短編 | ナノ

リミットラインオーバー

これの続き


足音が近付いてきた。上靴と冷たく硬い廊下がぶつかりパタパタと鳴る。こんなに急いでどうしたんだろう、まだお昼休みが終わるまで時間あるのに、と不思議がりつつひょっこり窓から廊下に顔を出すと、足音は目の前で止まった。代わりに走ってここまで来た人物の息切れの音が辺りを騒がしくし、鮮やかな桃色が視界で上下する。

「桃井、さん?」
「あ、あの…、苗字名前ちゃん、だよね、あのね……っ、」
「お、落ち着いて」

ドキリとした。美人で胸の大きいのが特徴な桃井さつきちゃんは、私が思いを寄せる青峰の幼なじみで、いつも世話を焼いている事はよく知っている。よく知っていると言うか、青峰を好きになってから初めて知ったのだけれど。
屋上以外では殆ど青峰と言葉を交わさない私とは正反対だ。明るくて頭も良くて可愛い。よく青峰には怒っている印象だけれどよく笑うし、青峰と話す時も何だか余裕があると言うか、不自然じゃないと言うか、何だかフランクだ。幼なじみだから当たり前なのだろうけれど、青峰の前では挙動不審になってしまう私が稀に見かける二人の会話している場面はいつも、お互いよく知っているのだなと実感させられる。
そんな桃井さんが、こんなにも取り乱して私の所に来たので、違和感はどう転んでも払拭出来やしない。

「大ちゃん…青峰君の友達だよね?」
「あ、はい…」

桃井さんは大きく息を吐くと、それを意を決した様に飲み込んだ。白く綺麗な首元がゴクリと鳴る。汗がキラリと光った。

「彼、謹慎処分になったの」
「はい?」
「昨日の夜、部活帰りに……先輩、それも女子のこと殴ったらしくて」

不穏な響きの言葉に頭が追い付かない。眉間に皺が寄ってしまう程に心当たりが無い。
私が知っていた青峰は確かに少し荒れていた。何に対しても乱暴で適当で無気力で。けれど何か良い事があったのか何なのかは知らないけれど、風の噂では青峰が柔らかくなっただの何だのという事だった。実際、私の前に現れた青峰は温かく優しい人だった。決して大切な一言はいつも言わないけれど、青峰と同じ様に荒れていた私を抱き締めてくれた。あれはきっと良い事があった無かったの話ではない。青峰は初めから優しい人だったのだ、きっと。でなければあんな優しい目で私を見てくれるわけが無い。私の知っている青峰は青峰のほんの一部だけれど、これだけは確実だ。青峰は、優しい。不器用だけれど、優しい。

どうして…と問うか問わないかハッキリしない語尾で力無く呟くと、桃井さんは少し食い気味でしっかりと問うた。

「好きなんだよね?大ちゃんが」
「桃井さ……っ、」
「謹慎処分が決定したのは今朝だって。期間はまだ分からないんだけど…謹慎処分についてちゃんと調べて来たから安心して。謹慎処分になったらこの学校の人と連絡を取ったり会ったりするのは禁止されてるんだけど、それは謹慎処分って決定した次の日からなんだって。つまり今日は会っても大丈夫って事」

青峰のことは好きだ。大好きだ。けれど他の人にそれを改めて自覚させられると小っ恥ずかしいもので、不本意な事に身体中の熱が私の顔に集まっている間に桃井さんは私が何か口を挟む間も無く可愛らしい声で早口で教えてくれた。

「心配、でしょう?」
「……うん」
「これ、私の家の最寄り駅と住所ね。聞いた話だと名前ちゃんのお家も割と近いみたい。大ちゃんの家はそのすぐ隣。表札あるから分かると思う。多分今は大ちゃん家は大ちゃん以外誰も居ないし、インターホン押して出てくれなかったら勝手に入って良いよ。私がそう言ったってちゃんと言っとくから、」
「でも……っ」
「会いたいと思わない?心配にならない?」
「……っ、なる…」
「名前ちゃんは体調不良で早退しましたって事にしておくから安心して」
「桃井さん…」

桃井さんはまるで私を落ち着かせるかの様に優しく笑って情け無く震える私の両手を取った。

「さつきで良いよ」
「さつき…ちゃん、」
「行ってあげて。きっと大ちゃんも名前ちゃんのこと待ってるから。詳しい事も、聞いておいで?」
「うん…っ、ありがとう!」


自惚れていたのだと思う。彼が大切に思っている幼なじみに受け入れてもらえた様な、認めてもらえた様な気になっていたのだと思う。青峰を好きで居て良い、と。青峰の隣に居て良い、と。誰に好かれるのかはさておき誰を隣に置くのかなんて決定するのは青峰以外の他の誰でもないのに、まるでこの時既に青峰も私を好いてくれている様な心地になっていたのかもしれない。
会いたかった。無性に青峰に会いたくて恋しかった。青峰の低くどこか甘い声が聞きたくて、至極分かりにくく笑う青峰が見たかった。それはまるで、恋人に会いたくなるみたいだったから、きっと私は自惚れていた。

