舞台の幕が下り、会場に拍手が響き渡る。カーテンコールが行われ、観客が次々と立ち上がっていく。日曜日の夕方、咲也に誘われた舞台――不思議の国の青年アリスを観に来ていた名前は、これがスタンディングオベーションかと感動しながらも立ち上がり舞台のキャストに拍手を送る。隣に座っていた菜緒も、立ち上がって笑顔を作って拍手を送っていた。
 すべてが終了すると、ロビーでキャストの見送りが行われた。名前が咲也の姿を見つける前に、咲也が先に名前を見つけ声をかける。

「あ、名字さん!」
「佐久間くんっ!」
「一緒に観に来てくれたの、高崎さんだったんだ」
「お疲れ、佐久間。よかったよ」
「ありがとう!」
「なんか、別人みたいだったなぁ。あ、この猫耳もかわいかったよ!」
「えっそう?なんか、はっ恥ずかしいな…」
「ふふっ」
「………」

 初めての舞台に興奮が止まらない名前。先程の舞台の余韻が余計に名前を興奮させた。舞台の上で演じきった達成感で満ち溢れている咲也と、舞台が楽しくて仕方なかった名前の会話をすぐ近くで聞いていた菜緒はまるで可愛い生き物を見物しているような気分になっていた。
 そんな菜緒の視線に気付かず二人は満面の笑みで会話を交わしている。しばらく邪魔はしないほうがいいなと静かに見守っていると、突然外野から二人の会話に入ってくる人物が現れた。

「おー、名字ちゃんじゃん!制服じゃねーし髪型もいつもと違うから誰かと思ったわ」
「摂津くん」

 名前と咲也の間を割って入ってきたのは万里だった。名前は今日髪を一つに纏め、所謂ポニーテールの髪型で来ていた。夏には髪を纏めることはよくあるが、万里が名前をしっかりと認識してからはまだ髪を纏めることなくいつも髪を下ろしているためその印象しかない万里にとっては新鮮な姿だ。舞台を終えて興奮が冷めない咲也はテンポがだいぶ遅れて名前の髪型がいつもと違うことに気付き、驚く。
 なぜ万里がここにいるのかと一瞬思った名前だが、同じMANKAIカンパニーの団員だしいてもおかしくはない。手伝いに来たのだろうかと自己解釈する。

「…何邪魔してくれてんの摂津」
「あ?へぇ、お前も来てたの」
「あんた最近名前に近付きすぎ」
「だって名字ちゃんおもしろくね?小動物みたいで」
「小動物………」
「その"ちゃん"ってのもやめてくんない?」
「なんでお前の許可が必要なんだよ」

 いつの間にか犬猿の仲のようになっている菜緒と万里。万里は名前のことを気に入っておりからかうことを楽しんでいる。そして菜緒は名前にちょっかいを出す万里を気に入らず、防止するべく万里につっかかる。名前はそんな二人の関係に気付くはずもない。なんなら今も万里に言われた小動物について脳内にはてなマークを浮かべていた。

「何々、この子が万里のお気に入りの名字ちゃん?」
「あ!ちょ、至さんっ!」
「イケメンのお兄さん…」
「はい?」

 菜緒と万里の言い合いに楽しそうに首を突っ込んできたのは茅ヶ崎至。春組メンバーで今回の公演の準主演だ。以前咲也からもらったフライヤーに載っていた青年を見て整った顔だと感心し、そして今回舞台を観てイケメンだと再認識したばかりのその人が目の前にいることに驚きを隠せない名前はつい口走ってしまう。思わず口走ってしまった発言に名前は慌てて顔を赤くする。

「あ、ちっ違うんですそのっすすすみません…っ」
「え、何この子。絶対からかい甲斐あるよね。」
「至さん落ち着いてください。名字ちゃんに手を出すのはやめてくださいよ」
「あんたもだよ摂津」
「あん?」
「気安く名前に近付かないでって言ってんの」

