カウントダウン | ナノ


時計の針は止まらない




唯一の夏が始まる。君と過ごす、唯一の夏。中3の夏は、たった一回。これきりの夏。

放課後、二人きりの教室。脳内は君のことだけ。そんな時間が流れるのを、何度望んだのだろう。数えきれやしない。君の名前と、君の顔と。それから、窓の外から聞こえる部活動生の声なんかこの世から淘汰するように君の声と吐息だけを感じて、甘い甘い口付けをする。二人だけの秘密を指でなぞって確かめるみたいに、はたまたこの世界の何者からも見えないよう隠れるみたいに唇を寄せる。「誰か来るから駄目だよ謙也くん」なんて、俺の口付けを受け止め倦めて恋人を制止しようと試みる君に、「アホやなあ」と言ってまた煽られて止まらなくなって。誰かが来てしまうかもしれない、誰かに見られるかもしれない。背徳感にも似た感情は俺を昂ぶらせて止まない。口角が片側だけ上がると自らの唇を舐め、君を壁に追いやって、逃げられなくして、いつまでも止まらない口付けを交わす。そんな夕暮れ時を、何度も何度も夢見てきた。

そっと瞼を下ろす。ゆったりと息を吐いた。君の名前を何度も何度も、何度も脳内で呼んで、反芻して、たったそれだけで溢れてくる愛おしさを、掬いきれない想いをそっと拾って、抱き締める。そうして心拍数はこれでもかというくらいに上がり、漸くこの部屋に響く声だけに耳を澄ませた。

「はあ……」

盛大な溜め息だった。運動場からは様々な部活が賑わう声。目の前には恋人。ではなく、担任の先生。

先生と教室に二人きり。先生が続ける言葉が怖くて、先生の声や吐息にのみ集中など出来ない。思春期男子の集中力は単純なもので、好きな女の子の名前を一度きり脳内で呼んだだけで全神経がそちらへ行く。それどころか最近俺がよくする妄想にまでどっぷり浸かってしまっていた。
すっかり自分の世界に入り込んでいた俺を現在に引き戻したのは言うまでもなく先程の溜め息。

夏休み前に一度面談をしたが、まさか夏休み中に個人的に呼び出されるとは思ってもみなかった。何の内容やろー、と喚び出される直前までは緩く考えていたものの、こうして目の前で溜め息なんて吐かれれば嫌でも分かる。猛烈に逃げ出したかったし、言葉を選ばず率直に言うならば消えてしまいたかった。
のしかかるように重い空気に身動きが出来ない。もうこうして何時間が経っただろうか。掛け時計を睨み付けると、皮肉にもまだこの3年2組の教室に足を踏み入れてから2、3分のことだった。息も詰まるくらいの空気にやっと言葉を吐こうと口を開くと、沈んだ沈黙を終わらせたのは先生の方だった。

「模試がなあ」
「模試?」
「どえらい点数やったんや」
「ああ、むずいなーとは俺も思ってんけど」
「……二宮もお前の滑り止めんとこ書いててんな。理系コースで」

どきり。突然出てきた名に心臓が震えた。名前を唱えるだけでも、聞くだけですら俺の全てが震えるみたいに。
先生は知ってか知らずか恋人のことを口に出した。
俺が滑り止めとしている高校はそれなりに偏差値が高い。そしてテニスが強い。そこでテニスが出来たら俺はどの道でも良いのだけれど、先生が最後に補足した理系コースという言葉。その高校の理系コースは、府内でも片手に入るくらいには有名で且つ偏差値が高い。当たり前だが勉強を頑張ってきた者だけが入れる。そんな世界に、唯夏は、

「A判定や」

瞬きさえ出来ない。きっと息も出来ない。見せてもらった俺の模試の判定は、理系コースでギリギリD判定。文系はまた別だが、俺の進路的に文系では潰しが効かない。唯夏と俺はアルファベットだけで言えば3つしか差は無いにしても、点数は大きく開いているとのこと。

「比べるつもりなんて無いし本命に受かったら何でもええとは思うで、最終的にはな。ただ、早急に滑り止めは変えた方がええと思ってな」
「例えば?」
「こことか」

机の上に置かれた資料は以前白石と一緒にオープンスクールに参加した高校。知ってるとぼやくと先生は少し安堵したように息を吐いた。滑り止めの選び方とか分からんと思ってなあ、と、先生はやっと笑顔を見せてくれたのにどこか苦い。

それから先生と話したことでは、本命は今のままきちんと頑張れば問題はないとのこと。しかし滑り止めの方は変えた方が賢明だろう、と。俺は正直そこはどうでも良かった。変えればどうにかなる話である。
俺が一番気になったのは、唯夏のことだった。唯夏が成績優秀なのは知っていた。何においても丁寧で抜かりないし、負けず嫌いなところもあるし。当然の結果だとは思う。しかし、同じ大阪府内の中3でもほんの少しの人しかA判定を貰えないような高校の名前とコースの名前を書いて、割と易々とA判定を貰ってきたと先生は話していた。唯夏がそこまでの成績だったのがあまりにも衝撃で、第一志望がどこかを特別に教えてもらった。A判定を貰った高校よりワンランクは下の高校だった。先生曰く「めっちゃ行きたがってるから後押ししてる」らしいが、唯夏とはそういう話をあまりしないためよく分からない。彼女が何を望んでいるのか。

その日は先生と話し込んでから、部活には途中参加。夏休みが始まってからすっかり板についた生活の中、いつも通り部活で干からびそうなくらい汗をかいて疲れて、いつも通りまた帰路に着く。そして胸の内に晴れない雲を置いたまま、家のドアノブに手をかけた。いつもの倍は賑やかだった。ほかほかと言うべきか、もわっと言うべきか。リビングに行くまでの廊下に温かい空気が充満していた。何やねんと文句を言いながらリビングの扉を開けると、そこには。

「あ、謙也君。おかえりなさい」

濡れた髪を拭きながら俺に微笑みかける恋人の姿があった。

「唯夏……」

胸が苦しい。



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