(――え、君ユーレイとか信じてるの?)

 ――悪いか。信じていたさ。

(――わからないよ、わたし幽霊に会ったことないもの)

 ――だろうな。おまえはそのような、観測されていない幻想世界の住人ではなかったのだから。

 脱原幽莉。
 当時、雄英高校ヒーロー科二年所属。

(――九州じゃ無理なのかなー、やっぱ地元の方が合う人多いんだよねえ)

 静岡県出身。

(――まあ視えない方が基本有利なんだけど)

 “個性”――離脱・・
 自身の精神体を肉体の外へ出し、本体からおよそ半径5km圏内を、あらゆる物理法則を無視して自在に移動することができる。精神体は“波長”の合う一部の人間を除き、殆どの他者に認識されない。主な活用方法は、生身の人間が立ち入り難い場所の調査、その他隠密性を要する調査活動など。

(――えー、だって昔はそんなにできなかったんだもん)

 ――精神体が接触した電子機器、計器等が漏れなく不調をきたすデメリット有り。解消、或いは能力へ昇華、活用すべく訓練中。

(――健全な精神を保つためには大事だよ、睡眠)

 ――離脱可能期間の上限については不明。精神体の状態で適度な睡眠、休息を挟むことにより、かなり長い期間の“個性”発動が可能と思われる。

 仮コードネーム――、

(――それ、いい。すごくしっくりくる)

 ――幽体ヒーロー、ファントム・・・・・

 名を与えて引き留めたのではない。何気なく与えた名こそが、ほんの偶然の一致で彼女のもの・・・・・だったのだ。
 記憶が混濁している中、思えば無意識下のことだったのだろうが、彼女が“幽霊”を自称したことは一度も無かった。それもそのはず、彼女は死してなお彷徨える霊魂などではなく、身体機能こせいによって肉体から離れ出ただけの、ただの精神の一部だったのだから。
 加えて、体から脱けた彼女の可動範囲は肉体を中心に・・・・・・およそ半径5kmとあった。一定以上の距離を離れられないということは、恐らく完全に独立している訳ではなく、ちょうど常闇と黒影ダークシャドウがそうであるように、本体との間にある種の繋がりを持っているのだろう。
 そんな精神体が、何らかの原因で――発動期間の上限を超えてしまったのか、あるいは他の原因があるのかはわからないが――消えかかっているとはいえ辛うじて残って動き続けているのは、今なお精神体こころと繋がったままの――機能こせいが生きたままの肉体からだが、どこかに存在しているからではないのか。
 単なる希望的観測かもしれない。あてが外れる可能性は大いにある。が、少しでも望みが在るのならば、あの延命の日々にも意味はあった。この手を伸ばして足掻かない理由がない。
 ヒーローの卵が、救けを求める声を聞いてしまった。やるべきことなど、はなから一つしかないのだ。
















「――ここにも居ないか……!」

 アパートの玄関を乱暴に開け放ち、人気のない部屋を見回して、常闇は短く吐き捨てた。足を止める時間はない。肩に掛けていた荷物を廊下に放り捨てて、すぐさま夜更けの路地へと取って返す。
 事務所から忽然と消えてしまった件の幽霊は、長らく居座っていた常闇の仮住まいにも、そこへ至る道中にも姿を現さなかった。エレベーターホールでふと感じた予感を思い出す。もう既に離別の時は終わっていて、あの少女も消えて無くなってしまったのかもしれない――否。そこまで考えて、常闇は嘴を引き締めた。事務所までの帰り道、請われるままにあれだけ名を呼んだのだ。もう少しくらい辛抱していて貰わねば困る。

