月影と道 | ナノ

月影と道

解けゆく魔法がこわかった



「ごめん白石、聞くつもりやなかってんけど」

真っ直ぐな視線。俺だけに向けられた、強い視線。それは時折、この身を貫くような心地になる。射抜かれるような、そんな感覚を覚える。責められているだとか、叱られているだとか、そういうことではなくて、ただ単純にそこに強く揺るぎのない意志を持った瞳があるというだけで、たったそれだけで、「嗚呼、痛い」と思ってしまうのだ。
それはまるで弱い自分自身を見透かされているような、そのような感覚に近いのかもしれない。とてもよく似ている。怖いというか、何というか。見られている。見つめられている。他の誰かに同じ時間だけ見つめられた時よりも、おそらく強くそう感じている。
けん、や。情けなく震えた声で彼の名を呼んだ。途切れ途切れに、小さく、弱々しく。彼のその名はきちんと俺の声に乗っただろうか。それすらも分からない。何だか少し、弱っている時の自分に戻っている気がした。それはもしかすると、俺を弱らせた誰かのことを思い浮かべていたからかもしれない。きっと、頭が少しだけあの日に帰っていたから。けれども心は確かにここに在るのだと、今を生きているのだと、そう思わされた。だから余計に泣きたくなるのだけれど。

「先輩のこと、まだ好きなん?」

依然として痛いくらいに真っ直ぐな視線は俺に向けられたままだ。謙也の視界には俺がただ立ち尽くしているだけに違いない。他には特に何も写ってなどいない。そう思えるくらいにはじっと見つめられていた。
なのに、だ。俺の視界には途端に薄桃色がちらほらと踊り始める。謙也が背を向けているそこに咲いていた花びらが、ひとひら、またひとひらと舞っていく。それがあまりに美しくて、儚くて、微かに視界がぼやけた。

そんなことより謙也は何でここに?また弱々しい声でそう尋ねたところ、どうやら俺を探していたらしい。来週のホームルームまでに考えていてほしいことがあると担任からの伝言を預かったとか何とか。見つけたと思ったら取り込み中だったため声をかけずに居てくれたが、先程の知らない女生徒の話をしっかり聞いてしまった、と。そっか。どのような感情を抱いたのかも分からないが、ただ一言、相槌だけ零れた。

先輩のことが、まだ好きなのか。

謙也の質問をようやっと噛み砕き理解し自分の中に落ちてきたその瞬間、脳裏に浮かんだのはたったひとりの女の子だった。たったひとりの、君。

弱くなった心は「助けて」も「苦しい」も「つらい」も言いたがらなかった。言おうとはしなかった。言いたくなかった。言ってしまえば本当に弱くなりそうで怖かったから。友人の前では笑って居たかったし、大丈夫な自分で居たかったし、強い自分で居たかった。
そう強く願うのは、きっと「光りが欲しい」と。この心が叫んでいる証だったというのに、君と居ると本当は心地よくて安心できるというのに、弱いままに弱くさせる人、本当に弱いだけ弱いと泣かせる人、それはまあ、紛れもなく君なのだけれど。その人と居ることはいけないと、心を傾けてしまってはいけない、と。どこかで「ダメだ」なんてブレーキをかけたりしていて。そんな自分に、ただ気づくだけ。心が今を生きているというのは、そういうこと。認めたくなかった弱い俺を、認めてしまうような、気がした。
ずっとずうっと、いつだってそうだった。ずっと前からそうだった。弱い自分ではいけないと頭が囁きながら心は泣いていた。それを隠したいと願いながら、そっと優しく扉を君は開いてくれた。大事にしてくれた。大切に大切に、温めては抱き締めて、大丈夫だよって背中を撫でてくれた。そこに縋るように穏やかさを求めてはただ注がれる優しさに安心していた。自分でも驚くほどに、息をするように、気がつくと安心できていたのだ。
それは月明かりに「眩しいから照らさないで」と涙を流しながらも、その灯りに孤独や痛みを融かされることを望んではそこに安堵を覚えていたみたいに。

もうそんなこと、今更だと言うのに。そんな君を大切にしたい、と。そんな君が大切にしてくれた俺を大切にしたい、と。そう願った夜だってあった。知っていた。涙があった、決意があった、そうして、君を想った。傍に居てほしいと、強く願った。

「あのな、俺……、」
「うん」

また声が震える。頬を濡らしてしまいそうになる。どうしてこうも君は、俺の心を震わせるのだろう。温かくするのに、優しく穏やかな心にさせるのに、時折強く震わせる。動かせる。頑なにあの日に居ようとしたこの心がまた歩き出せるように、穏やかな声で暖かな優しい道へと導く、道しるべとなって。そうして、強く、こう思わせるのだ。


「楓ちゃんのことが、好きや」


きみが、すきです。すきなんです、だいすきなんです。


ふ、と。君を想うと頬が綻んだ。その言葉が出てきた、というより零れ落ちた瞬間、固く口を閉ざしていた蕾がゆっくり、ゆっくりと開いたようだった。ずっと言葉を知らなかった幼子が初めて君の名前を呼んだみたいに。本当はずっと前から知っていて呼びたくて、けれども上手く言えずに居たその名を、初めてちゃんと言えた時、きっとこんな想いになる。
まだ幼い俺はたった今この瞬間に、温かくて穏やかで、泣いてしまいたくなるくらい優しい「好き」を、初めて知ったのだ、と。そう思う。

引きしめていたはずの何かが緩む感覚は全身に伝播した。身体の力は抜けるし、口元は緩むし、涙腺だって緩んだ。泣きそうに、なった。そこに悲しみだとか苦しみだとかは一切存在しないというのに、何故か泣いてしまいたくなった。慟哭などではなく、ただ、何かが込み上げてきたのだった。


ふ、と。目の前に居た相手は小さく息を零して笑った。それは枷を取っ払った瞬間でもあり、これでもかというほど声をあげて笑い出した。つられて俺の口角もほんの少し上がり、「あれ?」と情けなく声をあげては首を傾げると、そいつは笑いが落ち着いた頃にこう零した。

「そんなん、俺はずっと前から知ってたわ」

今更やろ。そう付け足しては緩く微笑んだ。この人は、隣で俺をずっと見てきた。そいつが言うということは、本当に今更の話なのだろう。ずっと、ずうっと前から、俺は、楓ちゃんのことが。その言葉の先を考えた瞬間、じわりじわりと身体の熱が顔に集まり始めた。


新しいものが芽吹く、始まりの季節。とても相応しい何かがそこには確かに在った。けれども、同時に真逆のことも起こっていたわけで。
先輩はきっと一生忘れられない相手だ。理由など分かりきっている。俺が生まれて初めて深く深く心を傾けた相手だから。そういう存在として、きっと心のどこか唯一無二の場所に居続ける。けれども確かにその瞬間に俺の中でもう一度終わった。これほどまでに穏やかな始まりの季節にこのような例え話もおかしな話かもしれないが、この季節は出会いの季節でもあり別れの季節でもあるのだとすれば、これが一番腑に落ちる例え。これはどこか、穏やかに目を瞑り息を止める、死にも似ていた。
謙也の背景では、ひとひら、またひとひら、花びらがどこかへ行こうとしていた。

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