月影と道 | ナノ

月影と道

この心臓はきみ専用だと気づきました



私が何を考えたのか、白石君に月影の話をして何日か後のこと。月が見えないくらい雨が続いていた。しとしと、しとしと。室内に居ると、雨が降っていることなんて分からないくらい静かに街が潤う。雨が降るためには空に雲が広がっていて、夜はとても月なんて見えやしない。残念だなぁ。月が見えた次の日は、白石君に「月が綺麗だったね」なんて言ってみたかった。白石君は物知りな人だから、そんな事を言ってしまってはきっと私の想いを知る事になるのだけれど。言えない。まだ、言えない。言ってしまっては、白石君の優しい笑顔を曇らせる事になってしまいそうだから。第一、「綺麗だったね」じゃ過去形ではないか。私の想いは今も続いている。月が見えない時間に「月が綺麗ですね」なんて言ったらそれはもう、告白の意味しか持たない。ああ、私は一体何を考えているんだろう。

廊下の窓から見えた雨をぼんやり見つめながら、そんな事を考えていた。くだらない。くだらないけれど、白石君と居ると、そんなくだらない事がとても重要に思えてしまう。大切にしたいから。

けれども私が白石君を救う事なんて出来ないし、あの優しい人の心に住む事なんてこの先あるはずがない。大切で大切で、どうしようもないくらい、触れられないくらい大切で。私がどれだけ彼を慈しみ愛しても、彼は大事な事を言葉にする事も受け取る事もきっとしない。拒む事も無いけれど、受け止める事も無い。私と彼は、そういう距離に立っている。
だから、いつぞやの文豪の様に婉曲的に好きを告げても、彼に届く事は無い。彼の元へ届いても、彼の心に届く事は、無い。本当に、彼は月に居るみたいだ。月の影で、ひとり静かに泣いている。

私が彼をどう思っていても、彼を守るのは彼の友人だし。私から守ろうとされてしまったし。軽率に近付くなとか言われちゃったし。

「私がどんなに近付きたくても、近付けないんだよ。……ばーか」

しん。どこから生まれたかも分からない私のひとりごとは、小さな小さな声だった。いつもは笑い声が響く廊下に、少しも音を残さず消えた。
周りに誰も居ない事が、時刻を思い出させる。いつもはこの校舎の廊下には、真っ赤な光が差し込んで長い長い影を作るのに、雨雲が夕陽を隠してしまっているから、時間なんて忘れてしまいそう。このまま止まってしまえば良い。うそ、止まらないで。このまま止まらないで倍速くらいで時間が進んで、私がいつか白石君を忘れてしまう日が、1秒でも早く来ると良い。
だって、苦しいんだもの。人を想うのって、苦しい。きっと、想われる人が苦しくないためなんだろう。白石君が苦しくなかったら、白石君の苦しみが1ミリでも減るなら、この胸が張り裂けようとも構わない。だって貴方は、私が好きになった初めの貴方は、泣いていたから。泣かない今が愛おしい。だから。

苦しい、けれど安心する。それが好きで、好きで、愛おしくて。きゅうっと締め付けられる胸が、全身が、白石君を好きだと言ってる。

私は、白石君が、好きだ。


「これじゃ見えへんなあ、月」

涙が溢れそうになってから、ずうっと俯いていた私の耳に、優しい声が降ってくる。雨ではない。穏やかで、柔らかい声が、静かに。

心臓がどきりと跳ねて声が降ってきた方を振り返ると、苦しくなる彼が居た。分かっていたけれど、苦しくなる。それで居て安心するのだから、私はもう末期だ。戻れない。彼を知る前の私には、戻れない。
きっとまた私の瞳は揺らいだ。泣いてるんか?と、白石君が心配そうに私の顔を覗き込むと、どこかで嗅いだ事のあるような優しい匂いがして、顔に全身の熱が集まった。

