月影と道 | ナノ

月影と道

僕が英雄ならよかった



暗い夜道を独りで、好きな人に会いに行った。香山は、想いを寄せる相手に会いに、女の子独りで、真っ暗な道を選んだ。友人のそんな選択を少しばかり心配した俺は、時間を置いて二人を迎えにその公園へ足を運んだ。

白石は大事な友達で、だから笑っていてほしい。それから香山も大事な友達だから、これも同じく1秒でも長く笑っていてほしいと思う。少しでも流す涙が少なければ良いと思う。二人とも。
白石はどれだけ泣いても苦しんでもそれを明言することは無いし、出来る限り隠そうとするし笑おうとする。そんなことは中学生の頃から分かりきっているけれど、白石が奥にしまい込む深い深い悲しみはもうひとり悲しませる。首を絞める。助けてほしそうに笑う。下手くそな笑顔を俺に向ける。香山だ。

白石が幸せになれば、笑えたら、泣かなければ、きっとそれは香山の幸せでもあって、笑顔でもあって。だから白石が笑ってくれれば良い。俺に出来ることなんて悪けりゃ微塵も無いのかもしれないけれど、いつか白石が心の底から笑って、もう死んでも良いと思うくらい幸せになれば良い。白石が暖かい幸せの中で生きれば良い。
今でも香山によって充分すぎるくらい優しく真っ直ぐに穏やかに想われてはいるけれど、香山もその想いを秘めるので、優しい恋心は白石からすれば見えない。無いも同然なのだろう。だからと言って香山の想いを知ることはとても危険なことにもなり得る。白石は受け止めきれるだろうか。また何か、恋において深い悲しみを味わうことになってしまわないだろうか。恋から遠い世界に行ってしまいたいと思ってはいないだろうか。

香山と俺にはそれが暗黙の了解のような何かだった気がする。香山が白石を好きだということも、白石に想いを伝えないことも。香山はどちらも明言をしたことはないし白石に恋心を打ち明けたいと思っているかどうかも俺は知らない。しかし仮に自身の想いを知ってほしいと思っているとしたら、それはタブーのように思っている。恐らく香山はそんな風に思っている。罪悪感さえ抱いているかもしれない。時折、白石と関わる香山の様子からは慈しみや恋情だけでなく悲哀や葛藤を感じる。白石の話をする香山からは、痛いくらいに伝わってくる。たったひとつの曲がった行いが白石の中に消えない、癒えない傷を残し、それが白石を想う人をも息苦しくさせるのだから、浮気とは本当に恐ろしいものだ。月並みな言葉だが、俺は絶対にそんなことはしたくない。

「月並み、な」

月と並べるのも烏滸がましい。俺の大事な友人をあそこまで悲しませて悲しみだけ残して無責任に去っていって。こうして先輩のことを責めることを白石が望んでいるかは些か疑問ではあるが、そんなことはどうでも良い。先輩の所為以外の何物でもない。白石はあんなにも、ずっとずうっと真っ直ぐで誠実だった。白石が何をしたと言うか。腹立たしい。何か事情があったんやろ、なんて白石は下手に笑ったことがあるが、事情なんてあるもんか。そんな人間を思い浮かべた時に、時折白石が愛おしそうに見上げる月という言葉を使うなんて許せない。

なんて、俺は第三者で何も関係は無い。だから知っていても何も出来なかったし、今も何も出来ない。ただ白石の傍に居ることしか出来ない。それから、人を恨むというのはどこか苦しい。胸がぎゅうっとなる。白石をどうにも出来ないこと以上に罪の意識が溢れてきてしまう。


たったひとりでそこまで考えながら、白石と香山が居る公園の前まで行き、暫く二人を見つめていた。仄かに辺りを明るくする街灯が二人の影を作る。それがおもむろに重なり、俺の時間は静かに終わった気がした。
白石にとって香山とは何なのだろう。まるで止まり木のような存在なのだろうか。抱き締められた白石は小さな子どものように香山に縋る。香山は我が子を眠らせるように白石の頭を撫で、それが暫し続けられた。二人の間に会話はあったのだろうけれど、それはささめき程度のもので。俺の耳に入ることはなく、秘密を交換するようにお互いの今の想いがそこだけで控えめに小さく交差したのだろう。すっかり働かなくなった頭は辛うじて白石が歩き出したことは理解し、咄嗟に「隠れろ」とだけ命令した。

どうにか白石に見つからずにやり過ごし、遠ざかっていく背中を見送るが、香山がその場から動く気配は無い。白石は香山を置いてどこへ行ったのだろう。宿へ帰ったのか?また香山をこんな何も無い夜道を歩かせるのは気が引けて、そっと彼女に声をかけた。返事をする声は分かりやすく震えている。

「謙也、くん」
「香山、戻らんで大丈夫か?家族、心配してへんか?」
「それは大丈夫、なんだけど、」

好きな人と抱き合い、触れ、耳元で声を聞いた思春期の女の子だ。緊張と喜びとでいっぱいなはずなのに、香山は、これでもかというくらいに頬を濡らしていた。暗くてよく見えないが、涙を拭う仕草と揺らぐ声音と途切れ途切れの言葉がそうとしか語らない。

「白石君、泣いてた」
「……うん」

ひとつ吹いた木枯らしが、石鹸の優しい香りを運んでくる。冷たい風のくせに、暖かい香山のこころを冷えさせてしまうことは無かった。ろうそくの火のように揺れる声が俺の内側にまで沁みてきて、鼻が何かに突かれたようにツンとした。

「どうしてか分からないけど、胸が苦しくて……何でかなあ、分からない、でも……苦しいよ」
「うん」

大丈夫やからな。白石の優しい声がそう、どこかで聞こえた気がした。今一番大丈夫でない彼が大丈夫だと言って苦い苦い笑顔を作ってみせるのに、大丈夫なはずの俺の口から大丈夫だという言葉はいつまで経っても出てこなかった。今はただ香山に泣かないでほしくて、けれども「泣くな」とも言えず、出来る限り白石のように優しく、香山の頭を撫でることしか出来なかった。柔らかい髪や温もりや、触ると宙を舞う香りが、どこか懐かしかった。

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