「いやあ――間抜けだったな、マジで!!」
「はい……」

 返す言葉もございません。項垂れるわたしの前で切島くん大爆笑。わたし達の“核”を見事奪った腕がいっぱい生えてる人――改め障子くんは、そんなわたしを哀れに思ったのか若干居た堪れなさそうに立っている。すると尾白くんと葉隠ちゃんが、笑いっぱなしの切島くんの背中をポコリと叩いた。

「あんま笑うな!ほぼ凍らされてただけの俺らの立場ないだろ……」
「そーだそーだ!」
「あーわりィ!でもあんないい感じに戦ってたのに“途中から障子のこと忘れてた”って――なんだそりゃ!ハハハハハ!」
「遺憾だ……」
「違うよ!?眼中に無かったとかじゃなくてその、轟くんが強すぎてわたしの視野がガーッて……!」

 時刻は夕方、場所はとっくに演習場からいつもの教室に戻っている。訓練でヘトヘトの中午後の授業もなんとか乗り切り、用事のある人以外はもう家に帰るだけなのだけれど、みんな教室に残ったまま。初めての戦闘訓練はヒーロー志望のみんなにとってかなり良い刺激になったようで、誰からともなく反省会を開く流れになり、わたしもこうしてその輪の中に加わっていた。気を失って保健室に担ぎ込まれたまま未だ戻ってこないイズのことを、少しばかり気掛かりに思いながら。

「でもほんとに凄かった!みんな“あれはもう決着だー”って思っちゃってたのに!」
「その通りだ!結果的には負けてしまったが、あの状況からのリカバリーと粘りは素晴らしかった!」
「オールマイトにも『ナイスガッツだ!』っつわれてたしな!」
「へへ――」

 お茶子ちゃん、飯田くん達にも囲まれて、上鳴くんにも講評で貰ったオールマイトの言葉を繰り返されて、正直満更でもない気持ちになってしまう。もちろん反省点もたんまり挙げられた。二対三の数的不利を一瞬で覆し、漏らした一人わたしを完全に釘付けにすることで味方をアシストした轟くんがMVヒーローだったことは言うまでもない。そんな彼の氷結を躱し続けたことについては、オールマイトからも「爆豪少年ほどじゃないかもだが、君も反射神経凄いな!」と褒められたのだけれど、咄嗟の制御が利かずに打ち付けた背中もまだ痛むほどだし、臨機応変な対応と冷静な状況判断についてはまだまだこれからといった感じだ。

 ――と、みんなで口々に試合の感想を言い合っていたそのとき、訓練から一言も発していなかった爆豪あいつが鞄を引っ掴んで立ち上がった。俯きがちで表情がうかがえないまま、やはり何も言わずに出口に向かって歩き出したその背中をお茶子ちゃんが慌てて引き止める。

「ちょっ……待って爆豪くん!反省会いいの?きっともうすぐデクくんも――」
「――るせーな、知るかクソ」
「んなこと言うなって爆豪……おーい!」

 次いで切島くんが呼びかけたが、それには応えないまま教室のドアを蹴り開けて廊下へ消えて行ってしまう。その背中を見ていると、あの時モニター越しに見た、半壊したビルの中で呆然と佇んでいる姿が不意に浮かんで。
 居ても立っても居られずに、「な、何なんだよあいつ、こえーよ……」と震え上がる峰田くんを横目に見ながら、わたしも自分の鞄を慌てて引っ掴んだ。

「――ごめん、行ってくる。もしイズが戻ってきたら連絡ちょうだい」
「へ?うん……」
「どうした南北くん、そんな苦虫を噛み潰したような微妙な顔をして……」
「そんな酷い顔してる!?」

 戸惑い気味の飯田くんにむっと反論しながら教室を飛び出し、ついでに口元を触ってみると確かに渋く歪んでいた。いくら幼馴染とはいえ、乱暴で口が悪くてすぐ人に向かって「クソ」とか言ってくる嫌な奴を、少なからず心配してしまっている自分を認めたくないのかもしれなかった。
 でも、やっぱり幼馴染だからなあ。廊下の先を行く後ろ姿を見ていると、遠い昔のことを思い出してしまう。どうせ同じ道で帰って、下手をすれば晩ご飯だって一緒に食べることが多かったのに、着いていこうとすると決まって暴れて嫌がった。今日も嫌がられるだろうし、もしかしたらあの頃よりもずっと冷たくされるかもしれないし、多分わたしだって嫌味なことばかり言ってしまう。
 でも今は、その背を追いたいと思ってしまったこの気持ちに――とりあえず従っておこうと思う。



















