月影と道 | ナノ

月影と道

しあわせを探す旅



君の澄んだ瞳に映る世界は、この瞳に映るものとはきっと違う。高さも広さも、色もその濃さも、きっと違う。俺が見ているよりずっと美しく優しいもので溢れている。いつかきっと、同じ世界を見ることが出来れば良いのに。そんなことはこの身が朽ちても果てても叶わないのかもしれないけれど、少しでも知ることが出来たらいいと、そう願った。

「あ、白石やん。見た?クラス発表」
「見た見た。俺らまた一緒やな」
「そうそう」

またこの季節がやって来た。いつしか誰かを心の底から慕い、焦がれるくらいに想ったこの季節。初めて恋をしたのだろうか。分からない。しかし恐らく、ここまで誰かが心に棲んでいたのは今までは無かった。先輩。後にも先にも、と言ってしまうと大袈裟かもしれないが、少なくとも先には知ることのなかった夢を見た。先輩、あなたのことを、お慕い申し上げております。お慕い申し上げていた季節が、そうだと気が付いた季節が、やってきた。あなたの居ない、春が来た。

あなたに出会うまでの俺は、いや、あなたとさよならをするまでの俺にはこの季節が一番幸せだった。友人の誕生日、自分の誕生日。新しい出会いと優しく暖かな空気。全てが穏やかで落ち着いていて、大好きだった。
いつしかこの季節の光が当てられるもの全てが、言葉でさえも哀しく響くようになり。例年よりも色を落として見える花びらが、幾つも幾つも風に拐われてどこかへ消えていきそうだ。

頭の隅で忙しい思考がぐるぐると回る。今日も安定してくだらない謙也の話は特に頭には入ってこないが、当人が嬉しそうで幸せそうだから何だっていい。侑士という単語が幾度も耳を通る。従兄弟とは相変わらず仲良しのようで安心する。謙也にはこうして笑っていてほしい。

謙也との話を終えて席に着いたのは、指定された窓際の2列目。一番後ろの席。誰か越しにこの儚い風景を見ることになる。ああ、きっとその人でさえ俺の頭の中では儚く消えていくのかもしれない。残らないのかもしれない。そう、思っていた。

「あ、白石君もこのクラスだったんだね」


どこか儚げな響きを残したまま、穏やかに包み込むその声は、何度も聴いては何度も救われた声だった。君の名を口にすると、今は何故か少しだけ寂しげに聞こえる。こんな名前だっただろうか。こんな響きの名前だっただろうか。声に乗せてしまうだけで、理由も分からず涙を零してしまいそう。

桜の花びらは少し、雪にも似ている。

「楓、ちゃん」
「おはよう、白石君」
「おはよう、久しぶりやな」
「冬休み以来だね」
「うん」

二人して浮かべたのはあの日のことだったのだろう。初めて君に触れた日。初めて君を、あんなにも近くに感じた日。それから、その話をするために会いに行ったあの日のこと。お互い口に出しては言わないが、空気で何となく分かる。照れくさそうに鼻の頭を掻いたかと思えば、窓際の席なの、羨ましいでしょう。そう言って彼女は珍しく、子どものように笑ってみせた。
暗い色の髪に春の陽がほんのりと差し込んで、少し明るく縁取って。穏やかなのに眩しくて、そのあまりのまばゆさに目を細めたら、彼女は小さな笑みを返してくれた。

彼女の友人が彼女の元へ来たのを境に俺たちの会話は途切れたが、最後に彼女の柔らかな瞳が自分に向いて、心臓が抉られた気になる。抉られた、とはまた違うか。そっと抱き締められた。そっちの方が彼女と一緒に居る間は相応しい。
先輩は何度も俺の心臓を抉ってはじりじりと焼いてすらいたけれど、君はどうしてこうも、春の陽射しみたいに包み込むのだろう。不意に目を覚ますとそこには、優しいものしか溢れていない世界が俺の目覚めを待っていたような。この世の優しい響きの言葉全てかき集めても足りないくらい、優しく、俺を。

桜を背に置いたこの人も、桜が背景になって友人と談笑するこの人の横顔も、この人越しに見つめる桜も、今しかないものだと思うと、頭にいつまでも残しておきたくなった。目に焼き付けておこう。胸に焼き付けておこう。もしこの先、君とお別れする日が来たら。君を失う日が来たら。その日に他愛もない君ばかりが残っていて、それでもきっと幸せだろう。けれど、何かひとつ、こんな君が居たなというものがあれば、たったそれだけで俺は息をしやすくなると思う。たくさん、たくさんあるけれど。既にたくさん、色んなものを貰っているけれど、瞼の裏にこの風景が浮かんできた時、俺は、何度だって救われるのだと思う。もし、君を失う日が来たら、その時の例えばの話だけれど。

何度だって思い出すのは君の声で、君の微笑みで、君の言葉で。それとこれとあれとで俺は大きく息を吸い込んで。君といつか離れても、きっと君と居た証が、記憶が、道しるべになる。こっちだよって導いてくれるのだと思う。間違わないように、迷わないように、折れないように。もう既に君は優しいものばかり残してくれている。優しくて温かいものをありったけ残して、これでもかというくらい俺の腕の中に残して、きっと君は俺との別れの日を迎えるのだろう。そういう人なんだろうなと、そう、思う。


君との別れの日がもし来たら、俺はどうなるのだろう。胸を痛める。涙を零す。嗚咽する。行かないでと縋る。どれもこれも安易に想像できてしまうけれど、きっと、そういう胸の痛みをこの先は数えきれないくらい重ねるのだろう。

そうして俺たちは、本当の幸せに出会うのだろうか。


「ん?何やこれ」


白石くんへ。丸い字で俺の名が書かれた封筒は、淡い桃色で春を匂わせる。中の便箋には簡素な文章がひとつ。

春を待つ、便りだった。

-19-



戻る
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -