月影と道 | ナノ

月影と道

100万回の嘘



100万回の嘘を吐かれたとしても、貴女の声でならそんなことはどうでも良い。どうでも良かった。どうでも良いと思えた。嘘なんて吐かれた回数は分からないけれど吐かれていたことは分かる。それくらい、俺は、俺は。
100万回嘘を吐いたって良いから、どうか、俺を好いて愛したことさえ嘘にはされたくなかった。その想いさえ嘘にしてしまわれたくなかった。俺は、そうだった。


高い空の中、星が瞬く。大阪の栄えた所ではなかなか見れない数の星と、周りに虹のような光を携えた月が輝く。

例年テニス部の合宿は夏冬とあり、冬合宿は長期休暇が始まるとすぐにやってくる。去年と同じ宿でなので、宿の周りに何があるのかなどは把握出来てしまっている。なかなか寝付けなくて、その慣れた宿を出て少し散歩という体で近所の公園に足を運んだ。

冬は気が塞いで、動くことすら出来なくなる。何事も無くてもどこかもの寂しくなる。けれど、心優しい友人は黙って理解してくれるので、同じ部屋の謙也には一応行き先を伝えておいた。



なあお母さん。お月様がついてくるで。

自転車に乗る練習をしていたような幼い頃、そんな言葉を心の底から吐き出したことがあった。

何でなん?そう問いかけたところ母親は「蔵ノ介のこと見守ってるんやで」と優しく微笑んだ覚えがある。公園のベンチに腰かけて真っ黒な空を仰ぐと、今日もお月様は見守ってくれていた。悲しいくらい綺麗な月はまばゆく、自身を仄かに隠そうとする雲さえ、そんなもの薄いと淘汰してしまうよう。雲の後ろから輝いて輝いて、ここに居るからねと囁きかける。仰げば一番最初に目に入る。月の見えない夜以外は、いつだって傍に居てくれる。一番泣きたくなる夜に出てきては夜が明けるまで居てくれる。醒めながら優しい夢の中で俺は泳ぐのだ。

そのくせ傷みを隠している。いつだって俺からは見えないところに隠して、輝きしか見せないで。俺はきっと、月みたいな人になりたかったんだ。笑って、笑って、泣かないで。誰にも見えないところで頬を濡らす。そうありたかったのに、

「……居た」

君はいつだって、見せた笑顔の向こう側からやって来る。隠した悲しみを見つけては優しく優しく慈しむようにこの名を呼ぶんだ。この身に付けられた、この名を。白石君、と。曇りのない声で。

こういう意味では夜は好きだ。幾ら俺の瞳が揺れようとも濡れようとも、声さえ殺せば悟られない。悲しみに暮れようとも、きっと笑っているようにも見える。月明かりが、無ければ。ほらやっぱりお月様は、見守るし寄り添う。俺をひとりにはさせてくれない。まるで君みたいだ。ひとりになるのを許してはくれない。

情けないくらいに揺らいだ。やっとの思いで見れた彼女の顔が、歪んで見えてしまう。霞んで見えてしまう。そうして、よく見えなくなってしまう。
つられて震えた声は、通るたび喉を痛めつけては白く濁って消えていくだけ。

「な、んで……ここに?」
「さっき、謙也君に偶然会ったの。私は何も聞かなかったんだけど、白石君がここに居るって教えてもらったから」
「ひとりで来たん?」
「うん」

こんな夜道を女の子がひとりでなんて、と考えると背筋が凍った。寒いからではない。涙の方は本当に凍ったようにピタリと止まった。

俺が泣くと、膝を抱えると、後ろを向くと、この人たちがこうなる。優しい人だから、俺のことは何も責めずに添うのだろう。そして胸を痛める。一緒に膝を抱えるし後ろを向く。1秒でも早く元気になって心の底から笑わないと、前に進めないと、この人たちは、幾らでも俺のために時間を割いてしまう。
頭では分かっていたかもしれないけれど、こうして田舎の真っ暗で何も見えないような危ない道を何の躊躇いも無く追いかけてきてくれる楓ちゃんを目の当たりにすると、胸に直に来る。俺を大切にしてくれていて、決して軽くはない想いを抱き締めていてくれていること。謙也が何も言わずに送り出してくれたのに、楓ちゃんに居場所を伝えてくれたこと。お月様も君たちも、俺をひとりぼっちになることを許してはくれない。放っといてくれと叫ぶ俺の中で囁く「傍に居て」を当たり前のように拾って。

ああ、俺は、この人たちを大事にしたい。

大事な人が大事にしてくれる人間の、俺の、首をこれ以上絞めてはいけない。

優しく穏やかな空気が辺りを包む。それは間違いなく楓ちゃんが運んできたもので、そこだけ春が来たようだ。楓ちゃんと出会ったのとは真逆の季節。柔らかく暖かく、悲しみさえ優しい季節。桃色の花びらが散っていた季節。あの人と出会った、甘く哀しい季節。それが突然俺の元へやってきたように、楓ちゃんが持ってきた空気は優しく哀しく俺を包み込んだ。
それなのに、彼女の顔はよく見えない。たったそれだけで息が詰まって、よく見たいと願うように彼女を求めた。それさえ見えないくらい真っ暗な中で、手を彷徨わせる。漸く辿り着いた彼女の頬は、凍りつく程に冷たかった。俺の背中に小さな何かが走ると、脳内ではまるで鋏が刃を閉じて糸を切ったような音がした。

今度は石鹸のような優しい香りが鼻を、全身を包む。甘く柔らかく優しい。君みたいに、春みたいに、暖かい。触れるものも君の身体も冷たいのに、包み込むものは悲しくなるほど暖かい。……暖かい。

「もっと」と、その香りをもう一度堪能したくて、縋るように引き寄せられるように肩口に鼻を寄せた。一瞬だけ彼女の身体が強張った気がした。
彼女の頬を這っていた手はその場を離れ、俺より小さな身体の背中へと移動する。俺よりも、ずっと小さい。腕の中に簡単に収まってしまうくらいだ。こんなにも小さいからか、この身体では許容範囲を超えているかのように優しさが溢れ出している。その優しさがまた俺を包み込んで、寒いはずなのに眠たくなる程に暖かくて、幼子が眠るように瞼を閉じた。彼女からは俺の顔なんて何も見えないはずなのに、小さい子どもを寝かせつけるように穏やかで、けれどもどこか不器用でぎこちない手付きで頭を撫でられた。もう片方の手は俺と同じように背中に居る。そちらの手からは何故か、このひとときが終わらないことを望んでいるような気がした。

「ここに居るからね。ちゃんと、居るから」

縋るように鼻を寄せた肩口は、じわりと濡れた。

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