月影と道 | ナノ

月影と道

雨間逃避行



そっと目を閉じて、友人の笑顔を思い浮かべた。すぐに思い浮かぶ笑顔と同じものが、女子の前で咲いていた。ぎゅうっと胸が締め付けられて、こっそりと二人の話を聞いていた俺は、息を潜めて部室へ向かうのだった。

偶然にも委員会が終わり、何となく教室へ続く廊下に向かった時だった。聞き慣れた二人の、大切な二人の声が聞こえたのだった。
静かに話す二人はまるで秘密の話をしている様で、世界から隠れたがっている様で、距離感もそんな風に見えた。二人とも、笑っていた。春の陽射しみたいに、優しく穏やかに。これからずっと寒くなっていく一方だからあまりにも季節外れで、今日は雨だからそんなものはどこに行っても見られないと思っていたのに、大好きな二人がそんなものを見せているとなると、安心する一方で苦しい。

俺は、香山になんて事を言ったんや。

香山は優しいから何も言わずに居たけれど、傷付いたに違いない。意味合いがどうであっても、まあ恐らく恋情なのだけれど、香山は白石のことが好きだ。それは間違いない。見ていればそれくらいは分かる。
良かれと思って俺が香山から離そうと思っていた白石も、香山には気を許している。信頼していると言うか、何と言うか、香山の前では安心しきっている。よく伝わってきた瞬間だった。
それなのに、俺は。白石のこと、もっとちゃんと見てあげられていたら良かったのに。あの時も、今も。

ネガティブ思考が進むのも、俺が部室に到着するのも、本当に一瞬だったように思える。いつもの様に扉を開くと、図書委員会も同じ様な時間に終わったのか、財前が着替え終わってすぐの瞬間だった。

「何なんですか、ショボくれた顔して」

きっしょいわー、と付け足した財前は、俺とは正反対に何故か楽しそうである。そんなに俺のショボくれた顔が嬉しいか、挨拶より先にいじるくらい嬉しいか。ショボくれてるか?と問いつつ眉を顰めた。

「だって謙也さん、いっつも喧しいくらいやのに、先に口開いたん俺ですよ」

何だかんだでこいつはよく見ている。どこかで俺がホッと胸を撫で下ろした気がした。

ロッカーをゆっくりと閉める財前は、委員会に入っていない部員たちが既に練習を始めている中に入ろうとする様子はない。謙也さん何かあったんですか、そう問うている様な気がした。そんな事を言っては、キモいっすわ、などと毒を吐かれるのだろうけれど。
少しだけ、ぎゅうぎゅうと締め付けられていた胸も、ふわふわした何かがいっぱいに詰められた気管も、すうっと楽になった。

カッターシャツのボタンを外しながら、深く息を吸う。しっとりと冷たい空気が、俺の胸を澄ませた。

「ひとつ聞いてもええですか?」
「何?」
「あの、香山何ちゃらって人。あの人のこと、好きなんですか」

まあ無いと思うけど。財前は鼻で笑ってそう付け足した。俺が誰をどう思ってるかなんて、分かってるくせに。

「財前が女子の名前覚えるとか珍しくない?」
「話逸らすなや」
「好きか嫌いかで言うたら好きやで。でもな、恋とか、そういうのとは縁遠いねん、って、知ってて聞いたやろ」
「まあ謙也さんがキモいぐらい一途で純情なのは分かってます」

お前は一言多いねん。そんな意味を込めて、財前を小突いた。

俺は香山にそういう感情は無い。大事な友人のひとりではあるし、好きか嫌いかで言うなら本当に大好きだ。けれども俺は、白石とはまた別の所で立ち止まっている様な、立ち止まっている誰かを待っている様な、そんな気さえしている。まあ、その話は今は置いといて。

財前との間に沈黙が流れる。確かにいつもの俺は喧しいくらい財前に絡んで、鬱陶しがられて、練習へ向かう。今日はそんな気分でない理由は、自分に問うまでもない。

財前は、未だに練習に参加する様子は無い。着替えつつそちらを一瞥すると、パイプ椅子に腰掛けて窓の外をぼうっと見つめていた。ただ落ちていくだけの雨粒を、じいっと見つめている瞳に、感情は何も無い。悲しみも喜びも無い。けれども、どこか優しい。

「なあ、財前」
「何ですか」
「香山と白石、うまくいかへんかなぁ」

正直俺の言葉は脳を介した気がしない。ただ勝手に口が動いていたみたいな、それでも心の奥底にずっと眠っていた様な、ズシンと重い一言だった。
もう一度財前の方を見ると、めんどくさそうだった瞳が、目が覚めた様に開かれている。真っ黒で長く濃い睫毛が、綺麗に整った顔に影を作ってしまいそうだ。

「本気で思ってるんですか」
「まあ、ぼんやりと」
「馬鹿馬鹿しい」

ずっと俺のくだらない話に付き合ってくれていた財前が、漸く重そうな腰を椅子から上げた。鋭い瞳が俺だけを捕らえて、いつもより低めの声でハッキリと強く告げた。

「白石部長は、まだ誰かさんのこと忘れてないですよ」

音を付けるならばキリッとしていた瞳がフッと伏せられ、呆れた様な顔をした財前は俺の隣に立った。

まだ、多分、あの人のことを、と改めて財前が自分の中で確かめる様に言葉を紡ぐと、その話になっていた当人が部室へやって来た。その日のうちに財前とその話をすることは無かった。

白石は、まだ、進めていない。俺は、何も出来ない。

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