 口を開けばやはり言い合いと化してしまう二人に名前はおろおろし、名前としゃべっていたはずの咲也はこの光景を苦笑いしながら見ていた。なんか大変だね、と名前に耳打ちしながら。
 そんな中、至は菜緒と万里が言い合いをしているのをいいことに名前に近付く。名前は整った顔の至が目の前に来たことにより動揺し後ずさるが至はそれを見てますますおもしろくなりさらに近づいていく。

「ねぇ、名字ちゃんって万里と付き合ってるの?」
「へ」
「万里が女の子の話すんのって珍しいんだよね。話してるとなんか楽しそうだし。だから彼女なのかなーって思ったんだけど、今のやりとり見てて付き合ってるような感じはしないし」
「そっそんな!わたしなんかが摂津くんの彼女だなんてあり得ないというか恐れ多いというか…ハイ…」
「(ぶふっ)そかそか。おけ。とりあえず落ち着いてね」
「ったるさん、肩震えてんすけど」

 至の質問に焦りながら返答する名前。そんな名前を見てツボに入ったのか至は吹き出しそうになるのを堪えていたようだが体は正直で肩をぶるぶると震わせており、いつの間にか菜緒との言い合いが終わったのか万里が至に突っ込みを入れる。
 そうしている間に監督に春組が呼ばれ、至は名前の頭をポンとひと撫でし去っていく。恥ずかしさに耐えきれず顔を赤くする名前に菜緒は「何赤くなってんの」と眉を顰めると名前は「王子様…」と表情をキラキラさせる。万里はその言葉に対し「どこがだよ。根っからのゲームオタクだぜ」とぼそっと呟いた。

「名字さん、今日は来てくれて本当にありがとう」
「ううん、こちらこそ。誘ってくれてありがとう」
「次は夏組の公演もあるから、俺は出ないけど、よかったらぜひ観に来て欲しいな。絶対楽しいと思う」
「うんっ行く!他の組の舞台も気になるし」
「俺は秋組だから次の次だな」
「あんたのは観に行かない」
「んでだよっ」
「ははっ。また公演決まったら教えるね」
「楽しみにしてる。お疲れ様、佐久間くん」
「うん。じゃ、また学校で!」

 去っていく咲也の後ろ姿を見てなんだか逞しいなと思ったのは名前だけの秘密だ。次の夏組の公演も楽しみだな、と心躍らせる名前だった。





 MANKAI劇場からの帰り道、名前と菜緒は舞台の感想を言い合いながら商店街を歩いていた。名前のポニーテールが弾むくらいに名前の歩きにも弾みが出ていて、休日が好きではない名前が休日を楽しんでいる様子に一緒に来てよかったと菜緒は思う。

「ごめん名前、ちょっとトイレに行って来てもいい?」
「うん。じゃあここで待ってるね」
「すぐ戻るから!」

 商店街にぽつんとあるコンビニを見つけた菜緒が、舞台終わりから我慢していたトイレへと入っていくのを見送った名前は、コンビニの前で菜緒の帰りを待つことにした。待っている間、舞台の光景を思い出す。生き生きとしていた同級生の姿を見て、羨ましいと思う反面、無能な自分になんだか少し嫌気がさす。ネガティブ思考を持つ名前は時折感情の波が崩れることがあり、先程まで上昇していた気分がやや下降気味となっていた。
 そんな名前が辺りを見渡していると、見知った姿が目に入る。和菓子屋の前でうろうろしている背の高い紫の髪色をしている男性。もしかしてと思うが確信が持てない。でももしそうだったらと思うと近づきたくて、でも違ったと思うと身が引ける。ちらっと横顔が見えると思っていた人物だと確信し、下降気味だった気分がまた上昇し、名前の表情が明るくなった。

「名前、お待たせ「兵頭くんっ」…え、ひょうどう…?」

 菜緒がコンビニから出てきて名前に声をかけた瞬間に名前はその人物のもとへ駆け出していく。菜緒は名前がいきなり駆け出したことに驚くが何よりから出てきた人物の名前に唖然とする。さすがに菜緒も欧華高校きっての不良である十座の存在は知っていた。ただ、名前から出てきたその人物の名前と自分が知っている人物がリンクして欲しくないと思いながら恐る恐る名前が駆け出した先へと目を向けた。

