月影と道 | ナノ

月影と道

同じ影は背負えないの



冷たい風が痛いと感じるほどの朝もある。昼間はたまに暖かいと感じる程度で、夕方にもなればかなり冷え込む。そして日が落ちるのも早くなった。冷たくない時間の方が少ないかもしれない。

焼けるような色が澄んだ空気の中で痛く悲しいくらい輝く時間、頭の中で生まれた文章で、今をそんな風に形容した。唯一7時間目の授業がある月曜日の、その授業が終わってすぐの事だった。気だるそうに帰路につく生徒達の後ろ姿をぼんやりと眺め、いつの日か私が想いを寄せる人の隣を歩いたその道へ向かっていた。チクリと胸が痛むのは何故だか分からない。それから、彼が何を考えているのかも分からない。私は彼の秘める想いを知る事は無いのかもしれない。きっと彼は彼の想いを大事に大事に墓場まで持って行く。想いと一緒に眠るのかもしれないと思うくらい、私からは遠いところにある。

また頭の中では哀しい言葉が息をするように浮かんでは消える。胸が痛くなり普段は意識の欠片も向けないはずの呼吸が苦しくなり、どうにかひと息吐ける場所を見つけようと足掻き苦しみ縋るようにして溜め息を吐き出した。白く濁った息は優しく朱に染められては溶けた。ようやっと平生の息が出来るようになったと思い顔を上げると、広々とした緑が辺り一面に現れていた。いつの間にここに来たのだろう、どうしてここへ来たのだろう、と。自分の無意識に潜む存在が予期もせず突き付けられた気がして、ぎゅうっと下唇を噛み締めた。

ラケットが球を打つ音が軽快に鳴り響くはずのテニスコートに、その音は無い。7時間目の授業がある日と言うと、部活は自由参加になるらしいのでそれも無理はない。テニス部が不真面目な人ばかりなのではなく、この時期は必然と少なくなるらしい。聞いていた話だから本当の事は知らないけれど、この目で今日、たった今この瞬間、確かめる事になった。閑散という言葉ほどこの場に相応しい物は無いだろう。けれども、それでも、その場で彼は、白石君は、ひとり素振りをしていた。

「そういう所が、好きなんだよ」

テニスコートと同じ色をした網に指を掛けて、私はその姿をじいっと見つめた。この手は届かない。網なんて私と貴方の間には無いはずなのに、そんな物よりもずっとずっと厚くて壊れない物がある気がしてしまう。


あの日の事は今でも鮮明に思い出せる。その後どうやって帰ったかなんて思い出せないのに、それまでにあった事はこれでもかと言いたくなるくらいに染み付いている。目を閉じると、その時見た風景が色付きで蘇る。

「楓、どうしたの?具合悪い?」

聞き慣れた優しい声音が私を力強く引き寄せた。どこかへ行ってしまいそうな私を、今あるべき場所に。思わず大袈裟に跳ねた肩が、驚いたのだと自分の事ながら思わせる。その声と同じくらいに慣れた母親の顔に対して笑顔を貼り付けて首を横に振ると、不安げだった母が安堵したように笑った。

冬休みに入って数日のことだった。家族と共に旅行へ行く道中で。つい先日の出来事を、家族が居る中でも思い出してしまうし、他には何も考えられないし、親には心配されるし。宜しくないなと思い、寝不足だから取り敢えず寝ると家族に告げてまた瞼を閉じた。白石君のことを考えていたいというわけではない。寧ろ息が詰まる感じがして苦しいから、考えていたくないかもしれない。白石君が少しでも頭から離れるようにと私はイヤホンを深く挿して好きな歌手の曲を再生した。切ない旋律と詞、それから歌声に、泣いてしまわぬようにと踏ん張るくらいの事しか私には出来なかった。

父親が運転する車に暫く揺られているうちに、いつの間にか有名な温泉宿に到着した。そうして私はあるものを目にする。私の高校の名前と、それに続けられたテニス部御一行様の文字。もしかしてと心臓が早歩きし始めて間もなく私の耳に、落ち着いた響きの声が大切に置かれるように残る。

「楓ちゃん?」

どうやら彼は私の後ろ姿で私だと分かったらしい。徐ろに振り返った私の顔は、瞳は、今にも頬を濡らしてしまいそうだったと思う。白石君、とその人の名を、情けない程に震えた声で呼んでみせる。
偶然やなと言って笑うその人は、ある日に見た姿と同じ人だとはとても思えないくらいに生き生きとしていて、楽しそうで、負の感情なんてどこかに忘れてきてしまったようにも見える。そのくせ影を背負う。影を背負いきれなくなって痛む背中で、抱えきれなくなって折れた腕で、ひとりで背負い抱える。
そんな彼を一度好きになってしまえば嫌いになんてなれるはずがない。忘れられるはずも、薄れていくはずもない。哀しく美しい言葉も、月並みな楽しい言葉も似合うこの人のことを、私はどんどん知りたくなるばかりだ。

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