学校の最寄りから数駅。どうやらさつきちゃんの最寄り駅は私と同じだったらしく、その家があるのも見たことのある道だった。
澄み渡った青空が綺麗な冬の日。ぶるると震える程寒いけれど、それは冷たい色をした何某の髪色を彷彿とさせ、一層恋しくさせた。

ピンポーン。ピンポーン。一回のプッシュで二回鳴ったインターホンは、それきり静寂を保つ。そんなに直ぐ出ないよねと数十秒、数分と待つが、まるで誰の気配も無い。もう一度押して数秒、待ちきれなくなった私は申し訳なさを感じつつ、綺麗な家のドアノブに手をかけた。
何て言おう。青峰は、私に何て言ってくるのだろう。お邪魔しますを言ってからはあまり覚えてはいないけれど、恐らく青峰の部屋であろう前に辿り着くと、私は深呼吸を一つ。

ガチャリ。恐る恐る開けた扉の先には、恋しくて仕方が無い人が居た。

「あお、みね…」

私は本当に浅はかだなと思う。どうして危惧しなかったのだろうかと。出会った頃の青峰が優しかったからと言って想像出来なかったわけではないのに。噂では知っていたから、想像出来たっておかしくなかったのに。
何がトリガーになるかなど分からない。だからこそ、そんな未来を思い浮かべるべきだったのに。

青峰は、私が知らない人みたいに冷たい目をしていた。
何も言ってはくれない。喜んでもくれない。目も合わせてくれない。どうして私はさつきちゃんに青峰の心に闇が帰ってくるかもしれないと言えなかったのだろう。

「青峰、あのね」
「あ?」

声までもが冷たく低かった。どうすれば良いのか分からない。私はこんな青峰知らない。いつも少しだけ口角を上げて目を細めてくれたら楽しい合図で、最近は噴き出して笑ってくれる事もしばしばあった。楽しい時間しか共有した事の無かった私には未知の時間だ。青峰がこれからどんどん私の知らない青峰になっていったらどうしよう。ゆらりと視界が揺れた。声が震える。

「ごめん……ね」
「…何が」
「青峰が殴ったのって私の先輩でしょ」
「……どうでも良いだろ」
「ずっと前に青峰が私のこと諭してくれてからたまに部活行って練習したの。それで、一昨日アンサンブルコンテストのオーディションがあったんだけど、出れることになったの」

私に背を向けた青峰の身体がピクリと動いた。お願い青峰、また笑って。そう祈る様に私は自分の話を続ける。

「多分また先輩達が何か言ってたんでしょ。私はそのぐらいもう良いの、もうどうでも良いんだけど、」
「おい」
「青峰が悪者になっちゃうのは嫌だよ…!謹慎処分なんてやだよ…!」
「…おい、」
「私、青峰のこと好き…!学校で会えないなんてやだよ、悪者扱いされちゃうなんて嫌だよ…!」

自分でもその言葉が出てきた事に戸惑いを覚えた。けれどもう止められない。私は青峰が好きなの、大好きなの。

「……名前」

青峰は他には何も言わなかった。ただ私の名を呟き、私のよく知った声で私の耳奥に優しく余韻を残す。そのまま何も言わずびしょ濡れになった瞳を拭っている右手を強く引っ張られ、私は青峰にされるがままに体重を預けた。
青峰が私を宥める時は子供を宥める様に頭を撫でているつもりなのだろうけれど、いつも乱暴に頭を撫でる。しかし今日は優しく、宝物を手に取る様に愛でる様に柔らかくぽんぽんと一定のリズムで叩いてくれている。
私はすっぽりと青峰の腕の中に収まってしまって身動きが出来なかったので、もう何も言わないとばかりに瞳を閉じて青峰の鼓動に耳を澄ませた。

「…さっきのは大正解だ、偶然お前の悪口言ってる所を見かけちまって」
「もう良いのに」
「俺は名前が好きだ。だから名前の悪口を言う奴は許せねえ…名前が本来大好きであるべきはずの部活に居辛くさせる奴なんて」
「青峰が悪者になる必要無いでしょ馬鹿」
「ちゃんと分かってくれたぜ。さっき校長室で話し合って来た」
「そう……」
「名前、それより…俺、名前の顔が、ちゃんと見てえ」

見せてくれの言葉の代わりに抱擁が緩められ、私は青峰の逞しい腕を離れて徐に顔を上げた。今日初めて、青峰と目が合ったかもしれない。
何も変わっちゃいない。私の大好きな青峰だ。

「青峰が知らない人みたいだった」
「怖い思いさせちまったな…さつきに怒鳴られて拗ねてた」
「子供みたい」

私の言葉が都合悪かった様に再び青峰は唇を尖らせ、誤魔化す為か何なのかは知らないけれど目を瞑ってくれと囁いた。言われるままに瞳を閉じると、青峰の冷たく乾いた唇が私のそれを数秒だけ優しく覆い名残惜しそうに離れた。

「悪口言われても部活が楽しくなくても何でも良いよ、私には青峰が居てくれるもん」

青峰は、バーカと言って困った様に笑った。

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