「どうしたのツクヨミくん、元気無かね?」
『そうだよどうしたのツクヨミくん!パトロールだよ、もっと張り切ってこうよ!』
「……いえ、何とも」

 嬉々として茶々を入れてくる幽霊をジロリと睨みつつ、気遣ってくれた相棒サイドキックに軽く頭を下げる。元気が無いように見えるのならばそれは間違いなく、昼夜を問わず周囲に憑いて回り、深夜には疲れた体を金縛りで叩き起こし、朝からうっかり異音を立ててしまうこの半透明の少女のせいだろう。悪びれた様子もなく『頑張ろ!ね!』と拳を振り回す彼女の様子に思わず溜息が漏れた。
 悪びれない――というか、そもそも悪気が無いのだろうと、かれこれ二日ほど行動を共にしている常闇も理解し始めていた。『ごめんね、わざとじゃないんだ……』という彼女の言葉に嘘はない。普段なら制御出来るはずの各種霊障が、自意識が不安定にぶれているせいでふとした瞬間に漏れてしまうのだと思う、と彼女は語る。
 わざわざ常闇の上に被さって眠るのも、長らく他人との交わりが無かった反動で人恋しいからなのだと懺悔していた。彼女は決して悪意から常闇のインターン生活を妨害したい訳ではなく、ただ残された僅かな時間を自分なりに有意義に、幸福に過ごしたいだけなのだ。まあそれはそれとして、今日も今日とて寝不足の常闇は眼光鋭く彼女を睨まずにはいられないのだが。
 が、常闇が置かれているそんな境遇を知る由もない相棒サイドキックは、ますます気遣うように眉を下げながら笑う。

「ひょっとして、ホークスに言われたことば気にしよっと?」
「――いや、そういう訳では」
「ツクヨミくんが何かした訳じゃなかと思うよ!」

 彼の言う“ホークスに言われたこと”というのも、まさに目下悩みの種である幽霊に起因する話だった。
 いつものようにパトロールについて行こうとした常闇を、ホークスは「たまには分担でもしよっか」の一言で遠ざけたのだ。理由について問うたところ、「いやァ、なんか最近常闇くんといると原因不明の寒気がするんだよね。ブルッと。トリ・・肌立っちゃって」とのこと。彼自身はいつものように冗談めかした口ぶりだったが、どう考えても昨日から『手伝うね!』と息巻いてパトロールに同行してきていたどこぞの幽霊が、始終面白がってホークスの体を突き回したり突き抜けたりしていたせいだ。本人は一応しおらしく謝っていたものの、また近いうちに似たような事をしでかすに違いない、と常闇は思っていた。

「まーよか機会かもしれんね!普段はほとんどホークスが一人で片ァ付けるけん、たまに自分の目で見て回るのも大事とよ」
「……ご助言、痛み入ります」
「ハハハ、ツクヨミくんはホントに難しい言葉ば使うねえ」

 けらけらと笑う相棒サイドキックの横に並び、常闇も気を取り直してパトロールに取り組む。確かに日頃はホークスの疾さに着いて行くのに必死で、こうして腰を据えて街を見回ることは出来ずにいた。跳び回るのもいいが、地に足を着けて普通・・のパトロールを体験しておくのも、将来さきのことを考えれば必要な経験なのかもしれない。
 が――改めて歩き出した常闇の鼻に、ふと異臭が届いた。風に乗って微かに香るそれの出所を探ろうと周囲を見回す彼の様子に気付いて、それまでご機嫌に腕を振り回していた少女がふわりとその隣へ並ぶ。

『どしたの?』
「いや……何か臭う」
「……ん、本当だ。こりゃあ――」

 常闇の返事を独り言だと思ったらしい相棒サイドキックが、鼻をひくつかせ眉根を寄せながら振り返ろうとしたその時――背後で爆音が轟いた。
 砕けたガラスがアスファルトに落ち、ただの枠と化した窓から噴き出す熱風が乾いた秋の空を炙る。誰もが驚愕し見遣った先――ほんの数秒前までは平穏無事だったはずのショッピングビルの一角で、めらめらと真っ赤な炎が黒煙を吐きながら立ち昇っているのが、呆然と立ち尽くす常闇の目にもはっきりと映った。