「――上から探せ、黒影ダークシャドウ!」
「アイヨォ!!」

 今宵は月が無い。格別に闇が深いが、最早躊躇する時間も惜しい。街灯も疎らな夜道を駆けながら指示を出すと、やはり常より昂ぶった様子の黒影ダークシャドウが天高く伸び上がる。きょろきょろと周囲を見回した彼は、程なくして「見ツケタ!」と叫びながら大通りの方へ飛び出して行った。常闇と一体の黒影かれもまた、あの少女の姿をその目に捉えることが出来る数少ない存在だった。
 半身の後を追って人通りの多い道に出ると、生身で地を駆ける常闇の速度に痺れを切らしたらしい黒影ダークシャドウが、「オッセェナァ!モタモタシテンジャネーヨ!」などと吠えながら勝手に常闇の体に纏わり付いた。制服の上を漆黒の影で覆い、そのまま跳ねるように人の隙間を縫って進む彼らの姿を、何も知らぬ通行人達は何事かとどよめきながら振り返る。普段ならば往来で無闇に“個性”を用いるのはご法度だが、今はホークスも認めた緊急事態だ。常闇もされるがままに連れられて行くと――程なくして、数刻前にも通り掛かったばかりの駅前広場に辿り着く。
 ちょうどあの時夫婦が情報提供の呼びかけをしていた辺りに、何か白みがかったものがぼんやりと浮き上がっているのが見えた。引き摺られるようにしてその傍らへ躍り出ると、それが何とは無しに四肢のある生き物らしき形を取っているのがわかる。目的地に着いてもなお昂ぶって吼える黒影ダークシャドウを押さえ込みながら、常闇はいつもの癖でその名を呼んだ。

幽魂ファントム……!」
『――……誰?』

 かつてはまだそれらしい形を取っていたスカートの襞も見る影無く、ただ人らしき形を辛うじて保ちながら、雲のように漂っているだけの靄の塊。かおが無くともそれが彼女なのだと言うことは一目でわかったし、脳裏に届いた腑抜けた問いの声も――随分と頼りない響きではあったが、紛れもなく常闇の知る少女のものだった。
 最早一刻の猶予も無いことは火を見るより明らかだった。へたりと座り込んでいるその靄の前に常闇は片膝を突いて屈み込み、アスファルトの上に力なく投げ出された彼女の手らしき部分へ、自らの右手を重ね合わせる。

「俺だ――おまえとチームアップしたツクヨミだ、ファントム・・・・・
『……ああ、そっか――応援、来てくれたんだ。良かったぁ』
「まだ消えるな。おまえの肉体からだを見つけ出すまで、今暫し――」

 呼び掛ければ微かに纏まる兆しを見せたその体を視界に留めながら、発見報告のためにポケットの中の端末へ手を触れようとした時だった。白い靄が緩慢に動き、彼女の手に重ね合わされた常闇の手を包み込むように上から覆う。毎日毎夜散々味わっていたというのに、ひんやりと冷たい感覚が酷く久しい物のように思えて、常闇はつい身動みじろぎも出来ずにその動きを見守った。頭の中に儚く響くのは、か細い――けれど安堵に満ちた穏やかな声。

『視える人が来てくれて良かった……ずっと待ってたの。きっともう、これが最後のチャンスだから』
「……ファントム?」
『今はほとんど繋がってなくて、十分な気力も残ってないから……もう一度場所を探るには、意識わたしを糸みたいにほどいて長く伸ばすしかないです。わたしの身体があるところに、きっと他の子達も居るから……必ず辿って、見つけてください』

 言う間に、白い靄は風に流される煙のように細く広がり始める。果てしなく嫌な予感を抱いた常闇は、実体のない彼女の腕を掴もうとした手が空を切るのを感じながら、咄嗟に嘴を開いて知ったばかりの名を呼んだ。

「……待て、脱原――」

 すると、淡く緩んでいた彼女の輪郭が不意に引き締まって、霞の中に呆けたような顔が揃って・・・浮かぶ。久方ぶりに目の当たりにしたその射干玉ぬばたまの瞳が、一瞬泣きそうに大きく揺らいだかと思うと――いつかの夜と同じように、無彩の花は柔らかく綻んだ。

