“速すぎる男”――ウイングヒーロー・ホークスの事務所で常闇が世話になるのは、職場体験に次いで二度目のことだった。
 前回は入学からまだ二ヶ月やそこらの青二才だった常闇も、まだまだ未熟なひよっことはいえ、あれから随分成長したという自負があった。期末の過酷な実技試験、“個性”を伸ばすための限界突破訓練、悪夢のような肝試しの夜、圧縮訓練における必殺技の考案、仮免取得――その全てが彼と相棒ダークシャドウの糧となり、力となった。何より職場体験の折、地べたを駆け回って必死に追いながら、速すぎる・・・・ヒーローの背中を遠くに見ることしか出来なかった悔しさが少年の心には燻り続けている。“侮るな”――その一心で、二度目の彼は徹底的にホークスの速さに食らいつこうともがき続けた。
 もがき続けて――いたの、だが。

「どう、ツクヨミくん。インターン楽しい?――あ、それ縛っといてね」

 信号機の上に佇み、白昼の大通りでしょうもない騒ぎを起こしたならず者を剛翼でしながら、昨日の夕食の献立でも聞くかのようにホークスは問う。一相棒サイドキックとしてプロの実務に関わる過酷なインターンについて“楽しい?”などと口にする辺り、相も変わらず飄々として掴み所のない男ではあったが、背を追うことさえ叶わなかった前回はこうしてパトロール中に話を振られる事も無かった。常闇にとってひとつ、それがこの数ヶ月間での大きな変化。
 が、それ以上に――明らかに前回と異なる現象が、このホークスの周りで起きている。

「最近ずっとソワソワしてるように見えるんだけど。何か気になることがあるんなら言っていいよ」

 我慢とか心にも体にも良くないし。笑いながら言うホークスは、流石というべきか、常闇少年が悶々と抱え続けている疑念の存在をとうに感じ取っていたようだった。信号機の下で言われた通りごろつきを拘束していた常闇は、彼の言葉に顔を上げ、いよいよ問うべき時なのかと嘴を開きかけて――しかし、やはり躊躇ってしまう。

「ん?」

 物言いたげに嘴をはくつかせる常闇を振り返って、ゴーグル越しの双眸がすいと細まり――そのど真ん前を、ふわりと半透明のスカートが通り過ぎていく。ぐるぐる、もう何周にも渡って目の前を行ったり来たりしているそれを、ホークスの目が追うことは一度たりとも無かった。
 スカートの持ち主は、透けて消えた足先をぱたぱたと動かしながら、泳ぐようにホークスの周りを飛び回る。時折顔の前で手を振ったり、何事かを耳打ちするような素振りを見せたり、真紅の翼の中に手を突っ込んだり、好き放題という言葉が相応しい勢いで彼の体を弄り回しているのだが、当の本人は少しもそれに気付いたそぶりを見せない。
 余りにも平然としているものだから、もしや聞かないほうがいいのでは――と、最初に常闇を躊躇させたのはその思いだった。今は、それ・・が一体何なのかある程度察しがついてしまったために、正面切って尋ねるだけの勇気が持てない。

「ホークス……その……」
「うんうん」
「……近頃、肩に重みを感じたりなどは?」
「ハ?」

 常闇なりに慎重に選んで発した言葉を聞くと、彼は珍しく素っ頓狂な声を上げて瞠目した。まあそうなるだろうな。それ以上どうしてよいのか分からず、少年は再び嘴を閉ざす。当のホークスは自分の肩を揉みながら「俺まだまだ若いよ?まあ高校生きみらから見たらオッサンかもだけど」などと笑ったが、二人の会話を聞いていたのか、ふざけたようにその双肩に纏わり付いて項垂れるそれ・・の存在にはやはり気付かない。常闇は改めて確信した。

 ――やはりアレは、この俺のまなこにしか映っていないのだ。

















 それを初めて視界の中に認めたのは、インターン初日のことだった。ヒーローコスチュームを身に纏って街へ出た常闇は、相棒サイドキックたちを置き去りにしてパトロールへ飛び立つホークスの隣にその何か・・を見た。
 風より速く進む彼の横にぴったりと張り付いて、翼のように両手を広げながらびゅんびゅんと飛び回っているそれは、よくよく見れば人間と思しき形をしている。が、「あれは……?」と問うても気の良い相棒サイドキック達は「え?」と首を傾げるばかり。
 気のせいだったのだろうか、とも思ったが、一通りの後始末を終えて事務所に戻った後もホークスの横にそれは居た。輪郭は朧げだがやはり人らしき形をしていて、動き回るたびにひらひらと揺らめいているのはスカートのプリーツのようだった。色は無く、顔も形も常にぶれ続けているように上手く視認できないのだが、朧げに見て取れる服の形や髪の長さからして、常闇とそう変わらない年頃の女子学生のように見える。
 それはやはりホークスの気を引くようにふらふらと周りを動き回っているのだが、彼は少しも気に留めないどころか、その半透明の腕が顔や胸を突き抜けても反応さえ見せない。存在を認識できていないのだ。極力直視しないよう、落ち込んだように項垂れる人影を視界の端の端に留めながら、常闇はそう悟った。