「なんや爆発か!?ツクヨミくん、消防と応援呼んで避難誘導!俺が中見てくるけん!」
「御意……!」

 すかさず建物の中へ飛び込んでいった相棒サイドキックの背を見送りつつ、指示通り119番に通報、無線で応援を呼び掛ける。そうする間にも往来は俄かに騒然とし、建物の中から飛び出してきた客の悲鳴や、親と逸れたまま救け出された子供の天を衝くような泣き声が耳を劈いた。火の勢いは見る間に増して、駆けるように上階へと昇って行く。あれよと言う間に集りだした野次馬にどんと背中を押され、眉を顰めた常闇の胸中に僅かな焦燥が走った。
 早く収めなければ一帯がパニックに陥ってしまう――咄嗟に嘴を開きかけたその時、常闇の体をすり抜けるようにして、透き通った体が素早く浮き上がっていくのが見えた。スカートの裾を翻しながら少女が向かった先は、人々の混乱など何処吹く風で陽気なJ-POPを垂れ流し続けている街頭スピーカーの上。すう、と息を吸うように彼女が胸を張ると、伸びやかに歌い上げていた女声を耳障りなノイズが侵食する。

『――大丈夫です!落ち着いてください!』

 キンと鳴った甲高い音に次いで、凛とした少女の声が半ば混沌としていた通りに響き渡る。取り乱して何事か喚いていた女性が、泣いていた子供が、燃え上がるビルに携帯のカメラを向けていた野次馬が、一斉に彼女の――否、彼女が上に陣取っているスピーカーの方を見た。
 常闇もまた瞠目してそれを見上げる。擦り切れたレコードのように、多少濁り掠れて汚い音ではあるものの――確と空気を震わせて鼓膜に届いたその声は、確かにここ数日頭の中で鳴り続けていた彼女の声そのものだった。
 少女はまるでその口から直接音を発しているかのように、口の周りを両手で囲いながら、一瞬しんと静まり返った民衆に向かって叫ぶように体を前へのめらせる。

『既にプロヒーローが救助に向かっています!応援も消防もすぐに到着します!出てきた皆さんはそこの黒い鳥の人の指示に従って避難してください――あと野次馬、危ないから少し下がって!』
「――、怪我人は此方こちらに!歩けない者が居れば俺が運ぼう!」

 我に返った常闇が声を上げると、騒いでいた者たちも場を統率してくれるヒーローが居たことに気付いたようで、幾分落ち着きを取り戻した様子で動き始める。叱り飛ばされて下がっていく野次馬を横目に見つつ、逃げ出す際に足を挫いてしまったらしい女性を抱き上げた常闇の元へ、一仕事終えた少女がふわりと舞い戻ってきた。

『じゃあ行ってくるから、そっちよろしくね!』
「っ、おい――」

 咄嗟に呼び止めようとしてしまった常闇の体を再びすり抜けて、少女は燃え盛るビルの中へと光のような速さで飛んで行った。もう日に何度もやられているのだが、体の中に冷水を流し込まれるようなその感覚にはいつまで経っても慣れそうにない。腕の中の女性がぶるりと身震いしたのを哀れに思いつつ避難を進めていると、見慣れた真紅の羽が視界の隅を横切っていくのが見えた。

「あちゃー、随分派手に燃えちゃって」
「ホークス……!」
「はいはい皆さん下がっててくださいね」

 応援要請を聞いて飛んで・・・来たらしいホークスが、常闇の頭上でその翼を大きく広げた。傍らには羽に担がれて浮いている数人のヒーローの姿もある――いずれも比較的近所で顔を合わせることの多い、水に纏わる“個性”を操る者たちだ。消火要員として道中拾われてきたのだろう。
 瞬きの間に無数の剛翼が舞い、上階部分に取り残されていたらしい人々が窓から救い出されていく。それらとほぼ同時に、最初に飛び出して行った相棒サイドキックが二階の窓から男性と子供を抱えて飛び降りて――それをもさらりと拾い上げて目の前に引き寄せたホークスだったが、その表情はどこか浮かない。

「一階、どうなってました?」
「煙と火が酷うて見えんかった!でも避難は殆ど済んどって、爆発した辺りに人はおらんて話やったぞ!」
「だといいんですけど――あーやっぱ駄目だ。消火急ぎで!」

 火元の一階から戻ってきた羽がぷすぷすと音を立てて燃え落ちたのを見ると、ホークスは口元をへの字に歪めて消火隊へ指示を飛ばす。なるほど、火中では剛翼もその真価を発揮し難いらしい――常闇が怪我人を一所に集めながら焦げて崩れた羽根を見下ろしていた、その時だった。今度は耳ではなく頭の中に、何処からともなく例の声が聞こえてくる。

