カウントダウン | ナノ


もしも君が君以外で




世界が紅く染まっていた。もうすぐ世界は静かになり始めるというのに、運動場はまだガヤガヤと騒がしい。俺や白石、唯夏の団が優勝を果たし、体育祭は終わった。終わったというのにまだ運動場が騒がしいのは、女子達が写真を撮ったりしているからである。三年二組もクラス写真は撮ったが、俺は特に唯夏以外の女子と写真を撮ろうという気にはならなかった。
少し日焼けした顔も、少し疲れた顔も、汗でセットが台無しになった髪も、体育祭はどこか特別感があるから、写真を撮りたくなるのは分かる。俺も唯夏とツーショットの写真が欲しい。白石にカメラを任せて唯夏との写真を携帯に残そうと思っていたのに唯夏の姿は見えず、白石は数々の女子に囲まれてすっかり台風の目状態である。モテ男は大変やなあ。

クラスの女子に唯夏の居場所を聞くと、校舎の方へ行くのを見たと言われた。お礼を告げて小走りで校舎の方へ向かうと、見たかった顔が中庭でチラリと見える。唯夏、唯夏、唯夏。

今日はあまり話せていない。朝おはようを言ったくらいだ。それから、クラス写真で隣に立って照れ合った程度。唯夏と話したい。唯夏、と彼女の名が口から出るより先に、右手を伸ばして少し強引にこちらを向かせていた。

「……っ、謙也君」
「唯夏、唯夏」

何故か彼女が目の前に居る事が嬉しくて、普段は人前では絶対にこんな事はしないのに、考えるより先に俺は唯夏を抱き締めていた。肩を抱き寄せる様に触れると、触れるだけでは足りなくて、ぎゅうっと腕に力を込める。目線はどこかを彷徨った末に、外を見ない事にした。閉じた瞼の裏で、花が綻ぶ様な気がした。唯夏の、匂い。

炎天下の中で夢中になっていたからか、唯夏の体温はいつもより熱い気がする。体温がと言うか、顔が。胸に埋めた唯夏の顔が、じわじわと熱くなっていくのが分かった。
俺の胸の中で「苦しい」と零す唯夏を数秒無視して、ようやっと満足した俺は唯夏を抱き締める腕を緩めた。隙を見た様に唯夏は俺の胸を押しやり、耳まで夕焼け色に染め上げられたまま、俺から目を逸らした。

唯夏を見たい、唯夏と見つめ合ってたい、唯夏が足りひん。

「唯夏、どうかしたん?」
「……謙也君がこうやって触れるのは、私だけがいい」

ぽつりと唯夏の口から零れた言葉は、正直何故こんな時に出てくるのか分からなかったが、聞かずとも愛おしいひとは今日の話を始めた。俺が借り物競走で借りられた時のこと。俺が他の女生徒と手を繋いで走ったこと。仕方ないとは思ってるけど、と続けたけれど、唯夏の表情はどんどん曇り終いには眉間に皺も寄っていた。

不謹慎かもしれないが、可愛い。こいつ、可愛い。世界で一番、可愛い。

俺ばかりが好きだと思っていた。出会って間もない頃から唯夏が、唯夏だけが好きだった。唯夏は俺に興味なんて無くて、クラスの誰が格好良いだのという話を平気でしているのを見てきた。だから、今までも今もこの先も、俺ばかりが好きなのだと思っていた。それで良いとすら。唯夏が俺の隣で笑っていてくれるなら、こんな顔をさせてしまう事が無いなら、と今になっては思う。好きだとは言ってくれたけれど、俺の方がずっと強く好きだと、そう思っていたのに、唯夏は今、ヤキモチを妬いてくれている。