「な、なんでここにいる!?」
「えっそんなに驚かなくても…」
「あぁ…わりぃ」
「何やってるの?」
「いや…」

 十座は身を縮こませながら視線をちらちらと和菓子屋に向けると、名前はその視線を追い察した。

「和菓子屋さん?」
「あぁ。新しい菓子が発売されたんでその…」

 そう言いながらもなかなか入ろうとしない十座。よく見てみれば、中には女性客ばかりだ。また後日来ればいいのではと思うが、それでも十座は諦めようとはせず店に入るタイミングをうかがっていた。
 クレープが好きであることは発覚したけど、甘いものが好きなんだとどこか可愛く思えた名前はその見た目とのギャップに胸が高鳴る。

「名前!」
「あ、菜緒ちゃん、あのね」
「行くよ」
「え、ちょっと!」

 菜緒は名前の腕を掴みその場から離れさせよと引っ張るが、名前は血相を変えた菜緒の表情と声に驚きつつも引っ張られて浮いた足をなんとか地面に着け直し、その場に留まろうとする。トイレから戻ってくるなりどうしたのかと不安になりながら菜緒を見ると、菜緒は十座を睨んでいた。

「名前、こいつのこと知ってるの?」
「こいつって…菜緒ちゃんこそ知ってたの?兵頭くんのこと」
「知ってたのって…欧華高校の不良で有名な兵頭十座だよ!?摂津がケンカ吹っかけてた男がこいつなの」
「え…」
「どこで知り合ったのかわからないけど、関わっちゃダメだよ。あんたももう名前に関わらないでよね。ほら行くよ」
「………」
「ま、待ってよ菜緒ちゃん!そんなのただの噂でしょ?ねぇってば…!」

 菜緒は名前に聞く耳を持たず、名前をその場から離すように力づくで引っ張っていく。菜緒に引っ張られながら転ばないように足を動かしつつ、後ろを振り返り、十座を見る名前。十座は去っていく名前たちから目を背けていた。何度視線を向けても目が合わない。それが悲しくて、鼻の奥がつんとし泣きそうになった。


「菜緒ちゃん…はぁっ…っ菜緒ちゃんってば!」
「………」

 名前が呼吸を乱しながら何度呼び続けても反応しなかった菜緒は商店街を過ぎたところでやっと止まる。運動部である菜緒に比べ名前は体力がなく、足が止まったと同時に前かがみになり呼吸を整える。しばらくし呼吸が整った名前は、剥き出しの感情で菜緒に訴えかける。

「なんで、どうして!?」
「なんでってあんた…あの兵頭十座だよ?こないだだって名前、O高の生徒に絡まれたって言ってたよね。その高校の一人で…」
「そんなの知ってる。でも兵頭くんは悪い人じゃないもん!」
「名前…。ねぇわかって。名前のこと心配してるの」
「菜緒ちゃんは心配しすぎだよ…」
「…でも、やっぱり兵頭とは」
「兵頭くんは優しい人だよ。わたしのこと助けてくれたし、律儀だし、甘いもの好きだし」
「…甘いもの?え、なにそれ話がわかんない」
「とにかく、兵頭くんは悪い人じゃないよ、菜緒ちゃんの分からず屋!!!」
「分からず屋って…ちょ、名前!?…はぁ」

 言いたいことを言って名前は走り去っていく。菜緒は途中から話の内容がわからない上に勝手に走り去る名前にため息をついた。

 菜緒は驚いた。ここまで感情を出してくる名前を初めて見たから。今までに悔しいことがあってもイライラすることがあっても、表に感情をさらけ出すことはなかった。どちらかというと菜緒のほうが感情を出しすぎて名前に宥められている。
 ここ最近の名前の様子が少しずつ変わっているなとは思っていた。水曜日だったあの日もどこか嬉しそうな顔をしたり顔を赤くしてみたり。その日以外にも気が付けばぼーっとしていることもある。ぼーっとしてたかと思えば急に思い出し笑いをしてみたり。テレビのことでも思い出したのかとも思ったが、今日の様子から見ると、十座が関わっているのかと思わざるを得なかった。
 菜緒は週明けに名前の話を聞こうと思い、今日のところは家に帰ることにした。







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