『――要救助者一名、一階、爆発箇所付近の多目的トイレ内。脚の悪いおばあさん、煙を吸って意識なし。ツクヨミくん、水被って来れる?』

 最後の言葉を待たずして、既に常闇の脚は動いていた。ビルに向かって放水する相棒サイドキックの一人に声を掛け、全身に冷えた水を被る。「あら」と目を瞬かせるホークスの声を背後に聞きつつ、自らの半身をその身に纏い、少年は炎が揺らめくビルの一階へと駆け込んだ。

黒影ダークシャドウ……辛抱してくれ」
「キャイン……」

 炎の赤い光を浴びて子犬のように鳴きながらも、黒影ダークシャドウは精一杯常闇の体を包み込んだ。ぱちぱちと爆ぜては燃える火の中、熱気に顔を顰めつつ身を屈めて駆ける常闇の視界に、突如壁から突き出てきた無色の腕が飛び込んでくる。

『そこの角をぐるっと回って突き当たり、鍵掛かってるから壊して入って!』
「――了解」

 朧げに霞む指が指した方へひた走り、突き当たったトイレの扉を壊して中へ入り込む。ぐったりと床に倒れて動かない老齢の女性の傍に、寄り添うようにして座り込んでいた幽霊がぱっと顔を上げた。

『マント濡れてるでしょ、それで包んであげてね!急ぐよ!』
「言われずとも」

 抱え上げた老女は意識こそないが、まだしっかりと息があるようだった。濡れそぼった外套でその身を包み、透明の体に先導されて急ぎ来た道を戻る。弱り切った黒影ダークシャドウのやや心許ない防御を頼りに炎を掻い潜りながら、目と鼻の先まで迫った出口を今にも潜ろうとした――その時。
 ばきりと音を立てて、燃え落ちた梁が常闇の真上に倒れ掛かってきた。前を飛んでいた少女が救けるように透ける腕を伸ばしたが、当然その手が常闇の体を捉えることはない。

『ツクヨミくん!』
「っ、黒影ダークシャドウ――!」
「ウワァァァン!!」

 咄嗟に半身へ指示を出そうとしたが、彼は己の身を庇いながら情けない泣き声を上げた。不味い――闇が尽きる。多少手荒にはなってしまうが、せめてこの手に抱える老人だけでも外にと、常闇が腕を前へ伸ばしかけた時だった。
 紅の羽が突風の如き疾さで横切り、一枚が倒れる梁を斬り飛ばして、他の数枚が素早く常闇と老人の体を攫った。そのまま勢いよく運び出され、熱気の篭もった現場から一転、屋外の新鮮な空気を吸い込んだ常闇の喉がひゅうと鳴る。呆然と肩で息をする常闇の前に降り立ち、ホークスはいつもの食えない笑みを浮かべて言った。

「凄いな、よくわかったね、バアちゃんの居場所――まあいいや。とりあえずホントご苦労さま」

 グローブに包まれた手が、常闇の頭をぽんと撫でて離れていく。外套に包まれた老女は救急車の中にすぐさま運び込まれ、常闇が中にいた間に現着していたらしい消防車もヒーロー達と共に放水を始めていた。十数分後に火は消し止められ、白昼の大通りを混乱に陥れた爆発事故は無事収束することとなる。




















 件の爆発火災は、ガス管の劣化が招いた不慮の事故だったらしい。最も被害が甚大だった一角は偶然にも移転改装中の空きスペースだったそうで、病院に運ばれた怪我人たちは全員無事。近隣に延焼することもなく、最悪の事態は避けられたようだった。

『死者一人も出なかったんだってね。あー良かったぁ』
「おまえが救けた老婦も、命に別状は無いとのことだ」
『何言ってるの、救けたのはツクヨミくんでしょ?』
「俺ハ!?俺モ頑張ッタダロォ!?」
『うんうん、偉かったねダーク……なんだっけ?』
黒影ダークシャドウダヨ!!モー!!」

