休日の昼下がり。万里は同じ劇団の紬と一緒に駅から少し離れた小さなカフェに来ていた。何度か来ているこのカフェは万里がお気に入りのカフェである。休日であるにも関わらず多くの人で賑わっている様子もなく、居心地がよい。言ってみれば隠れ家だ。
 ランチに来ている女性たちやカップルの話し声も、この雰囲気に合わせているかのように控えめだ。時折スプーンやフォークがお皿とぶつかり音を響かせる。各テーブルには小さな花瓶に入った花が綺麗に飾られている。
 心地よい雰囲気を包み込むような音楽が流れている中、万里はスマホにイヤホンのプラグを差し込み、片方の耳にイヤホンをはめながらゲームをしている。目の前にはホットコーヒーが湯気を立てていた。紬はアイスカフェラテを目の前に、読書をしていた。
 万里がこのカフェを気に入っていた理由はまた別にもあった。

 万里はゲームが一段落したところでホットコーヒーのカップを手に取り口につけようとすると、視界に入ってくる一人の女性に目を向けた。今日もいる。女性の姿を目にした万里はカップにつけようとした唇を緩ませた。手が止まっている万里に気付いた紬が本から目を離し、万里に声をかけた。

「万里くん?」
「え?」
「どうかした?」
「いや。別に」

 そう答えた万里はやっとカップに口をつけコーヒーを口の中に流し込む。



 万里が視界に入れた女性は、万里とクラスメイトの一人、名字名前。
 名前とは一度隣の席になったことがあった。万里はつまらない授業を聞きながら、机の下でスマホをいじっていた。学校自体が万里にとっては退屈であり何もやる気が起きなかった。調子よくゲームを進めランキングの上位を争っていると、突然隣から声が聞こえ、舌打ちをしながら顔を上げる。

「んだよ」
「これってどう解くかわかる?」
「はぁ?」

 数学の授業中、問題を解く時間が与えられ、まわりを見るとみんな教科書とノートを見ながら問題を解くことに集中していた。名前は教科書もノートも睨むように見るが、なかなか解けずにいた。万里が学年5位以内に入っており頭が良いことを知っている名前は、隣の席が万里であるのをいいことに教えてもらおうと声をかけたのだ。
 万里は容姿端麗で頭が良い反面、喧嘩っ早いヤンキーであることも噂でまわっている。万里自身もそのことを知っており、むしろ知らない女子から話かけられて面倒になるよりもその噂がまわって自分に話しかけてくる女子がいないほうが余程万里にとっては都合がよかった。しかし名前は何事もないように話しかけてきた。しかもわからない問題を聞いてきたのだ。万里は少し驚いた。

「ねぇ、摂津くん。スマホいじってるってことは解き終わったってことだよねっ?」

 先生にバレないように小声で万里に話しかける名前。万里を見るその目は輝いていた。万里が問題を解き終わっていると勘違いしていることも知らずに話しかけていた。
 当然万里は問題が出されていることすら知らない。教科書も前のページで止まっているし、ノートも開いていない。

「いや、解き終わってねーけど」
「えっ!?」

 すっかり解き終わっていると思っていた名前は、万里のその言葉に驚き、大声を出す。その声に生徒は一斉に名前を見た。檀上で黒板に問題を書き写していた教師も振り向き名前に視線を向ける。

「名字、どうした?」
「え!いっいえ!なんでもありませんっ」
「そうか?」

 名前はまわりから浴びられた視線に恥ずかしくなり、真っ赤にして「すみません」と俯いた。そんな名前を見て万里はおかしくなったようで声を押し殺して笑っていた。

「ちょ、ちょっと摂津くん」
「くはっ腹いてー」
「もうっ」
「どれ?」
「え?」
「問題」
「え、いいよ。だって解いてないんでしょ?」
「ばーか。俺にわかんない問題なんてねーよ」
「えっ」