「えっ、あ……、白石君、」
「隣のクラスやのになかなか会わんなあ」

だって避けていたもの、とは言えなかった。
あの日、私と白石君の共通の友人が中途半端な気持ちで白石に近付くなと言ったあの日から、ずっと考えてきた。私が白石君に関与して、私の言動ひとつが白石君を傷付けてしまうかもしれない、などと。
白石君にとって私はそこまで大きな存在でもないだろうけれど、何が彼の心を削るか分からない。私はまだ白石君のことを何も知らない。だからきっと、友人なんて関係で近付いて、余計な事をするなと、謙也君は言ったのだろう。
あの言葉で私が傷付かなかったと言えば嘘になる。けれどもきっと謙也君は謙也君で葛藤したし、誰より傷付いて泣いていたのは白石君だ。私は、本当に何も知らないけれど。

ずっとずっと避けてきた。一緒に月を見た日で、最後にしようと決めた。白石君と関わらないようにしようって、白石君に何も無いようにって。ずっと、ずっと。ずうっと、話したくて仕方なかった。また貴方の優しい笑顔を見たかった。無邪気に笑ってみせてほしかった。

「あの時、ありがとうな」
「あの時?」
「最後に喋った日。なんかな、無性に泣きたくなった」

白石君は私の隣に並んで、私と目は合わせずそう言った。降っている事も忘れてしまっていた雨をじいっと見つめて、慈しむように、こう続けた。

「でも、こうやって、隣に誰かが居てくれるんやって再確認してん」

喉に綿が詰められたみたいに苦しかった呼吸が、すうっと通る。潤った空気が喉を通り、全身に沁み渡るみたい。
私の今の世界には、白石君の声しか無い。雨の音なんてどこにも無い。

「楓ちゃんと喋ってるとな、何かが融けていくみたいな。ここが、すっごいあったかくなるねん」

白石君は、全身できっと一番大切な部分に、胸に大きな手の平を乗せて、私の顔を一瞥すると、徐に目を閉じた。

「ものすっごい……あったかくなる。今も、あったかい」

泣きたくなった、と彼は言った。泣きたいのは私だ。泣いてしまいたい。泣いて、泣いて、出来る事なら貴方の分まで泣いてしまいたい。

どうして白石君はそこまで優しいのだろう。大きくて広い人なのだろう。私はずっと、白石君と離れようと頑張っていたのに。これ以上好きになってしまう前に、本当にどこへも帰れなくなる前に、離れようと思っていたのに、もう本当にどこへも戻れない。好きになったあの日から、引き返す道なんてどこにも無かったんだ。
その事にやっと気付いたような不甲斐ない私を、白石君は受け止めてくれていた。あったかくなる、だなんて、とても温かい言葉で。友人として、そうやってあるものとして、認めてくれていた。認めようとしてくれていた。白石君の心は息も出来ないくらい泣いていたはずなのに、きっと私と初めて話したあの日から。私の自分勝手な想いを受け止める事は無くても、ボロボロの心でも、私を受け止めてくれていたんだ。話していてあったかくなるのは私の方だと言うのに。

「い、いの…?」
「ん?何が?」
「白石君とお話しても」
「だって俺ら友達やん。友達になってって言うたら、楓ちゃんは良いよって言ってくれたやろ」
「うん、言った」
「友達やったらいつでも話してええモンやろ。違う?」

白石君の笑顔はまるで夕陽みたいだ。優しくて、温かくて、時折寂しそうに見えて胸を締め付ける。けれどもやっぱり、温かくて。
私は何の言葉も出てこなくて、首を何度も横に振った。
きっと今の白石君の瞳に映る私は、情けなく眉をハの字に下げている。

「私もね、白石君と話してると、ここがあったかくなるんだよ」

先程の白石君の真似をして、胸にそっと手を乗せた。心臓の音はバクバクと速いものではなく、ゆっくりと穏やかに、時間を刻む様に、歩いていた。

「だからね、いっぱいお話したい。白石君とお話したいよ」
「うん。話そう、いつでも」

白石君はいつもと同じように笑ってくれたから、その時、誰かが私たちの会話を聞いているだろうなんて、考えもしなかった。

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