「はぁ…」

 暗い中、部屋の電気も付けずに布団の中に潜り込み名前は何度目かのため息をついた。菜緒とのケンカの後(一方的に名前が声を荒げたのだが)、普段走ることもない名前が無我夢中に走り家に帰宅し乱暴にドアを開閉しては大きな足音を立て自室に戻った。誰もいないこの家にその音は大きく響きくが文句を言う人すらもいないため、響いた音は家中に静かに吸収されていくだけだった。

「菜緒ちゃん、怒ったかな…」

 名前が菜緒に声をあげてしまうことは今までになかった。菜緒にというよりも誰にも、大声をあげて怒りを露わにすることがない。部屋に入り潜り込んだ布団の中で冷静を取り戻した名前自身も驚いていた。
 何で自分はあそこまで腹を立ててしまったのだろうか。
 あの時、十座のことを悪く言われたことに対し嫌な気持ちになってしまった。自分が知っている十座は悪い人ではないのに。十座が欧華高校の生徒であることは制服を見てわかったし、その欧華高校は不良が多いイメージであるということは菜緒にも聞いていた。実際に欧華高校の生徒に絡まれて不快な思いをしたことも事実である。しかし、名前が実際に関わった十座がとても悪い人には思えなかった。外見はそう見えても仕方ない。名前も最初は怖いと思ってしまったが、関わってみると全然怖くなどなかった。むしろ優しくて、律儀で、意外と心配性である一面を知ってしまった。
 菜緒に引っ張られて最後に振り返ったとき、十座は名前たちから顔を背けており視線は合わなかったが、名前にははっきりと十座の表情が見えていた。とても悲しそうな顔だったような気がした。
 そんな顔しないで。そんな顔を見たいんじゃない。笑顔をあまり見せないけれど、穏やかで柔らかな表情を知っている名前は、あの時の十座の表情を思い浮かべると胸がぎゅうっと苦しくなっていた。 
 だからこそ、十座に関わるなと言われて悲しく悔しい気持ちにもなってしまった。

 一方で、菜緒の言い分もわからなくはない。あの時は十座のことを悪く言われてたことに腹が立ち声をあげてしまったが、自分のことを思っての発言と行動であったことは、今まで菜緒と関わってきた名前が一番よくわかっていること。でも逆に、一番よく関わってくれている菜緒だからこそ、十座のことを悪く言ってほしくなかった。

 こんなこと、今までになかったためか、名前はかなり混乱していた。
 明日、学校で会ったらちゃんと話そう。そう決めてもやもやした気持ちのまま名前は眠りについた。





「おい兵頭てめぇどこ行ってやがった!」
「あ?」
「気付いたらいなくなりやがって。公演終わって片付け残ってんだ「あ、十ちゃん!新しく発売されたお菓子、買えた?」…菓子?」
「あー、いや…」
「てめぇ、菓子買うために抜けたとか言うんじゃねーだろうな」
「うるせぇ。てめぇには関係ねぇ」
「んだと?」
「まぁまぁ二人とも、落ち着いて」

 春組の公演が千秋楽を終え、団員はそれぞれ片づけを手伝っていた。同日、十座が以前から気になっていた和菓子屋の新商品が発売されるのを楽しみにしていたお菓子が発売となり、千秋楽公演が終わってすぐに劇場から抜け、商店街へと足を運んでいた。
 そして目的の和菓子屋についたのは良いが、新商品の発売日でもあり込み合っておりとても入れるような状況ではなく、和菓子屋の前で一人うろうろしていたときだった。突然呼ばれ、誰だと思い視線を向けるとそこには名前の姿。まさかここで会うとは思わず、そしてこんなところを見られた羞恥心で驚きと焦りを隠せなかった。
 ただ、不思議と名前にこんなとこを見られても嫌だとは思わなかった。
 しばらく佇んでいると、名前の名を焦って呼ぶ声がし、勢いよく向かってきたと思えば名前の腕を掴み、十座から離れさせた。離れさせた張本人、名前の友人である菜緒は十座を睨むともう関わるなと言い放ち、名前を遠ざけるように引っ張っていった。
 おそらく菜緒は自分のことを知っている。欧華高校の兵頭十座である自分ことを。だから離れさせたのだろうとすぐに察しはついた。離れるのを嫌がる名前を無理やりにでも連れて行く菜緒。そうか、やっぱり関わらないほうがいいのか。
 わかりきっていたことだ。こんな外見で、欧華高校きっての不良と噂になっていて、近寄りがたくまわりから距離を置かれている自分の存在を受け入れてもらえないことくらい。自分と関わるのは危険である、そう認識した菜緒はある意味正しいのかもしれない。実際に自分のまわりには不良ばかりが集まってきて、いい印象を与えない。
 そう、わかりきっていたことなのに。十座は、名前ともう関わるなを言われ、ずきんと心が痛むのを感じた。名前が離れていくのを見ることができず目を背け、振り返る名前に気付いたのに背けた目を戻すことができなかった。しばらくして名前の姿が見えなくなると、ぽかんと心に穴が開いたような感覚がし、和菓子屋に来た目的も忘れ、劇場へと戻ったのだった。