 彼女は何故かホークスにいたくご執心のようで、それから今日までの七日間、彼の側にその姿を見ない日は無かった。にも拘らず、当のホークス含め、常闇以外に彼女の存在を認識している人物は事務所の内にも外にも一人も見受けられない。
 そんな有様だったものだから、最初は己の異常を疑った。何らかの原因――例えば疲労の蓄積、あるいは何者かの“個性”による攻撃などで、自分だけに幻覚の類が見えているのではないかと。が、インターンの疲れこそあるものの常闇は至って健康だったし、彼女の方も彼を害するどころかホークスに構うばかりで目もくれない。

 最早考え得る可能性は一つしか思い当たらなかった。彼女はいわゆる“幽霊”なのではないか――と、常闇は考えている。
 と、なると。四六時中ホークスの周りにべったりのその幽霊は一体何者で、何を目的にそんなことをしているのだろう。

「ホークスさんに恋人?んー、そりゃまあ居たんやなかかな。存在がカッコよかもんね!」
「学生ん頃?そこまではわからんなあ」

 まず思い当たった線を試しにそれとなく訊いてみると、相棒サイドキック達はそのようなことを言っていた。ヒーローは人気商売、それもホークスのような若手の男性ならば女性ファンもそれなりに多いはず。恋愛事情などわからなくて然るべきだろう。
 ならば彼女はその女性ファンなのだろうか。ホークスを慕うあまり、死してなお彼の側に纏わり付いているのかもしれない。せめて悪霊でなければ良いのだが、彼のような男は何となく女人の恨みを買っていてもおかしくないような――一度そこまで考えて常闇は思考を切り上げた。何の心配をしているのだ俺は、と。





















「まァ良いんだけど、体調悪いとかなら早めに言っといてよ。もし何かあったら学校に連絡しないといけないでしょ、保護監督責任ってヤツ」
「……御意」

 信号機の上にしゃがみ込んで頬杖をついたまま、歩道の段差につまづいて転びそうになった老人を羽で救け起こしながらホークスは言った。常闇も頷き、そしてかぶりを振る。受け入れ条件が厳しい中で叶った折角のインターンだというのに、幽霊らしき何かに気を取られてばかりで本分を果たせないのでは意味がない。いい加減分かりもしないことを考えるのはやめて、業務に集中しなければ――、

「あ、どうしても肩揉みたいんなら歓迎するよ。さっきはああ言ったけど、翼重くて肩凝りがちなんだよね」

 先の常闇の突飛な問いを揶揄するように、どこまで本気かわからない台詞をホークスが口にする。「いや、」と口を開きかけながら顔を上げた常闇の目に、はっとしたように口元らしき部位へ手を当てている例の浮遊体の姿が映った。そのままさっとホークスの背後へ回り込んだ彼女は、翼にその透き通った体がめり込んだままの状態でせっせと彼の肩を揉み始める。
 いや触れないだろう。というか触れた試しがないだろうに。勝手に観察し続けるうち、いつの間にか随分と彼女に対して気を緩めていた常闇が、その剽軽な振る舞いに耐えきれなかった笑いの息をほんの少し、「ふ、」と漏らした――その時だった。

『――ん?』

 耳ではなく、頭の中に。
 そこかしこを行き交う車のエンジン音、自転車のベルの音、パトロール中のホークスを見つけて騒ぐ民衆の声――酷く不確かで淡い音だったのに、街中に溢れるあらゆる騒音の間をすり抜けて、はっきりとその声は聞こえた。鈴を転がしたような少女の声。

『――あ!』

 まただ。思わず身を強張らせたまま固まっていた常闇の方へ、それまでずっとホークスに構い倒していた彼女の頭がぐるりと向き直る。その顔は煙のように朧げで判別がつかないというのに、その瞬間常闇は直感した。

 ――が、合った。

 慌てて顔を逸らしたが時既に遅し。後から駆けつけてきた相棒サイドキック達に「じゃ、先行ってまーす」と軽く挨拶して飛び去っていくホークスを、彼女は追いかけなかった。信号機の上にふよふよと浮いていた無色の体がものすごい勢いで急降下し、俯こうとしていた常闇の視界いっぱいに彼女の“顔”が広がる。何枚もの写真が透けて重なったような、ぶれて判別のできないそれに驚いた常闇は思わず息を詰めたが、対して彼女の方は――顔がよく見えないにも拘らず、不思議と“嬉しそうだ”と認識できる表情で、常闇の顔の羽毛をぱふぱふと触りながら言ったのだった。

『――君、わたしのこと視えるんだねー!』

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