「……」
「……」
「……本気で帰るの?」
「……」
「イズに大怪我させたのあんたでしょ。ちょっとは待ったらどうなのさ」
「……」
「……」

 似たような台詞をさっきから浴びせ続けているのだけれど、一向に返事はない。気がつけば下駄箱を通り抜け昇降口の外、校門のあたりまで出てしまった。西から差し込む夕日が目に滲みる。
 予想していたとはいえ余りにも無視され続けて流石に腹が立ち、歩調に合わせて目の前で揺れるブレザーの背中を右手でしこたま叩いてやった。怒ったヤツが振り向く前に、左手で叩いたわたしの通学鞄をぐっと差し出す。ぴたり。背中にくっついたそれで動きを止める――つもりだったのだけれど、思いのほか強い回転力で振り返られた勢いに負けて、鞄の持ち手を手放してしまう。背中に通学鞄をぶら下げたまま、爆豪あいつは不機嫌を隠さず唾ごとわたしに向かってぶちまけた。

「重えんだよクソ!磁石外せや!」
「イズのこと待つなら」
「死んでも待たねえよバカか!外さねえと――」
「――やだよ」

 随分久しぶりの、懐かしいやり取りだった。火花を出しながら掌を振り上げたそいつに間髪入れずにそう返すと、向こうもそれを思い出したのか、心底不快そうに眉間に皺が寄っていく。
 いつもこうして脅されて、その度色々と覚悟の上で強気に拒んできた。突っ込んでいった拍子に殴られることはままあったけれど、こいつが脅しの通りに振り上げた掌をわたしに向けたことは意外にもほとんど無くて――思えば最後の大喧嘩が最初だったような気さえする。あの日は思い切り振り抜かれてしまったけれど、さて、今回はどうだろうな。

「てめぇは……そうやって……」

 小さく爆ぜていた掌に力がこもって、五本の指が耐えるように力んでいるのが見えた。勢いよくその手が振り下ろされて、いよいよ殴られるかと思ったらそういう訳でもなく、制服の襟首を思いっきり掴んで引っ張り上げられる。まるでカツアゲ中のチンピラだ。驚いて一瞬怯むと、そのままゆさゆさと乱暴に揺さぶられて危うく舌を噛みかけた。

「昔っから……イカレた目で……俺に殴られんのが怖くねえみてえなフリしやがって……」
「――っ、ちょ、」
「デクよりタチわりィんだよクソが……!」
「っ、ちょっと、落ち着いて……!」

 短気でキレっぽいのは知っていたけれど、どこか余裕の欠如したその有り様に思わず少したじろいだ。やっぱり爆豪こいつ自身、今日の色々な出来事に動揺してしまっているように見えて、制するように掌を掲げながらどうにか宥めようと試みる。こちらを憎々しげに睨む血走った目が、あの日の怯えるような、酷く恐れるような赤い瞳と不意に重なって、わたしは無意識にまたあの言葉を口走っていた。

「……大丈夫だから!」

 正直自分でも、「なにが?」という感じだった。脈絡もなにもかも無視して、ぽろりと口から溢れた言葉。呆けたように止まった爆豪あいつを前にして、ああ、わたし何言ってるんだろう、と頭が冷えていく。でも、そんな思考とは裏腹に“安心させなきゃ”と、いつかの感情が鮮明に蘇ってきて。

「大丈夫だから、そんな顔しないで」

 笑わなきゃ。口角が持ち上がるのがわかった。胸倉を掴み上げられたまま、さぞ歪な微笑みだったことだろう。きっと爆豪あいつは怒るだろうなと、妙に冷静なままの脳が思考していた。
 思った通りに、目の前で呆気にとられていた顔が、みるみるうちに激しい嫌悪に歪んでいく。まるであの日の再現だ。再度手を振り上げることこそなかったけれど、とうとう爆豪あいつは耐えかねるように吠えた。

「――笑うな!!」

 ブチッ。

 一瞬、相手の血管が切れた音かと思ってひやりとしたがそうではなくて、目の前を何か光るものが飛んで行った。シャツのボタンだ。あんまり乱暴に襟首を揺さぶるものだからネクタイはすっかり緩んで、閉めてあった第二ボタンがちぎれてしまったようだった。呆然とその軌跡を目で追う。酷いな、まだほぼ新品なのに。
 すると、無理やりわたしを揺すっていた手がぴたりと止まり、目の前の赤い目が、露わになったわたしの鎖骨の更に下あたりに釘付けになったのがわかった。わたしも、何を見られたのか・・・・・・・・瞬時に察して、固まった。その一瞬だけ、時間が止まってしまったようだった。