 戻ってくるなり、急にいなくなっていらいらしながら十座を探していた万里と、新商品を買うのだとわくわくしながら劇場を出て行ったことを知っていた椋に迎えられた。そして万里を言い合いに発展しそうなところをちょうどいいタイミングで現れた紬に止めれる。

「万里くん、左京さんが探してたよ」
「え、まじか…めんどくせ。おい兵頭、ちゃんと片付け手伝えよ。逃げたら承知しねーからな」
「………」
「あ、じゃあ僕も手伝ってきますね!」

 紬に左京に呼ばれていたと告げられた万里と、なんとなく空気を呼んだ椋がその場から離れていく。紬は十座の様子が少し変だなと思い、わざと万里を離したのだ。

「なんかあった?」
「いや…なんもないっす」
「そう?」
「…気になってた新商品、買えなかったんで…」
「そうだったの」
「…っす」
「それにしてもすごい落ち込みよう。そんなに食べたかったの?」
「…まぁ…」
「そっか」

 明らかに落ち込んでいる表情である十座。新商品が買えなかったと言うが、紬にはそれとは別の理由があるのではないかと感じていた。しかし十座が言わない限り追求しようとも思わなかった。
 悲しそうな、悔しそうなそして苦しそうな。こんな顔をする十座を初めて見る。外見こそ強く力強いイメージであるが、実は素直で繊細で純粋で不器用。紬はいつか十座が自分に話してくれたら力になってあげたい、そう思った。





 休み明け、いつもよりはやく起きてしまい、いつもよりはやく登校した名前。一番に入る誰もいない教室はしんとしていて自分の席の椅子を引くと教室内に音が響く。鞄に詰め込んでいた教科書を机の中に入れ、鞄を机の横のフックに引っかける。外からは朝練をしている運動部の生徒の声がする。どこか落ち着かず、席を立ち窓際に行き窓の外を見ると、次々と生徒が登校してくる。しばらくすると、教室のドアがガラッと開く音がし振り向くと、そこにはケンカ中の相手である菜緒がいた。

「あ…おはよ…」
「…おはよう」

 なんとなく気まずい。実は菜緒も今日ははやく起きてしまい、いつもよりはやく学校へ来たのだった。菜緒は自分の机に鞄を置くと、名前に近付いていく。

「あのさ、名前…」
「ご、ごめんねっ」
「…え?」
「あんなに怒鳴っちゃって…ごめんね…」
「名前…ううん。こっちこそごめんね。名前の言うこと全然聞かないで一方的すぎた」

 お互いに謝ることができ、すっきりしたのと安心感で笑いあう名前と菜緒。それでも菜緒は、どうしても十座のことが引っ掛かり名前に聞きたかった。

「ねぇ、兵頭のことなんだけど…」
「…この前、欧華高校の人たちに絡まれて、同じ欧華高校の人に助けてもらったって話…あの時に助けてくれたの、兵頭くんなんだ」
「え…兵頭が…?」
「うん…」
「そっか…そうだったんだ…」

 意外だ、と驚いた表情をする菜緒。どっちかというと、絡まれているところを見ても見て見ぬふりをしそうなイメージであり、人を助けるというような人ではないと思っていた。でも、名前がそういうのであればと信じたいところだが、どうしてもまだ信用できない。名前には言えないけれど。
 そしてもう一つ引っ掛かること。それはなんとなく親しそうに名前が十座に話しかけていたことだ。

「それにしても名前、いつの間に話しかけるような仲になったの?」
「あぁ、えっと…」
「そういえば、助けてもらった人にクレープ買ってあげて送ってもらったことあったよね。あれ、兵頭のこと?」
「あ、あのね…うーんとね…」

 ええい、言ってしまえ!
 名前は今までの経緯をすべて話した。クレープを奢って送ってもらった話、夜のコンビニで偶然会ってその時に送ってもらったこと、そのお礼に水曜日に待ち合わせをして一緒にクレープを食べたこと。
 名前がその話をしているときの表情を菜緒は不思議そうに見ていた。生き生きしている。楽しそうに話している。すごく、女の子の顔をしている。もともと可愛い女の子だと菜緒は思っていたけれど、そういうのではない。そしてその表情の裏に思い浮かべている人はあの十座なんだと思うと不思議で仕方がなかった。嬉しそうで、どこか愛おしそうな表情。こんな名前の表情は見たことがないし、こんなに緩んだ顔を見たことがない。


 まるで、名前が十座のことを―――


 名前が恋愛への道を一歩踏み出しているのではないかと、菜緒は密かに感じていた。






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