短編 | ナノ

不確かなこころに触れたい

女性らしい顔立ち。そう言い切ってしまうには惜しいくらいに人並み外れて高い背丈。広い背中、逞しい腕。それで居て、スラリと綺麗な指。白い肌。美しさや彼の一側面を形容する言葉はこの世に溢れているのに、彼自身を表す言葉など無かった。この世に存在する言葉ではあまりにも陳腐すぎるほど、彼は美しい。綺麗で、逞しくて、まるで女性の様で、私が知る誰よりも男性だ。彼を一目見たとき、たった数秒でそこまで考えた。
緑間真太郎。後から知った彼の名はそう言った。入学早々、目立つという言葉では足りないほど人の目を引いた彼は美しすぎたにもかかわらず、一瞬で変な奴だという印象に変わった。

帝光中学校の入学式の日、彼は綺麗な左手に謎の生物を乗せていたため、ただでさえ目立つというのに、周りは平生で考えられる倍はざわついていた。変な奴が居るぞと。どれだけ周りがざわざわしようとも、彼はそれに構う様子も見せずに凛としていた。背筋がピンと伸びていて美しい。一目見たときからそれは変わらない。彼は美しい。綺麗なのである。世界中の美しいを集めた様な、奇跡の塊の様な、そんな気がした。
入学して1週間後、彼がバスケ部に入ったという事が私の耳に飛び込んできた。何やら並大抵の実力ではないだとか。そりゃまあ、背は高いから適性はありそうだけれど、バスケが出来そうには見えないのに。勉強も出来そうだし、スポーツも出来るとなると、彼は何が出来ないのか不思議になる。気が付けば私は緑間真太郎に興味を持っていた。


それから2年、私と緑間真太郎は3年生になった。入学式の日より大人になった彼は、3年生のクラスが発表された日、私の隣の席に座っていた。
彼の隣が私の席だと分かった瞬間、心臓が跳ねる音がした。この2年間、何度かこっそりとバスケ部の試合を観に行ったりたまに緑間真太郎を観察したりしてはいたけれど、こんなにも近い場所に居るなんて初めてだ。変わり者の彼に声をかける事は困難の極みで、いつ拒んだ眼を向けられるか分からない。どうしようかと思考を巡らせていると、綺麗にテーピングされた左手にはポットに入った花の苗が置かれている。ぽつぽつと蕾をつけているリナリアは明日にでも咲き誇りそうで、私の口元がふと緩まる。
可愛らしい。こんな大きなガタイで、何でリナリアの花なんて持ってるのだろう。

「ねえ、緑間君」
「……何なのだよ」

冷たくこちらに向けられた筈の視線は、不思議と刺さらない。口元を緩めたまま、私は少し弾んだ声でその花の理由を尋ねた。すると緑間君は、黒縁眼鏡を中指でクイッと上げつつ、ラッキーアイテムだの何だのと言っていた。おは朝のラッキーアイテムだ、と。
星座占いなんて信じるんだ。意外と可愛らしい一面を垣間見たのが何だか嬉しくて、私は瞳を細めてふふっと小さく笑っていた。そうなんだ、と相槌を打ってからは緑間君から返事は何も無く、会話はそこで終了。見た目通り楽しくお話はしない人なんだなあ、とか。机の上にきっちりと揃えて置かれた文房具を見て、几帳面というか細かいというか、こんな言葉は似合わないかもしれないけれど、案外可愛い人なんだなあ、とか。そんな事を、考えていた。

この2年間、私は緑間真太郎のことがずっと好きだったのだと思う。彼の凜とした背中に憧れた。機械の様に正確で彼の内面がそのまま表れている様なプレーが好きだった。ずっとだって見ていられた。並々ならぬ努力が作り上げたであろう筋の通った自信も、何に対しても妥協しないところも、私自身は緑間真太郎のことは何も知らないのに、分かりにくそうな人に見えるのに、じっと見ているだけで分かるくらい単純なところも。
嫌いになる理由というものが無いのである。好きなところを無理に言葉にするならば沢山あるのに、嫌いなところというものが欠片も無くて。私が緑間真太郎のことを知らないからかもしれないけれど、いつの間にか彼がそこに居ることすら有り難かった。たった2年では薄れるわけがないし、ずっと見てきたから彼への憧れは濃くなる一方だった。

