた。

「…お前の友達が言ってただろ。もう俺に関わらないほうがいい」
「そんなの…!…意味わかんない」
「俺のまわりにはケンカ吹っかけてくる野郎ばっかだ。俺と関わってたら危ねぇっつーか…」
「別に、わたしはそんなの気にしない」
「お前…前に絡まれたときあったろ。そういうヤツらばっかりなんだ、俺のまわりにいるヤツは。いつまた絡まれるかわかんねぇんだぞ」
「大丈夫だよ、そんなに物好きも多くないだろうし、今回だってたまたまであって、」
「でも現に怖がってただろうが。俺が来なかったらどうなってたかわかんねぇだろ。俺だってまわりから恐れられてるんだ、いつ何するかわかんねぇぞ」
「兵頭くんは、そんな人じゃない!そうでしょ?」
「…お前の友達が印象抱いてた俺がまわりに見られてる俺の印象なんだ。そんな俺と関わってたらお前だって、」
「菜緒ちゃんが言ってたこと気にしてるなら、もう気にしないで大丈夫だよ。それに、印象なんてどうでもいいよ。わたしは兵頭くんとまたクレープ食べたいし、話だってしたい」
「…っ」

 十座が自分に関わると名前にまで危害が及ぶことを懸念してここまで忠告しているのに対し、名前は聞き入れようとしない。十座の印象だとかそんなことは名前にとってはどうでもいいことなのだ。ただ会って、前みたいにクレープを食べながら話したい。ただそれだけ。二人がそれぞれ思っていることを吐き出してもお互いに受け入れようとせず交わることはなかった。

「悪いがやっぱりもうあの公園には行けねぇ」
「え、」
「O高にももう来るな」
「兵頭くん…」
「悪い…」
「…っ」

 十座に突き放されたような感覚に名前は切なさを感じた。もう言い返す余裕がなく、何も言わずにその場から走り去った。

 以前走ったときとは全く違い、この日アスファルトを蹴る足はとても重かった。








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