「――かっちゃん!」

 時間を再び動かしたのは焦ったような叫び声。首元を掴まれているせいで後ろは確認できないけれど、振り返らなくてもわかる。イズの声だ。

「なに……何やってんだ、かっちゃん……離せよ」

 戸惑うようなイズの声に促されて――かどうかはわからないけれど、襟首を締め上げていた手が緩んで、半ば浮いていたわたしの踵も無事地面に着いた。目の前の乱暴者はどこか呆然としたように視線を斜め下へ落としていて、わたしの方はもう見ていない。振り返ると、訓練終わりのボロボロななりのまま、包帯でぐるぐる巻きの腕を吊り下げたイズが息を切らして玄関前に立っている。ついさっき目が覚めましたという感じの出で立ちだ。慌てて追いかけてきたらわたし達が喧嘩していてさぞ驚いたことだろう。

「あっ――待って、待ってかっちゃん!」

 その呼びかけで、背後のそいつがいつの間にかわたし達に背を向けてさっさと帰ろうとしていることにようやく気が付いた。わたしの鞄背中にくっつけたままなんだけど、マジか。呼び止められるうちにどうやらイズの言葉に耳を傾ける気にはなったようだけれど、足を止めて振り返った顔は頗る機嫌が悪そうだ。

「えっと――そ、その……」

 位置関係的に間に挟まれることになったわたしは、無言で二人の顔を見比べる。イズが何かを言いかけて、わたしの顔を見て口籠ったのがわかった。もしかしてこれ、席外した方がいいやつかな。そろ、と足を動かしかけたその時、

「――二人には、ちゃんと……言わないとと思って」

 イズが、俯いたままそう言った。

 それは単に信じられないというより、考えたことさえないような、現実味も突拍子も無い話。

 イズ曰く、彼の“個性”は「誰からなのかは決して言えないが、他人から貰い受けたもの」で、体に馴染んでいないぶんその力に耐え切れず、使うと体が砕けてしまうのだという。
 ぽかんと口を半開きにしたまま聞くわたしの後ろで、爆豪あいつも珍しく素っ頓狂な顔で呆けたまま突っ立っていたのだけれど、ちらりと振り返って伺えば、徐々にその顔に青筋が浮かび始めているのがわかった。馬鹿にされているとでも思ってしまったんだろう。正直無理もないと、この時ばかりはわたしも思った。

「――だからいつか、この“個性”をちゃんと自分の物にして……僕の力で君を超えるよ!」

 どこかおどおどした様子で語り始めたはずのイズは、いつの間にか顔を上げてそう結んだ。宣戦布告の言葉だった。
 彼がそんなことを言うなんて――驚くのと同時に、なんだか言い様の無い感情が胸の中を渦巻いているのを感じる。戦闘訓練、今まで散々いじめられてきた相手に立ち向かって、最後には打ち克ってしまった様子を見ていた時に感じていたものと、よく似ているような気がした。
 足元がふわふわと覚束ないような、とにかく不安でたまらないような。どうしてこんな気持ちになってしまうんだろう。何も言えずに固まるわたしの背後で、絞り出すような声が聞こえる。

「……んだそりゃあ……」
「!」
「借りものとか、ワケわかんねえこと言って……これ以上コケにしてどうするつもりだ……あァ!?」
「……ちょっと、」

 我に返って振り向くと、完全にイズの方に向き直ったあいつが、ポケットに手を突っ込んだまま低く唸る。また喧嘩に発展しかねない雰囲気に思わず口を開きかけると、ガン無視のそいつにどんと突き飛ばされて道の脇へ追いやられた。まあいい加減慣れっこだけれど、本当にまったくもって容赦のかけらもない。

「だから何だ……!!今日……俺はテメエに負けた……!!そんだけだろが、……っ、そんだけ……!!」

 そこでようやく気付いた。
 あいつの肩が――震えている。伸ばしかけた腕を止めて、両掌をそっと合わせた。引き合う力を失ったわたしの鞄が、微かに震える背中からぽとりと地面に落ちた。

「氷の奴見て、……“敵わねえんじゃ”って思っちまった……!!ポニーテールの奴の言うことに……、納得しちまった……!!」

 ぶるぶる震えながら何度も叩きつけるように握られる拳を、わたしもイズも黙って見ていた。少しだけ驚いた。爆豪こいつも威張ってるだけじゃなくて、轟くんの実力をちゃんと認識してるし、八百万さんの指摘もしっかり受け止めて――気にしてたんだ。
 立ち尽くすわたしを、不意に振り向いた目が睨みつけた。驚いたことにその目には涙が滲んでいて、ああ、泣いてる顔を見るのなんていつぶりだろう、とぼんやり考えた。