そんな私たちの3年生の冬のことである。緑間真太郎は秀徳高校に進学するらしいという噂が流れていた。何やらバスケ部では大変な事があっただの無かっただのとも噂されていた。季節は巡り巡ったというのに、私は相も変わらず緑間真太郎の隣の席に座っていた。彼は身長が大きすぎて視界を遮るという理由で春に一番後ろの席で固定と決められてしまい、じゃあ他の人たちも席替えは無くて良いんじゃないか、という浅はかな理由で。私はそれが不謹慎なのか何なのかは分からないけれど嬉しかった。季節が巡るたび、新しい彼を間近で見ることが出来たから。
隣の席に居ようともやっぱり口数は多くはないけれど、個人的には新しい発見ばかりだ。バスケ部の人とは真正面から目を合わせる、とか。

その日は偶然にも私と緑間真太郎が日直だった。外は雪が降っていた。運動場には人っ子ひとり居らず、たったひとつの教室に二人きりなだけだったと言うのに、まるでこの学校に二人きりみたいに思われて、苦しくなるほどに胸が締め付けられた。私と彼以外に誰も居ない。
二人きりと言っても緑間真太郎は喋らない。黙って高い位置にある窓を閉めているだけ。私が日誌にシャーペンを走らせる音と、緑間真太郎が窓を閉める音だけが響いている。それから、彼の耳には届かないであろう私の鼓動と。私の耳には五月蝿くて仕方がない。

ふと、彼の背中を見た。何故だか私が憧れた時の背中よりずっと情けなく小さく見えて、更に胸が締め付けられる。気が付いた頃には私は彼の名を声にしていた。緑間君。いつも脳内で呼ぶのはフルネームだと言うのに、当たり障りの無い苗字が飛び出ていたのだった。すると彼は、何なのだよ苗字名前、と、私が脳内で呼んでいる彼の名と同じ様に姓と名を連ねて私を呼びかけた。ふふっと笑いが込み上げて抑えきれないで居ると、心底居心地が悪そうに私を横目で見ている。
そんな目すら綺麗で仕方ない。そんな風にマイナスの感情には忠実に表情を歪めるところが可愛くて仕方がない。貴方は、可愛い人。愛らしい。美しくて、可愛い。女性が欲しい褒め言葉が、どうしてこうも相応しいと思ってしまうのだろう。

「緑間君って、優しい人だよね」
「……は?」

彼の声は冷たい。温度なんて無い。温もりなんて欠片も感じられない。それなのに、彼からは誰よりも優しさを感じるのだ。私が今までに出会った誰よりも。
社交性には欠けてしかいないし、繰り返しになるけれど温かみなんて微塵もない。いつだって不機嫌そうに不愉快そうに中学生らしからぬ表情だ。中学生らしからぬ瞳だ。それは間違いない。それでも何故か、彼からは優しさを感じる。優しさを見出してしまった。

「緑間君って、あんまり好きじゃないでしょう。自分のこと」

私の言葉が零れるや否や、緑間君はじっと私を見下ろしたまま黙り込む。真っ直ぐで、やっぱり「凜とした」という言葉が似合う瞳に、私も真っ直ぐ向き合った。深い緑はいつまでもどこまでも続いていきそうで、永遠を思わせる。少しも揺れないで強い意志を秘めているみたいで、それで居て、だからこそと言うべきか。誰をも寄せ付けたくはなさそうで、また胸が締め付けられた。

「自分のことが好きじゃないから、誰かを遠ざけてるみたいに見えるの。それって、すっごく優しい。優しくて、寂しい」

緑間君は、美しい瞳で私をじっと見つめたまま、苦しそうに細めては眉間に皺を深く深く作った。不愉快そう、とでも言うべきか。きっとその胸の内はぐちゃぐちゃしていて、到底言葉になんて出来ない。私にも、彼にも。
彼を美しく女性らしく見せている長い睫毛が、ゆったりと上下し、一旦会話を途切れさせる。

「そうやって目を合わせるの、なかなか他人にしないくせに、どうして私の目はじっと見てくれるの?」
「苗字名前、」

俺はお前など嫌いだ。そう言いたそうな声音だった。けれどもどこかで助けを呼ぶ様にも見えた。こっちへ来ないでと泣く子どもから離れようとするとどこにも行かないでと言われた様な、そんな気がして、私は動けなくなった。ただ彼の深く深く引き込まれそうな瞳をじっと見つめているだけだった。
強い瞳が一度きり揺れた気がして、漸く彼のこころの弱さを見た気がした。漸く彼の、小さく見えた背中に近付けた気がした。貴方は、美しい。人間らしく息をする貴方は、とても美しい。この世に溢れる言葉はどれも、貴方の前では霞むくらい。

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