カウントダウン | ナノ


きっと終われない




お湯が出なくなっちゃったの。帰るなり顔を青くした母親はそう言った。だからお隣の忍足さん家に行って借りてねと。銭湯に行けばいいじゃないと言おうとしたが、母にも何か考えがあったのだろう。謙也君のお部屋にお邪魔する口実だって出来た。我ながら小賢しいと思いながらも口角を上げて二つ返事で謙也君の家の呼び鈴を鳴らした。

シャンプーやボディソープは持参したものの、謙也君のご両親がタオル貸すでと言ってくれたので甘えることにして、謙也君と同じ香りのタオルで髪から落ちる雫を拭った。それと引き換えに何とも言えない温かな想いが溢れてきて抑えられなくなって、脱衣所でタオルをぎゅっと抱き締めた。

謙也君とは気が付けば一緒に登校もしていない。朝練で忙しいのは分かっているし、我が儘を言ってまで時間を合わせるほどでもないし、窓を開けて叩けばいつもの元気な姿を見せてはくれるのだけれど。それでも何故か私は1秒でも長く謙也君と過ごしていたくて、謙也君の居るひとときを少しでも多く持っていたくて、大事にしたくて、けれどもそんなこと言えなくて。
謙也君は不思議な人だ。あれだけ簡単に人の心に入ってくるというのに中毒性が凄まじい。気が付けば私も謙也君の心に居座りたいと思うのに、眩しいくらいに明るい笑顔を見ていると何だって良くて。完璧な白石君といつも一緒に居るから比べられることだってあるだろうしマイナスな面が浮き彫りにだってなるはずなのに、そんなものはいつもいつも、いつも同じ笑顔で通り過ぎてしまう。そして私の名前を呼んで私のところへ来るのだ。

唯夏。大好きな声で彼は一度きり私の名を呼んだ。お風呂上がりの私よりずっと頬を紅潮させては手に持っていた通学用の鞄を情けなく落とした。驚いている。幾度となく見てきたその表情が何故か新鮮で、私の頬もつられて熱くなってしまった。夏だからかな。恋人だ、目の前に居るのは好きな人だ。そう思うと、彼の目はどう頑張っても見れそうにない。真っ直ぐに私を捉えて離さない目。分かっているから、顔は上げられなかった。

忍足家の居間で気まずい沈黙に浸っていると晩ごはんを食べて行く食べて行かないの押し問答が始まろうとしたが、謙也君が帰ってくる少し前に自宅で晩ごはんは食べたので、私の遠慮が通ることになった。残念やわあと肩を落とす謙也君のお母さんは結局明るい笑顔を見せてくれたし、お父さんも面白い冗談を言ってくれた。どうして謙也君がこういう素敵な人に育ったのかよく分かる。この家庭で過ごしてきたからだ。私にはそれが分かって充分だったというのに、謙也君は頼りない声でこう言った。

「ちょっとだけゆっくりしていかへん?」
「良いの?」
「お、俺の、部屋で。良かったら、久々にゆっくり喋りたいなって」
「え、」

先程とは比べものにならないくらいに顔が熱くなるのが自分でも分かった。おかげで言葉は何も出てこない。謙也君のお父さんとお母さんは何やら楽しそうな話をしていてこちらの会話には少しも耳を傾けていない。謙也君と私しか知らない。
もう少し、あと1センチでも距離が近かったら私は頭がくらくらして気を失ってさえいたかもしれない。逆上せて鼻血を出していてもおかしくない。それくらい謙也君の言葉も声もどこか甘くて虫歯にでもなってしまいそうだ。こうして一緒に居られるだけでお腹いっぱいだというのに、それでも一緒に居たい。矛盾だらけだし欲深い。そう思われたって良いから、今はただ謙也君と離れたくなくて小さく頷いた。

風呂入ったらご飯食べて部屋戻るから、何かしてて。謙也君はそう言ってお風呂に向かった。烏の行水でお風呂から戻った謙也君は食卓へ向かい、忍足家のご飯中の談笑を遠くに置いて、私は謙也君の部屋でひとりうわの空。何秒、何分経っても私の緊張はどこへも行かない。それどころか、目を閉じるたび、謙也君の匂いに包まれるたび、謙也君の先程の声を思い出す。

『久々にゆっくり喋りたいなって』

甘くて優しい。いつでもそうだけれど、今日はいつもより。いっそ酷いとさえ思う。どうして貴方はそんなにも、私の中に住むんだろう。いつか私が貴方の心から出て行って、居たことさえ忘れられてしまっても、きっと私の心から貴方が居なくなる日は来ないのでしょう。こうして悲しい言葉が脳裏をよぎっても、貴方の声を聞いて笑顔を見ると忘れてしまう。

「唯夏、どっちが良い?」

その甘く優しい声と共に掲げられたのはアイス。こっち、とソーダ味のアイスを指差すと謙也君は、そう言うと思ったと言ってまた笑った。1秒でも長くこの時間が続くと良いのに。頭の隅で生まれた言葉は、この先もずっと願うことなのだろう。この優しい時間が、いつまでもとは言わない。1秒でも長く続くといい。貴方が幸せだと言って笑ってくれるこの大切な日常が、少しでも長く続きますように。いつだって私は根底でそう願っている。祈っている。変わらない日常でも、いつでも願っていることなのかもしれない。
爽やかな味のアイスを謙也君の方に向けると、当たり前のように彼はひと口食べて、「唯夏の好きそうな味やな」。美味しいよね。私はそう言っていつものように笑った。



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