 少し余韻が残る中、万里は名前にどの問題がわからないのか聞く。名前は先ほど万里が問題を解き終わっていないと言っていたため、聞くのをやめようとしたが、教えてくれるようなその口振りに逆に戸惑った。
 名前が戸惑っている間に万里は机を名前に近づけ、名前の教科書とノートを覗き込んだ。万里はノートを見てぎっしりと書かれている文字と数式に真面目なやつだな、と思う。そしてなんでこんなに書き込んでいるのにわからないんだと不思議にも思った。
 一方名前は、急に近づいてきた万里にさらに戸惑いを隠せず固まっていた。

「おい」
「………」
「おい、聞いてんの」
「…えあっ」
「は?」
「はい。あ、いえ…聞いてませんでした」
「バカ正直なヤツだな」
「すみません」
「これ。お前ここに自分で書いてんじゃん、公式」
「え?」

 万里が名前のノートに書いてある公式を指差す。この公式を使えばいいなんて万里は言うけれど、どうしてその公式を使うのかがいまいちわからない名前は眉間に皺を寄せながら必死に考える。しかし答えは出てこなかった。
 万里はそんな一生懸命に考える名前の姿を見て面白いなと思うのと同時に少し可愛いなと思った。
 なかなか問題を解くことができない名前にしびれを切らした万里は、あまり開くことのない自分のノートを開き、その公式を使った問題の解き方を名前に教えた。すると名前はすぐに理解した。問題が解けた瞬間、名前はすっきりしたような顔をした。

「すごい…」
「な?この公式使えばすぐ解けんだろ?」
「摂津くんて本当に頭がいいんだね」
「まぁな」
「羨ましいよ」
「…あー。まぁまたわからなかったら俺が教えてやるよ」
「え?」

 まさか万里が自分から教えてやるなんて言うとは思っていなかった名前にとっては信じられない言葉だったが、そう言ってくれるだけでも有難い言葉だった。
 このあと、教師から解いた問題を答えるよう差された名前は、見事に正解を口にすることができ、満面の笑みで万里にありがとうとお礼を言ったのだ。

 それから数学以外にも何度かわからない問題を教えてもらっていた。短い休憩時間には勉強以外の話をすることもあった。いつの間にか万里は名前に惹かれていた。
 名前が休日に駅近くの小さなカフェで勉強しているということを万里が知ったのは休憩時間にたわいもない話をしているときだった。万里が名前にカフェの名前を聞くと、紬と一緒に行ったことがあるカフェであることが判明した。万里は自分がそのカフェに行ったことがあることは名前には内緒にしていた。

 知っているカフェで名前が勉強しているということがわかったあと、万里は紬を誘って休日にそのカフェに訪れた。このカフェのコーヒーの味が気に入ったと言って。あながち嘘ではないが口実でもあった。すると、自分たちが座った席から離れている端っこの席で勉強をしている名前の姿を見つけた。
 万里は紬と来るといつもゲームをして過ごしている。その日もゲームをしながら過ごし、時折名前の姿を盗み見ていた。紬に気付かれないように。
 制服とは違う名前の姿は少しだけ別人に見える。でもシャーペンを片手に教科書やら参考書やノートを見ながら難しい顔をしている名前は、隣の席で見る名前の顔そのものだった。万里はその姿を見てにやけるのをなんとか抑える。
 可愛い。心の中で思っていたことは前に座る紬にも気づかれることはなかった。
 そして名前も万里が同じ時間に同じカフェにいることを気付くことはなかった。



 そんな経緯もあって今日もこのカフェにいる。あれから何度か席替えをして名前と隣の席になることはなかった。少し席が離れてしまってはいるが、休み時間や放課後の時間に時折わからないところ万里に聞く名前。万里は名前に頼られることが嬉しくて、嫌がることなく教える。
 気付いた時には名前のことを好きになっていた万里だが、その想いは未だ伝えられていないままだった。

 そんな休日の昼下がり。万里はいつ想いを告げようかと頭の片隅で考えていた。




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