 『ごめーん!』と軽い調子で謝る幽霊に、黒影ダークシャドウはご立腹の様子で常闇の中へ戻っていった。何だかんだ気の合う話ぶりの両者を見比べて、不可思議な存在同士惹かれ合うものでもあるのだろうかと常闇は考えたが――或いは単純に性格の相性なのかもしれないと、とぼけた様子の少女を見て思い直す。
 事務所からの帰り道、人気が無いのをいいことに話しかけてくる幽霊に、常闇は大人しく応じていた。ふわふわと浮かびながら陽気に語る彼女は、すっかり平時の騒々しく暢気な様子に戻ってしまい――突如起こった事故の渦中、人々や常闇に指示を飛ばしていた時のあの冷静な様子とはまるで別人のようにも思える。妙に慣れたような振る舞いといい、淀みなく機敏な一連の行動といい、やはり彼女はヒーロー志望の女子学生だったのかもしれないと、常闇は目の前で翻る制服らしき形状の靄を眺めながら改めて思った。

「……しかし、ああやって放送機器を操れるのなら、ホークスに構うまでもなく周囲に存在を気取って貰えたんじゃないのか」
『えー、だって昔はそんなにできなかったんだもん――ていうかそれ良い!良い案!!』
「……いや、撤回する。無闇に霊障を起こすな」
『頭いいねツクヨミくん!!』
「人の話を聞け。そして俺の名は常闇踏陰だ」
『あー!やっと名前教えてくれたー!』

 トコヤミくん!と子供のようにはしゃいで舞い踊る少女の姿を眺めながら、この女は生前からこうだったのだろうか、それとも自我とやらがぶれて・・・いるせいでこんな事になっているのだろうか――と、常闇はぼんやり考える。少し理解わかったような気になっていたというのに、すぐさま煙のように移ろって、どうにも掴み所のない幽霊だ。

 だが、ひとつだけ。
 ひとつだけ確かなのは、あの時人々を救け出すために動いたこの少女は――たとえ既にこの世に亡い者で、近く消え去ってしまう儚い存在だったとしても、確かにヒーローだったのだということ。それだけは、一つの事実として今も少年の胸の内に残っている。

 常闇は足を止めた。騒いでいた少女もそれに気付いてぴたりと静止し、ぼやけて曖昧な首の輪郭を傾けた。

『どうしたの、トコヤミくん?』
「俺を手伝う、と言っていたな」
『そうだね、うん!人救けしたい!』
「ならば呼び名ネームが必要だ」

 自分で“名付けろ”と言っていた癖に、最早呼び名に頓着するような境地に無いのか、或いは昨夜のやり取りさえ乱れて朧に成り果てたのか。きょとんと呆ける少女に向けて、常闇は嘴を開く。
 本当は、一目見た時から――ずっと勝手にそう呼んでいたのだと、教えることはしないけれど。

幽魂ファントム――これよりおまえをそう呼ぼう」

 その名を告げた瞬間、ずっとピントの合っていなかったレンズを絞ったように――不意に、少女の顔がぴたりと揃った・・・
 これまでどんなに眼を凝らしても捉えきれなかったそのかおが、常闇の網膜に確りと映し出される。思った通り、彼とそう変わらぬ年頃の少女の面差し。何のことはない、ごくありふれた人間の娘がそこにいた。

『――それ、いい。すごくしっくりくる』

 花が綻ぶように、ふにゃりと少女ははにかんで――しかし、微かに目を瞠ってそれを見ていた常闇がひとつ瞬きをすると、彼女は元のぶれたなりに戻ってしまう。目を細めて凝らしても、やはりその顔を捉えることができない。
 少女はそんな常闇の顔付きを“不機嫌”と解釈したようで、怒ったような“表情”をその無貌に貼り付けながら手足をばたつかせる。

『ちょっと、なぁにその顔!人が喜んでるのに!』
「……誤解だ。気に入ったのなら良い」
『うん、最高だよ!ずっと前からそう呼ばれてたんじゃないかなってくらい良い!』
「そうか」

 そうもべた褒めされるとむず痒い。指先で嘴を掻きながら視線を逸らすと、少し前の怒りは何処へやら、喜色満面の気を全身から放った彼女が眼前に滑り込んでくる。ぶれた顔面が気配なく目の前に飛び出してくるのは普通に恐ろしいものだ。これ・・も慣れそうにないな、と肩をびくつかせながら内心独り言ちた常闇に向かって、少女は霞む親指をぴんと立ててみせる。騒々しいその様子に、本当にこれで良かったのだろうかと一抹の後悔のようなものを抱えつつ――喜ばれているのならいいか、と、常闇は目を伏せた。

『それじゃ、晴れてチームアップだね!よろしく、ツクヨミくん!』

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