『――見つけてくれて、ありがとう』

 瞬間、伸ばした常闇の腕をすり抜けて、靄の塊は四散した。
 愕然とする常闇の視界の端々で、細かく散った霞たちがするりと細く線を描きながら何処いずこかへはしっていく。それはちょうど、毛糸玉の先から伸びた糸が意思を持ってどこかへ向かおうとしているような光景だった。動揺覚めやらぬまま目だけでそれを追った常闇の体を、間髪入れずに黒い影の手が掴み上げ、乱暴に引っ張り起こす。

「待テェ……!!」
「――もう一度纏え……追うぞ、黒影ダークシャドウ!」
五月蝿ウルサイ――言ワレナクテモヤッテヤル……!!」

 闇の深さも相まって大分気が立っているようだが、指示を出せば黒影ダークシャドウは大人しく従った。今は衝動のままに暴れるよりも、曰くほどけて伸びているらしい彼女の後を追うことを優先してくれるようだった。
 何が起こっているのか、考える間も与えては貰えなかったが――“辿れ”という彼女の言葉に、今は従うより他にない。
 再度駆け出した常闇のポケットの中で、先ほど手に取ろうとして未遂に終わった携帯が小さく震える。片腕に纏った黒影あいぼうの手で電柱を掴み、遠心力を用いてぐるりと跳び上がりながら空いた片手で通話ボタンに触れると、『ビンゴだ、ツクヨミ』とホークスの声がした。

『眠そうなお巡りさん達に無茶言った甲斐あって、事務所からおよそ半径5km圏内、かなりそれっぽい・・・・・“個性”を持ってる奴を絞り込めた。そっちは?』
「発見した――今、本体の元へ導かれている……!」
『方角は』
「事務所の北西!」
『了解、ちょっと待っててね――あんまり羽目外さないように』

 釘を刺すような最後の言葉は、電話口の後ろで始終吠えっぱなしだった黒影ダークシャドウの興奮ぶりを懸念してのものだろうか。努めて鎮めようと心掛けてはいるが――如何せん、常闇自身も今はあまり平常心を保てていない。ホークスもそれを見越した上でああ言ったのかもしれなかった。
 眼下で家々の屋根の上を奔り続けていた彼女の糸が、とある住宅地に差し掛かった辺りでかくんと降下し、寂れたアパートの一室の中へ差し込んで行った。グル、と黒影ダークシャドウが喉の奥を不気味に鳴らす音を聞きつつ、常闇がその玄関先へ降り立とうとしたその時、視界の隅を赤い翼が掠めていった。
 相も変わらず、目を疑うような疾さで駆け付けたらしいホークスが、常闇よりも一足先にアパートの階段上に着地する。彼は遅れて降りた常闇に被さっている黒影ダークシャドウを一瞥すると、一瞬何やら意味深な笑みを浮かべたが、すぐに糸が差し込んでいるのと同じ部屋の扉を指差した。

「――住所は一致と。さて、ここで合ってる?」
「ホークス、急がねば……!」
「まあまあ落ち着いて。疾さは大事、でも無駄に焦ると良いことないから」

 言いながらもホークスはさっさと呼び鈴に指を掛ける。返事を待つ間、身体から剥がれてもなお低く唸ってばかりの黒影ダークシャドウを鎮めようとする常闇の視界に、扉の向こうを示し続ける白い糸が映った。
 最早物も言わぬ姿に成り果ててしまったが――時折頼りなく揺らめいて形を失い掛けるその様子は、ほどける前の彼女と何ら変わりない。泣き笑いと共に脳裏に響いた言葉を思い出して、常闇の目元が鋭く細まる。
 まだ何も見つけてなどいないのに――あのようなお門違いの感謝が最後になるのは御免だ。
 揺蕩う精神の糸を睨め付ける。他人の気も知らないような素振りで揺らぎ続けるそれに、呑気な顔でベッドの上に転がっている彼女の姿が、不意に重なって見えたような気がした。

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