「デクのお守りしてた、威勢ばっかのクソザコ女が……俺がビビった奴相手に……っ、渡り合ってたじゃねえかよ……!!クソが……!!クソ……クソッ!!それになあ……テメエもだ、デク……!!」

 佇まいを直したイズに向き直って、あいつはようやく顔を上げた。充血した目に涙を溜めて、眉間も顎も皺くちゃの、ちょっとだけ情けない顔で。

「こっからだ……!!俺はこっから……!!いいか!?俺は雄英ここで一番になってやる……ッ!!」




















「……」
「……」
「……」
「……」
「……何ついてきてんだクソ……死ね」
「……しょうがないじゃん、わたしも駅使うんだし」
「死ねや……」

 聞く耳持たぬと言わんばかりの返事に人知れず眉を顰めた。前を行く柄の悪い背中はあれきり一度も振り向かないまま、駅までの道をのしのし歩き続けている。思いっきり涙目だったし、今だって鼻声だけれど、爆豪こいつの心自体はもう立ち直っているようだ。校門前で駆け寄ってきたオールマイトにもはっきりと“あんたをも超えるヒーローになる”と決意表明していたので、多分もう大丈夫なんだと思う。
 とはいえ自尊心が高いタイプなのは嫌という程知っているから、本当は一人で帰らせた方がいいんだろうとは思うのだけれど、電車を遅らせると他のみんなと鉢合わせしてしまうかもしれない。そうそう隠し果せるものでもないが――千切れて無くしてしまったボタンの内側が見えてしまう今の状況だと、ちょっとそれは好ましくないのだ。
 それに、忘れないうちに言っておきたいこともある。

「……」
「……あのさ」
「……」
「火傷、あんたのじゃないからね」
「……、」
「跡残ってると思ってビビったでしょ。安心してよ、元からここ火傷してて、残ってるのはそっちのだから。たまたま……場所、近かっただけ」
「知るかよ」
「そーですか……」

 ぐい、とボタンが外れてしまった襟元を引き寄せる。あいつが見て固まってたのは多分、ここから覗く傷跡だ。轟くんの顔にあるやつほど酷くはないけれど、見える位置に来てしまうとやはり少し目立つ。

 六年ほど前、引越しの前に目の前のこいつと大喧嘩をやらかした時も、たまたまここに火傷を負った。もみ合いが激しくなるうちに、向こうが“個性”を撃ってしまったから。お互い必死のもみくちゃな争いだったからその時は気にしてないものと思っていたけれど――あの反応を見るに、わたしのどこに怪我を負わせたのか、意外としっかり覚えていたらしい。
 わたしより大きい歩幅で前を歩き続けているから、奴の顔は全く見えない。傷心気味に見える背中を眺めながら歩くうち、あっという間に駅のホームまで辿りついてしまった。爆豪あいつとわたし、乗る電車は同じホームの反対車線だ。立ち止まった向こうに背を向ける形でわたしも止まる。離れていく気配は無い。

「……」
「……」

 しばらく無言の時間が続いた。この辺りは雄英生以外使う人もいない駅だから、終業から少し経った今の時間だと人もまばらだ。ちらりと振り返る。やはり不機嫌そうな背中がそこにいる。

「……」
「……ちょっと変わったね、あんた」
「……ああ?」
「イズのことも今はいじめてないっぽいし、なんか昔より性格良く……は、なってないか……」
「……」
「……あんたはわたしのこと、未だに大っ嫌いかもしれないけどさ――」

 放送が流れ、線路の上を走る車輪の規則的な音が聞こえた。程なくわたしの乗る電車がホームに入ってきて、喉まで出しかけた言葉をつい飲み込んでしまう。ああ、無駄なことを言いかけた。口を噤んで、開いたドアの向こう側へと足を踏み入れた。

 馬鹿だなあ。“わたしはね、本当はずっと嫌いじゃなかったんだよ”なんて、言ってどうするつもりだったんだろう。もう昔みたいなお隣さんには戻れないのに。爆豪あいつにとってわたしは、ただの“気持ち悪い”存在なのにね。

 自虐的な思考に気付いて自嘲する。爆豪あいつの態度が悪いのは六年前のことを根に持っているからじゃないか、なんて思っていたけれど、あの日の喧嘩をずっと引きずって落ち込んでるのはむしろわたしの方だ。
 頭の中でぐるぐる回り続ける感情を無理やり断ち切って、空いている吊り革に手を伸ばす。もうやめ、考えるのはやめよう。ついでに閉まったドアの向こう、まだそこに立っているはずの爆豪あいつの背中を振り返るのもやめておく。動き出した電車の中、飲み込んだ言葉は溜め息になって静かに霧散した。

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