込み上げた嬉しさと愛おしさが、言葉を詰まらせる代わりに俺の顔を唯夏と同じ色に染め上げる。夕陽の色は、移るのが早い。

また抱き締めたら唯夏は怒るやろうか。抱き締めてほしいと思ってるやろうか。分からへん。何年一緒に居たって分からへん。分からへん事すら、大事な気がする。胸がぎゅうっと締め付けられて、俺は、唯夏の名前をもう一度だけ、呼んだ。
辺りに落ちたと思った少し甘めの声は、唯夏の耳にもきちんと届いた様で、申し訳なさそうにゆっくりと瞳がこちらに向く。俺はもう一度、唯夏の名を声にすることしか出来ずに居た。

「……すき、なの。謙也君が、大好きだから、ごめんね」

俺の心は例えるならば踊っているのに、彼女の声は震えていた。何で謝るん?と、彼女の頬を両手で包み込むと、言葉を失ったのか、また胸に顔を埋めるだけだった。
運動場は依然として賑やかなままだが、ちらほらと教室に帰っていく生徒が遠くに見える。先程までの愛おしさは残したままで、今度はそれを上回る羞恥が俺の中で生まれた。けれども胸の中で恋人が今にも涙を零してしまいそうに瞳を揺らしている。誰かから見えても良い。今はただ、二人きりの世界にでも行ってしまいたかった。

「誰か来るかも、」
「ちょっとだけ。今だけ。……俺、今格好悪い顔してるから、目瞑って」

俺の胸に埋められた唯夏の顔をまた、両手で包むと、俺の言う通りに素直に目を瞑った。長い睫毛が揺れ、交わった視線がそっと切られる。安堵の息を吐いた俺は、自分の額を唯夏のそれにそっと寄せた。コツンと音が鳴った気がした。
ばくばくと五月蝿い心拍が火照りを煽る。胸に少しずつ溜まった唯夏への想いが、「すき」が、愛おしさが、溢れる様に息が零れる。ふふ、と彼女は小さく笑った。

「すきやで、唯夏。誰よりも好きや。大好きや」
「ずるい。」
「だからな、俺が触れたいって思うんは、唯夏だけや。な?」
「私も、触れたいって思うのは謙也君だけだよ」

こんなふうに、と、小さな掌が、唯夏の頬を包む俺の手の甲に乗る。間近でじっと瞳を見つめられ、過ぎるくらいにまた身体中の熱が顔に集められた。謙也君顔真っ赤だよと無邪気に笑う彼女は、先程彼女自身が零した言葉がよく似合う。ずるい。俺よりずっと、お前の方がずるい奴やないか。

胸がきゅうっと鳴り、俺は、何を返す事も無く唯夏の瞳を見つめ返した。俺がこんなにもドキドキするのも、可愛いと思うのも、触れたいと思うのも、お前だけや。世界中のどんな言葉でも言い表せられない。だから、こうしよう。

周りの目など無いも同然だった。何人の生徒が教室へ帰る道中、中庭に視線を向けようとも、俺たちがその視界に入ろうとも、今はどうでも良かった。俺は唯夏が好きで、唯夏との時間を過ごしている。背徳感やいけないことをしている感覚も無かった。学校内でこんな事、先生にでも見つかればきっといい風には取られないのに、そんな事はどうでも良かったし、目の前に居る恋人が愛おしくて、恋人のことで頭がいっぱいで、考える余地すら無い。

不思議そうに首を傾げた彼女の唇に、自分の唇をゆっくりと寄せる。たった一瞬重なっただけで離れるのではなく、柔らかい唇を楽しむ様に、愛でる様に、ひと息吐いてから離すと、唯夏は目を大きく見開いて驚きを露わにしていた。思わず、恋人という関係を結ぶ前の様にお腹の底から笑いが込み上げた。

「ははっ、何やその顔」
「あはは、ビックリしちゃって」

心底面白がる俺とは違い、唯夏は照れを孕んだ笑いを返す。一瞬、これでもかというくらい、どきりとした。俺の恋人は季節が巡るたび、綺麗になる。大人になる。



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